フィトラの喜捨とイード礼拝に係る心構え
大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年6月23日)
アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。
あらゆる賞賛と感謝は、夜の礼拝と断食斎戒をすることで人々に救済の機会をつくられ、ラッヤンの扉から楽園に入れて下される御方アッラーのもの。
また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。
信者たちよ、アッラーは、至高の統治者であられ、最も御赦し下される御方である。
アッラーは、御望みの物事を創造なされ、崇拝は、その御方のものである。
その御方は、始めも終わりもない、その御姿、本性については解明できない幽玄界の存在であられる。何かに心を寄せようとするなら、アッラーに心を寄せ、アッラーの御命令に従いなさい。
アッラーは、御命令の一つ、断食斎戒について、クルアーン・雌牛章において述べておられる。
「信仰する者よ、お前たち以前の者に定められたように、お前たちに断食斎戒が定められた。きっと、お前たちは、主を畏れるであろう。」(2章 183節)
信者たちよ、少し前にラマダーン月を迎えたが、この清い月に別れを言う日は間もない。
至高のアッラーは、月や年を設けられた統治者であられる。
人々の命運は、アッラーに従うことに費やす時間に係わっているものであり、命運は、各自の思いや行いによって良くも悪くもなるかも知れない。
ラマダーン月が終わりを迎えようとしているが、ラマダーン月の間大いに努力した者は、良い行いに努めた者として記録されるだろう。
至高のアッラーは、クルアーン・衣を纏う者章において述べておられる。
「・・・お前たちが、自分の魂のために行うどんな良いことをも、アッラーの御許でそれを見い出すであろう。・・・」(73章 20節)
良い知らせは、自らの許へとやって来る。断食斎戒を行い、その行いの故に、限りのない報酬を約束されるに違いない。
その上、クルアーンを読誦する為に自らが発した声というものも、報酬の増加に加わるということである。
最後の審判では、断食斎戒とクルアーンとが仲介役を買って出ることだろう。
預言者さまSAW は、述べておられる。「断食斎戒とクルアーンは、審判の日に、仲介役となってくれるだろう。
断食斎戒は、『アッラーよ、私は、その者の食事と飲むことを妨げました。私がその者の為に、仲介役となることを御許し下さい。』と言うだろう。 更に、クルアーンは、『アッラーよ、私は、その者が夜中に眠るのを妨げました。私がその者の為に、仲介役となることを御許し下さい。』と言うだろう。結局、両者は、赦されて、仲介役となるのである。」
信者たちよ、断食斎戒の価値を高め、断食斎戒中に犯した過ちを穴埋めする為に、アッラーは、ザカート・アル・フィトゥル(断食斎戒明けの喜捨)を払うように命じておられる。預言者さまSAW は、断食斎戒を行った者として、行いや言葉の過ちを浄化する為と、貧しい人々に食べ物を提供する為に、ザカート・アル・フィトゥルを払っておられたという。
預言者さまSAW は、述べておられる。
「ラマダーン月が終わる前に、ないし、断食明け大祭の前に、ザカート・アル・フィトゥルを払うがよかろう。」
従来、ザカート・アル・フィトゥルは、主食の穀物やナツメヤシの実を、規定量をもって払うものであるが、今では、現金で支払うことが通例である。
現在日本においては、支払う一人に付き、1,500円である。従って、家族がいるなら、1,500円に家族の人数を掛けた金額である。
どんなに遅くても、イード礼拝が始まる前には払い終えなければならない。
信者たちにとって、ザカート、断食斎戒は務めであり、信仰行為として必ず行うべきことである。
それは、報酬を得る為の然るべき手段である。アッラーは、クルアーン・胸を広げる章において述べておられる。
「誠に、困難と共に、安楽はある。」「それで、(勤めを終えて)楽になったら、更に、労苦して、」「(一心に)お前の主に仕えるがいい。」(94章 6--8節)
信者たちは、忍耐をしながらも、いつでも、有意義なことに時間を費やしなさいということである。
信者たちよ、アッラーは、大事な信仰行為である断食斎戒を果たした後には、喜びに溢れる特別なものとしてイードを御用意下さった。
イードの日の朝に行うイード礼拝に先立って、自分の全身を浄めることなどを、預言者さまSAWは、教えておられる。
イード礼拝に出掛ける前に、グスル(全身の浄め)行いなさいということである。
そして、良い服を着て、香水をつけるのが望ましい。
また、イード礼拝に出掛ける者は、預言者さまSAWを見習って、何つぶかのナツメヤシの実を用意しておくとよいだろう。預言者さまSAWは、ナツメヤシの実を食べてからイード礼拝に向かわれるのが常であったという。
そして、預言者さまSAWは、ナツメヤシの実を口にする時には、きっと奇数個食べられたという。
更には、イード礼拝には、徒歩で出掛けるのがよく、往きと帰りでは別の道を選ぶのが好ましい。
イード礼拝には、老若男女の皆が出掛けるように心掛けるのが良いことであるから、イード礼拝を行うマスジドや広場に家族そろって出掛けるようにしようではないか。
家族みんながイード礼拝に加わり、家族の皆が、それぞれに報酬を受け取るがよい。
以上のことを知った上で、今年のラマダーン月の残りの日々が良い日であるようにと、主に祈ろうではないか。
預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。
そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。
アッラーよ、フィトラの喜捨を遅れることなく支払う者であるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように御導き下さい。過ちを御赦し下さい。
アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い信仰心強く、イスラームの教えを守る者にして下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。
アッラーよ、日々に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン
ムスリムの心得
一般的に世間的には強い物しか尊敬されない兆候にあります。
それは私たちが一緒になって愛情を持って協力することが欠けているからです。
預言者さま(SAW)御在住の頃、預言者様(SAW)はメッカの人たちと兄弟の契りを交わしました。
ハムザさまとサルマーンファリキさまは兄弟の約束をしました。
サルマーン様はイランからやってきてハムザ様と兄弟の約束をしました。
預言者様(SAW)は違う国に住むそれぞれのムスリムの繋がりを強くするために多々の国々から人々を集めてお互いを兄弟として契約させました。
アウスとカズラという部族、よく争っていた部族を契約させました。
サード様は裕福なお方でした。サード様は
アブドラフマン様にご自分の持つ半分の財産を差し上げました。
サード様は2人のとてもとても美しい妻をお持ちでした。サード様は更にその1人をアブドラフマン様に譲りますと言いました。アブドラフマンさんは拒まれました。
これはサード様がアブドラフマン様を敬愛していることを示すために行われたことでした。
私たちイスラムはいっぱい人がいますが魂は1つ
一本の木があっていく方にも枝が広がる
ムスリムは別れて方々にいかないよう
一緒にいるようにと預言者様(SAW)は仰せです。
真実の兄弟愛というのはアッラーへの愛によって区別されるのです。
肌の色でも国でもなく、アッラーへの愛と
アッラーに対する距離にあります。
私たちは他人を嫌うことはムスリムとして、してはいけない行為です。
人を嫌うならその人がアッラーに背く人であるから嫌うということのみなのです。
アッラーが好まれるか好まれないか
私たちはアッラーによって兄弟になることを決められた関係者なのです。
ですからアッラーの元で出会った人
マジスドにいって知らない人でもサラームをするようにしましょう。
全ての人には愛情を持ってサラームをしてください。
手を差し伸べてサラームをします。
強い気持ちは手からこころに伝わるものです。
そして兄弟姉妹として喜びや悲しみを共有します
一緒になって喜び、困っているときは助け合い、病気のときはたずねるように仲良くしましょう。
いい友人になりたいなら
アッラーへの愛によってあなたが好きですと相手に伝えましょう。
アッラーがあなたを愛してくださりますようにそしてアッラーによって、あなたが私を愛してくださりますようにと伝えましょう。
私たちはムスリムとしてアッラーの意志故にいろんな国から集まっているのですから何においても協力しあってください
お互いに教えあうことをしましょう。
教える人にはアッラーは天国においての位を高めてくださります。
ラマダンが終わる
間も無くRamaḍānが終わります。
あっと言う間の一カ月間でした。
もしもイスラームを知らなければ一か月も断食して何が楽しいの?と思われる月になることでしょう。
私もそう思ったいた1人です。
食べるのが好きで好きで食べることが趣味である私にとって断食を一か月するなんて絶対あり得ないことでしたし、お水まで飲めないなんて血液濃くなるじゃない?
お肌に悪いわよ!という気持ちが強くありました。
しかし理解するにつれ、毎年のラマダン月が楽しみとなりました。
インドネシア人のシスターが言っていたことですが、ムスリムにとってラマダーンを何かに例えるなら、
ある日、街のショーウィンドウでとっても素敵なジャケットを見つけました。
中に入り試着してみると、素材も上質で素晴らしい、着心地が最高に良いものでした。
自分が探していたのはこれに違いないと思うほどでした。
しかし、とんでもなく高価で今の自分には手を出せないものでした。
それから毎日毎日そのお店の前を通り
ジャケットを見ていました。
数ヶ月後にバーゲンセールがあると知りました。
そのバーゲンセールまで毎日お店の前を通りました。
セールの日に、大勢の人が買い物に来ていました。
欲しかったジャケットもとんでもなく破格になっていました。
セールに残っていたとしても自分が欲しかった色と自分のサイズのものはあるのだろうか?
普通はなかなか残っているものではありません。
しかし、なんと!欲しかった色と自分のサイズが残っていました!!!
さて、このようなシュエーションを迎えたとき、もしあなたならどんな感じがしますか?
おおおお!と叫びたくなるのではないでしょうか?
とても嬉しい、喜びいっぱいの気分なのではないでしょうかね?
ラマダーンのときには
通常一つしか与えられないアッラーからの褒賞が三つ貰えます。
ラマダーン中の一日は千月(83年分)のイバータ【神への奉仕】をしたことになるそうです。
預言者様(彼の元に平安あれ!)へアッラーからクルアーンが啓示された夜をライラトルカドル、みいつの夜と言われていますがその日からラマダーンを迎える喜びを共有してきました。
このラマダーンの一か月はアッラーが気前よく褒賞をムスリムたちへ配って下さるときだからです。
なんと、ラマダーン月には一回の礼拝が30回分の礼拝をしたことになります。
サダカ、喜捨も何十倍もの褒賞をいただけます。
故に喜びの一カ月となり1年のうちで最も嬉しい喜びの時期なのです。
最後のRamaḍānを楽しみつつまた、来年のRamaḍānに思いを馳せています。
多くの同胞が最後の数日多くのイバータを行うことができますように。
そして私たちのイバータをアッラーが受け容れて下さりますように。
アーミン
礼拝の意味
ムスリム学びチームより
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において
2017年6月21日
ラマダーン☆彡スペシャル
アッラーを望む人よ20 -心の病の治療法「礼拝の意味 2」-
ハビーブ・アリー・ジェフリー先生の「アッラーを望む者よ15(13:00~最後)」参照
https://www.youtube.com/watch?v=Xb8tEikbhHE
私達を地獄へと誘うシャイターンをアッラーが鎖につないでおいてくださるラマダーンは、もう一方の敵ナフス(自我)を治療する、とてもよいチャンスです。このラマダーンに、私達の心の中に巣食ういくつかの心の病と向き合って治療しようというプログラムをお送りします、インシャーアッラー。
これまでのラマダーンに、心に汚れが入って来る悪い窓を閉めた後の心を浄化する方法や、窓を閉めることを知る前に、心に侵入し根付いてしまった汚れから心を浄化する方法、内面と外面の浄化についてお送りしました。今年は、それらを行うためのナフス(自我)の訓練の仕方についてです、インシャーアッラー。
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「礼拝の意味2」
ナフス(自我)に逆らう訓練の具体的な方法、その最も大事なものが、一日に五回の礼拝を時間通りにきちんと行うことです。本来の礼拝の意味は、「愛する御方との約束の時間」です。待ち遠しく、心躍るものです。この本来の意味を理解した上で行う礼拝にするため、前回は2つのことについて説明しました。
1 合同礼拝
2 最も良い時間帯
今回は、その3つ目です。
3 義務の礼拝の準備
・礼拝時間に入る前に、礼拝を待ち望むこと:
アザーンが鳴る前に、礼拝時間に入る準備を万端にしておくことです。日本では、街中でアザーンを聞くことはできませんが、携帯のアプリなどでアザーンが鳴るように設定していらっしゃる方もいるでしょう。アザーンに不意を突かれ、驚かされることがないようにしましょう。「あら、もう礼拝の時間に入ってしまった。ああ、今、ちょうどこの仕事をやり始めたところなのに、、、、」この一瞬の当惑には、礼拝の時間に入ったことを煩わしく思う、負担に思う気持ちが含まれています。これは問題です。アッラーを求める人が、愛するアッラーとの面会の時間に入ったことが、「面倒に感じる」というのは、とても危険な状態です。
「もちろん、私は礼拝しますよ、きちんと時間通りに、仕事も後回しにして、すぐに礼拝に立ちます。だから、いいじゃないですか!」そう思うかもしれません、でも礼拝時間に入ったことを一瞬でも「煩わしく感じる」という心の状態は、まるで、「ああ、今でなくて、もう少し後だったらよかったのに。。。」と言っているかのようです。会えるのを待ちに待った、愛する人との面会時間になって、「いや、今でなく後にして!」と言う人がいるでしょうか。礼拝時間に入るほんの数分前でも構いません。礼拝を恋しく切望する気持ちを持って、礼拝時間に入るのを待ってみましょう。
礼拝時間に入ってすぐに礼拝をする人もいれば、「この仕事がひと段落着いてから、礼拝に立とう。」と、礼拝を始める時間を遅らせる人もいます。そうしているうちに、最初の最も良い時間帯が過ぎてしまい、礼拝が嫌悪される時間帯に入ってしまうこともあります。例えば、アスルの礼拝を遅らせて、マグレブの直前になってしまうと、もちろん礼拝はしなければなりませんが、その時間帯は、嫌悪される時間帯です。どうして、私たちは、愛する御方との面会時間を、「嫌悪される時間帯」まで遅らせることができるのでしょうか。
それよりも悪い状態は、礼拝の中の最後のサラームが終わった途端に、次のアザーンが鳴り次の礼拝時間に入る、という状態で、ギリギリの最後の最後の時間に礼拝をする、という状態です。もしかしたら、時計が1,2分狂っていて、その礼拝は、礼拝時間内にできていなかったけれど、気付かずにいるかもしれません。
これよりも悪い状態がありますか?礼拝時間が過ぎて終わってしまったのに、まだ義務の礼拝をしていない状態!!!なんということでしょうか。アッラーを望む人が、アッラーとの約束の時間を過ぎて、礼拝をまだしていない、、、、任意の礼拝のことではありません。義務の礼拝、アッラーが、あなたに命と体を与えますから、これだけはしてください!!と私たちに命じている義務の礼拝、数分もあればできることを、約束の時間内にやっていない!!!そんなことがあっては絶対になりません。
礼拝時間を、礼拝を切望する気持ちで待ってみましょう。その習慣をつけましょう。それによって、もし、多忙な日に、気がついたら礼拝時間になっていた、ということがあったとしても、私たちの心の状態が以前とは違います。もう、礼拝時間に入ったことを「面倒に思う気持ち」はなくなり、嬉しく思う気持ち、「もう礼拝ができる!という喜びの気持ち」が沸き上がるようになるでしょう、インシャーアッラー。
・アザーンを聞いた時には:
「アッラーフアクバル、アッラーフアクバル。」
この最初のアザーンを聞いたら、すべての事を中止します。それまでやっていたこと、仕事、おしゃべり、運動、すべてです。昔の敬虔な方は、木を切ろうと斧を振りかざしたときにアザーンを聞いたら、その斧を振り下ろさずに中断し、縫物をしていて、針を布に刺したところだったら、それを抜かずに手を止めたそうです。そして、「アッラーフアクバル、アッラーフアクバル。」アザーンの言葉通りに、自分でも意味を感じながら繰り返して言います。
「アッラーフアクバル(アッラーは偉大なり)」というのは、アッラーが何よりも大きい、という意味ではありません。アッラーは他の物と比べる対象ではありません。例えば、「宇宙は蟻よりも大きい」とは言わないでしょう。そんなことは当然で、あえて言うことが無意味だからです。では、「アッラーフアクバル」とは、どういう意味でしょうか。アッラーが私たちを礼拝に呼びかける時、心の中に浮かんだ、他のどんなことよりも、自分の財産よりも、家族よりも、子どもよりも、仕事よりも、今日の会議よりも、何よりも、どんなものよりも、アッラーが最も重要だ、アッラーが自分に呼びかけている礼拝時間が、何よりも最も重要だ、ということです。また、自分がアッラーは偉大だ、と思うよりも、アッラーはずっと偉大であり、自分がアッラーは寛大だ、と思うよりも、アッラーはずっと寛大であり、常に自分の頭に浮かぶよりもアッラーは偉大だ、という意味です。
「アシュハド アッラー イラーハ イッラッラー」(日本語:私はアッラー以外に神はないことを証言します)
この意味を心で感じながらアザーンを聞けば、アザーンの度に、アッラーのご慈悲が下りほどの言葉です。クルアーンにこうあります。
【アッラーはかれの外に神がないことを立証なされた。天使たちも正義を守る知識を授った者もまた(それを証言する)。偉力ならびなく英明なかれの外に、神はないのである。】クルアーン3-18
【شَهِدَ اللَّهُ أَنَّهُ لَا إِلَهَ إِلَّا هُوَ وَالْمَلَائِكَةُ وَأُولُو الْعِلْمِ قَائِمًا بِالْقِسْطِ لَا إِلَهَ إِلَّا هُوَ الْعَزِيزُ الْحَكِيمُ】
私たちが、「アシュハド アッラー イラーハ イッラッラー」と言う時、思い出します。自分の証言は、アッラーが証言なさったこととつながっていることを、そして、その光栄さを心で感じます。アッラーが、クルアーンの中で証言なさったことと同じことを、自分が証言していることを感じながら、アザーンの後に続いて「アシュハド アッラー イラーハ イッラッラー」と言います。
そして、「ラー イラーハ イッラッラー」(日本語:アッラー以外に神はない)という言葉を言いながら、心の中から、アッラー以外の物をすべて追い出します。
「アシュハド アンナ ムハンマダン ラスールッラー」(日本語:私はムハンマド様がアッラーの使徒だということを証言します)
大好きなムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)の名前が言及されました。このお名前を聞いた時、私たちの心の動きはどうでしょうか。アザーンの中の「ムハンマダン」とお名前を聞いた時、この名前が、私たちの心にどう作用するでしょうか。どんな風に心を動かすでしょうか。
ビラール様(アッラーのご満悦あれ)は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が亡くなられた時、その悲しみの深さから、マディーナを離れました。「ビラール、マディーナから出て行くのか?」と尋ねられたとき、彼は「そうです。私にはここに居続けることができません。本当は離れたくはない。しかしこの地は、私にアッラーの使徒のことを思い出させてやまないのです。ここではどの家を見てもアッラーの使徒のことを思い出さずにいられない・・。私はここに居ることはできない・・・」
そう言うと彼は、シャーム地方へ旅立ちました。そして現在のシリアのダーリーアという町で結婚しそこに住んでいました。ある朝目覚めると、彼は涙を流し泣いていました。「どうしたのですか?」と聞かれると、こう言いました。「昨晩、アッラーの使徒を見ました。そして、彼が私にこうおっしゃいました。『ビラールよ、この疎遠さはどうしたのですか。もう私を訪問してはくれないのですか?』別の伝承では『私のことが恋しくはないのですか?私は、あなたがいなくて寂しい。』」ビラール様(アッラーのご満悦あれ)は、思慕の気持ちが一層激しくなり、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を訪問するためにすぐに荷物をまとめました。
マディーナに着き、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の墓を訪れると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への思慕が募り、墓の前で彼の不在に涙を流していました。家を出ると、アブーバクル様とウマルさま(彼らにアッラーのご満足あれ)に会いました。二人は、彼に、「昔のようにアザーンを呼びかけてくれないか。アッラーの使徒のためにアザーンを呼びかけていた頃のように。」と頼みました。すると彼は「私にはもうアザーンを呼びかけることはできません。かつては、アザーンの前にいつもアッラーの使徒の部屋の側を通り、『礼拝です、礼拝です、アッラーの使徒よ。』と声をかけていました。でも今は、いったい誰に声をかければいいのでしょう・・」そう言うと彼らの申し出を断り立ち去りました。
そこを離れて少し行くと、預言者ムハンマド様(彼に祝福と平安がありますように)の孫のハサン様とフサイン様(彼らにアッラーのご満足あれ)が来て、彼を迎えました。お二人を見ると、彼は預言者ムハンマド様(彼に祝福と平安がありますように)の部屋でお二人を見た日々を思い起こしました。ある時は預言者ムハンマド様(彼に祝福と平安がありますように)の肩の上に、また胸に抱えられている彼らを見たことを、またある時は、お一人の手を引きもうお一人を抱きかかえておられたそのお姿を思い起こしました。そのお二人の姿を見ると、どんなに預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がお二人を愛しておられたかを思い出し、激しく泣き崩れ、お二人を抱き締めました。お二人の祖父(預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ))の匂いを思い出そうとするかのように。
お一人が彼に言いました。「ビラール、僕らの祖父のためにしていたあなたのアザーンを聞けなくて、僕らは寂しかったです。以前彼のためにアザーンを呼びかけていたように、僕らのためにアザーンを呼びかけてくださいませんか。」彼はお二人を見て泣きながら言いました。「アッラーに誓って、すでにアブーバクルとウマルにお断りしたところなのです。しかし、あなた方お二人に対して断ることができません。」
預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)とその子孫への愛情のために、ビラール様(アッラーのご満悦あれ)はそう言うと、かつてアザーンを呼びかけていた場所に上って行きました。そして声高らかにアザーンを呼びかけ始めました。
「アッラーフ アクバル(アッラーは偉大なり)、アッラーフ アクバル(アッラーは偉大なり)」
マディーナの町が震えました。ビラール様(アッラーのご満悦あれ)のお声への思慕によって。
「アッラーフ アクバル、アッラーフ アクバル」
アザーンを聞いて驚いた人々の泣き声と叫び声が響き渡ります。
「アシュハド アッラー イラーハ イッラッラー(私はアッラーだけが神であることを証言します。)」
家々から、人々が飛び出してやって来ます。口々に泣き叫びながら。「アッラーの使徒がお戻りになったぞ!アッラーの使徒が復活された!!」こう叫ぶ声と号泣で、町全体が震えました。町中の人たちの心の中に脈々と溢れる預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への大きな愛情によって、その町は震えました。そして、ビラール様(アッラーのご満悦あれ)が「アシュハド アンナ ムハンマダン(私はムハンマドが)・・・」という言葉まで来ると、どうしてもその後を続けられなくなり、泣き崩れました。
ビラール様(アッラーのご満悦あれ)がアザーンを呼びかけたこの日ほど、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が亡くなって以来、あんなにもマディーナの町が泣き声と悲しみに包まれた日はありませんでした。
「アシュハド アンナ ムハンマダン ラスールッラー」と聞いた時に、私たちの心の中に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)へのこの思慕はあるでしょうか?心で真に感じる愛情はあるでしょうか?ムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)がいなければ、私たちはアザーンを知ることもありませんでした。礼拝を知ることもありませんでした。アッラーを知ることさえありませんでした。
「ハイヤーアラッサラー」(日本語:礼拝へ来たれ)
アッラーが、こう呼びかけているのに、その場に座り続けていることができますか?すぐに立って礼拝をしに行きます。この言葉を聞いたら、「ラー ハウラ ワ ラー クウワタ イッラー ビッラー」(日本語:至高至大のアッラーの他にいかなる威力も強大なるものもありません。)と唱えます。自分は、自分の力で礼拝に立つのではなく、アッラーのタウフィーク(合意による成功)により立つことができるのだ、と感じながら、この言葉を繰り返します。
アザーンが終わったら、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に祝福祈願を送り、ワスィーラをドゥアーします。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこう言われたからです。
《あなたたちはムアッジンの詠唱を耳にした時には彼のいっていることを同じように繰り返しなさい。
それから私(預言者)を祝福しなさい。私を祝福した者は誰でもアッラーより10倍の祝福をうけるだろう。
それから私のためにワスィーラをアッラーに請いなさい。ワスィーラとはアッラーの下僕(信徒)達の中でただ一人のために用意された天国での特別席ですが、私はそのただ一人になることを望んで止みません。 私のためにこのワスィーラをアッラーに請うた者は誰でも最後の審判の際には私からの執り成しが保証されるでしょう。》ムスリム伝承
☆彡アザーンの後の祝福祈願☆彡
「アッラーフンマ ラッバ ハーズィヒッダアワティ ハーズィヒッダアワティッターンマティ、ワッサラーティルカーイマ 、ワッサラーティルカーイマ。アーティ ムハンマダニルワスィーラタ ムハンマダニルワスィーラタ ワルファディーラ。ワブアスフ マカーマン マハムーダニッラ マハムーダニッラズィー ワアッタフ、(インナカ ラー トゥフリフルミーアードゥ)。」
「アッラーよ、この完成された呼びかけと繰り返し続く礼拝の主よ、ムハンマドに天国における高い位階と栄誉を与え、あなたが彼に約束されたところの賞賛に溢れた位階に彼を蘇らせたまえ(本当にあなたは約束を反故にされる事がありません)。」
アザーンとイカーマの間にドゥアーをすると、受け入れられると言われています。両親のために、ドゥアーをしましょう。アッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の次に大事な方たちです。
これが礼拝に入るまでの準備段階です。
私たちが礼拝を待ち焦がれながら、アザーンを聞く機会にいつも恵まれますように。
ライラト ル カドルに出逢うための準備
大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年6月16日)
―― ライラト・ル・カドルに出会う為の準備をしなさい ――
アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。あらゆる賞賛は、慈悲の御心でラマダーン月を祝福なされる御方、アッラーのもの。その御方は、ラマダーン月を心からの悔悟と御赦しの為の月として設けられた。そして、ラマダーン月に至高のアッラーは、明快な規範と確かな教えとしてクルアーンを下された。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。ムハムマドSAWは、述べられた。「篤い信仰心をもって、報酬があることを信じて信仰行為に打ち込み、ライラト・ル・カドル(カドルの夜、高貴さと偉大さの夜)を迎える者は、それまでに犯した悪事を赦される。」
信者たちよ、至高のアッラーは、クルアーン・物語章において述べておられる。
「お前の主は、御望みのものを創られ、また、選ばれる。・・・」(28章 68節)
ラマダーン月は、神聖な時間の一つであり、信仰行為に励み、心からの御赦しを求める月として、アッラーが御選びになった。ラマダーン月は、人々がアッラーに御近づきになる為の最も相応しい時である。その上、ラマダーン月の終わりの十日間は、他の最良の時よりももっと素晴らしいものを秘めている日々である。アッラーは、限りのない愛をもって、ラマダーン月を祝福なされる。
信者たちよ、預言者さまSAWは、ラマダーン月の終わりの十日間には、一年の他の時以上に、信仰行為を行うことに努められた。そのラマダーン月の終わりの十日間の中には、信者たちが出会いたいと思う素晴らしい夜がある。預言者SAWの妻アイシャさま(平安を)によれば、預言者さまSAWは、ラマダーン月の終わりの十日間には、信仰行為に打ち込まれ、寝るよりも立っておられようとなされた。また、アイシャさま(平安を)は語ったと伝えられている。「預言者さまSAWは、ラマダーン月の終わりの十日間には、夜中中起きておられ、家族を起し、腰に帯を締められた。」 「腰に帯を締める」とうのは、最善の信仰行為に励もうと準備を十分に整えられたということである。ラマダーン月最後の十日間の夜には、報酬があることを信じて、タラウィーの礼拝、そして、タジュウィードの礼拝を逃さないように心掛けたいものである。
信者たちよ、ラマダーン月は、その昼も夜もやがて終わりを迎える。信仰篤いムスリムたちは、ラマダーン月がやがて終わりを迎えるというので声を掛け合う。ラマダーン月の終わりの十日間の中には、ライラト・ル・カドルがあるのである。ライラト・ル・カドルは、祝福された夜であり、至高のアッラーは、聖クルアーンを下す夜として選ばれた。アッラーは、クルアーン・煙霧章において述べておられる。
「誠、われは、祝福された夜に、これ(聖典クルアーン)を下した。・・・」(44章 3節)
即ち、クルアーンはカドルの夜に、最下天にまとめて下されたということである。天使ジブリールは、預言者さまSAWが出会う事件や事柄に従い、部分部分を23年間に亘って啓示として伝えられたのである。そして、最初の啓示がなされたのは、カドルの夜であったと言う。ところで、最下天とは、人間と天使とをつなぐ接点で、そこは、天使にとっては住処であり、我々にとっては天と称している屋根であり飾りである。この聖なる夜は、祝福に満ち溢れ、しもべたちを厚遇する為の時として、アッラーは、とても大切なものとしておられる。
「誠、われは、カドルの夜に、それ(クルアーン)を下した。」 「カドルの夜が何であるかを、お前たちに判らせるものは何か。」 「カドルの夜は、千の月よりも優る。」 「(その夜)天使たちと聖霊は、主の御許しによって、あらゆる神命をもたらし下る。」 「 平安である。暁の明けるまで。」(97章 1--5節)
天命章は、カドルの夜が、千の月よりも優る素晴らしい夜であり、天使たちは、住処である最下天(スドゥラット・アル・ムタハ)より降りて来るとことが描写されている。天使たちは、人々が祈願するのを聞いて、アミィーン(叶えられますように)と唱える為に降りて来るのである。預言者さまSAWは、述べておられる。「ライラト・ル・カドルは、ラマダーン月の終わりの十日間の間にある。そのカドルの夜をラマダーン月の終わりの十日間の中に見付けなさい。」 誠に、この清い夜に信仰行為の為に起きていて祈願する者は誰でも、御赦しが得られる。この清い夜に巡り会った者は、本当に幸せ者である。その夜になされた信仰行為や祈願は、千の月に行うものに優るのである。ライラト・ル・カドルは、ラマダーン月の終わりの十日間の中にあるが、どの日であるかを予想することは出来ない。ラマダーン月の終わりの十日間には、どの日にも熱心に信仰行為に励み祈願するがよい。
信者たちよ、最善の結果を期待するならば、ラマダーン月の終わりの十日間の夜には、起きていようとしなさい。そして、主を心から畏れる者は、きっと、幸せな結果を得る。預言者さまSAWは、述べておられる。「ラマダーン月の終わりの十日間の夜に、努力して目的を果たした者には、アッラーは、良いものの中の最良のものを与えて下される。アッラーの最良のものとは、それは楽園である。」 このことを知って、ラマダーン月の終わりの十日間には主の慈悲にすがり、ライラト・ル・カドルに巡り会う一人にして頂きなさい。
信者たちよ、ライラト・ル・カドルは、平穏平和で、信仰に満ちた夜であり、人々の間に論争や不和が起こらない夜である。アッラーは、クルアーン・天命章において述べておられる。
「平安である。暁の明けるまで。」(97章 5節)
心の中の恨み、妬み、憎しみなどの感情を打ち払い、神聖な夜を受け入れるに十分な準備を整えようではないか。
預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。
アッラーよ、ライラト・ル・カドルに巡り会い、あなたさまの御満足が得られる者であるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまの慈悲によって、忠実なしもべであるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。
アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。
アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。
アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン