私はムスリムです

私は日本人改宗ムスリムです。イスラームについて学んだことをシェアしているブログです。

礼拝の意味

ムスリム学びチームより

 

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において     
              2017年6月21日                                                                                                                                    
 ラマダーン☆彡スペシャル 
アッラーを望む人よ20 -心の病の治療法「礼拝の意味 2」-

ハビーブ・アリー・ジェフリー先生の「アッラーを望む者よ15(13:00~最後)」参照
https://www.youtube.com/watch?v=Xb8tEikbhHE
私達を地獄へと誘うシャイターンをアッラーが鎖につないでおいてくださるラマダーンは、もう一方の敵ナフス(自我)を治療する、とてもよいチャンスです。このラマダーンに、私達の心の中に巣食ういくつかの心の病と向き合って治療しようというプログラムをお送りします、インシャーアッラー

これまでのラマダーンに、心に汚れが入って来る悪い窓を閉めた後の心を浄化する方法や、窓を閉めることを知る前に、心に侵入し根付いてしまった汚れから心を浄化する方法、内面と外面の浄化についてお送りしました。今年は、それらを行うためのナフス(自我)の訓練の仕方についてです、インシャーアッラー

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「礼拝の意味2」

ナフス(自我)に逆らう訓練の具体的な方法、その最も大事なものが、一日に五回の礼拝を時間通りにきちんと行うことです。本来の礼拝の意味は、「愛する御方との約束の時間」です。待ち遠しく、心躍るものです。この本来の意味を理解した上で行う礼拝にするため、前回は2つのことについて説明しました。

1 合同礼拝
2 最も良い時間帯

今回は、その3つ目です。
3 義務の礼拝の準備

・礼拝時間に入る前に、礼拝を待ち望むこと:
アザーンが鳴る前に、礼拝時間に入る準備を万端にしておくことです。日本では、街中でアザーンを聞くことはできませんが、携帯のアプリなどでアザーンが鳴るように設定していらっしゃる方もいるでしょう。アザーンに不意を突かれ、驚かされることがないようにしましょう。「あら、もう礼拝の時間に入ってしまった。ああ、今、ちょうどこの仕事をやり始めたところなのに、、、、」この一瞬の当惑には、礼拝の時間に入ったことを煩わしく思う、負担に思う気持ちが含まれています。これは問題です。アッラーを求める人が、愛するアッラーとの面会の時間に入ったことが、「面倒に感じる」というのは、とても危険な状態です。

「もちろん、私は礼拝しますよ、きちんと時間通りに、仕事も後回しにして、すぐに礼拝に立ちます。だから、いいじゃないですか!」そう思うかもしれません、でも礼拝時間に入ったことを一瞬でも「煩わしく感じる」という心の状態は、まるで、「ああ、今でなくて、もう少し後だったらよかったのに。。。」と言っているかのようです。会えるのを待ちに待った、愛する人との面会時間になって、「いや、今でなく後にして!」と言う人がいるでしょうか。礼拝時間に入るほんの数分前でも構いません。礼拝を恋しく切望する気持ちを持って、礼拝時間に入るのを待ってみましょう。

礼拝時間に入ってすぐに礼拝をする人もいれば、「この仕事がひと段落着いてから、礼拝に立とう。」と、礼拝を始める時間を遅らせる人もいます。そうしているうちに、最初の最も良い時間帯が過ぎてしまい、礼拝が嫌悪される時間帯に入ってしまうこともあります。例えば、アスルの礼拝を遅らせて、マグレブの直前になってしまうと、もちろん礼拝はしなければなりませんが、その時間帯は、嫌悪される時間帯です。どうして、私たちは、愛する御方との面会時間を、「嫌悪される時間帯」まで遅らせることができるのでしょうか。

それよりも悪い状態は、礼拝の中の最後のサラームが終わった途端に、次のアザーンが鳴り次の礼拝時間に入る、という状態で、ギリギリの最後の最後の時間に礼拝をする、という状態です。もしかしたら、時計が1,2分狂っていて、その礼拝は、礼拝時間内にできていなかったけれど、気付かずにいるかもしれません。

これよりも悪い状態がありますか?礼拝時間が過ぎて終わってしまったのに、まだ義務の礼拝をしていない状態!!!なんということでしょうか。アッラーを望む人が、アッラーとの約束の時間を過ぎて、礼拝をまだしていない、、、、任意の礼拝のことではありません。義務の礼拝、アッラーが、あなたに命と体を与えますから、これだけはしてください!!と私たちに命じている義務の礼拝、数分もあればできることを、約束の時間内にやっていない!!!そんなことがあっては絶対になりません。

礼拝時間を、礼拝を切望する気持ちで待ってみましょう。その習慣をつけましょう。それによって、もし、多忙な日に、気がついたら礼拝時間になっていた、ということがあったとしても、私たちの心の状態が以前とは違います。もう、礼拝時間に入ったことを「面倒に思う気持ち」はなくなり、嬉しく思う気持ち、「もう礼拝ができる!という喜びの気持ち」が沸き上がるようになるでしょう、インシャーアッラー

アザーンを聞いた時には:

アッラーフアクバル、アッラーフアクバル。」
この最初のアザーンを聞いたら、すべての事を中止します。それまでやっていたこと、仕事、おしゃべり、運動、すべてです。昔の敬虔な方は、木を切ろうと斧を振りかざしたときにアザーンを聞いたら、その斧を振り下ろさずに中断し、縫物をしていて、針を布に刺したところだったら、それを抜かずに手を止めたそうです。そして、「アッラーフアクバル、アッラーフアクバル。」アザーンの言葉通りに、自分でも意味を感じながら繰り返して言います。

アッラーフアクバル(アッラーは偉大なり)」というのは、アッラーが何よりも大きい、という意味ではありません。アッラーは他の物と比べる対象ではありません。例えば、「宇宙は蟻よりも大きい」とは言わないでしょう。そんなことは当然で、あえて言うことが無意味だからです。では、「アッラーフアクバル」とは、どういう意味でしょうか。アッラーが私たちを礼拝に呼びかける時、心の中に浮かんだ、他のどんなことよりも、自分の財産よりも、家族よりも、子どもよりも、仕事よりも、今日の会議よりも、何よりも、どんなものよりも、アッラーが最も重要だ、アッラーが自分に呼びかけている礼拝時間が、何よりも最も重要だ、ということです。また、自分がアッラーは偉大だ、と思うよりも、アッラーはずっと偉大であり、自分がアッラーは寛大だ、と思うよりも、アッラーはずっと寛大であり、常に自分の頭に浮かぶよりもアッラーは偉大だ、という意味です。

「アシュハド アッラー イラーハ イッラッラー」(日本語:私はアッラー以外に神はないことを証言します)
この意味を心で感じながらアザーンを聞けば、アザーンの度に、アッラーのご慈悲が下りほどの言葉です。クルアーンにこうあります。

アッラーはかれの外に神がないことを立証なされた。天使たちも正義を守る知識を授った者もまた(それを証言する)。偉力ならびなく英明なかれの外に、神はないのである。】クルアーン3-18
【شَهِدَ اللَّهُ أَنَّهُ لَا إِلَهَ إِلَّا هُوَ وَالْمَلَائِكَةُ وَأُولُو الْعِلْمِ قَائِمًا بِالْقِسْطِ لَا إِلَهَ إِلَّا هُوَ الْعَزِيزُ الْحَكِيمُ】

私たちが、「アシュハド アッラー イラーハ イッラッラー」と言う時、思い出します。自分の証言は、アッラーが証言なさったこととつながっていることを、そして、その光栄さを心で感じます。アッラーが、クルアーンの中で証言なさったことと同じことを、自分が証言していることを感じながら、アザーンの後に続いて「アシュハド アッラー イラーハ イッラッラー」と言います。

そして、「ラー イラーハ イッラッラー」(日本語:アッラー以外に神はない)という言葉を言いながら、心の中から、アッラー以外の物をすべて追い出します。

「アシュハド アンナ ムハンマダン ラスールッラー」(日本語:私はムハンマド様がアッラーの使徒だということを証言します)
大好きなムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)の名前が言及されました。このお名前を聞いた時、私たちの心の動きはどうでしょうか。アザーンの中の「ムハンマダン」とお名前を聞いた時、この名前が、私たちの心にどう作用するでしょうか。どんな風に心を動かすでしょうか。

ビラール様(アッラーのご満悦あれ)は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が亡くなられた時、その悲しみの深さから、マディーナを離れました。「ビラール、マディーナから出て行くのか?」と尋ねられたとき、彼は「そうです。私にはここに居続けることができません。本当は離れたくはない。しかしこの地は、私にアッラーの使徒のことを思い出させてやまないのです。ここではどの家を見てもアッラーの使徒のことを思い出さずにいられない・・。私はここに居ることはできない・・・」

そう言うと彼は、シャーム地方へ旅立ちました。そして現在のシリアのダーリーアという町で結婚しそこに住んでいました。ある朝目覚めると、彼は涙を流し泣いていました。「どうしたのですか?」と聞かれると、こう言いました。「昨晩、アッラーの使徒を見ました。そして、彼が私にこうおっしゃいました。『ビラールよ、この疎遠さはどうしたのですか。もう私を訪問してはくれないのですか?』別の伝承では『私のことが恋しくはないのですか?私は、あなたがいなくて寂しい。』」ビラール様(アッラーのご満悦あれ)は、思慕の気持ちが一層激しくなり、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を訪問するためにすぐに荷物をまとめました。

マディーナに着き、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の墓を訪れると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への思慕が募り、墓の前で彼の不在に涙を流していました。家を出ると、アブーバクル様とウマルさま(彼らにアッラーのご満足あれ)に会いました。二人は、彼に、「昔のようにアザーンを呼びかけてくれないか。アッラーの使徒のためにアザーンを呼びかけていた頃のように。」と頼みました。すると彼は「私にはもうアザーンを呼びかけることはできません。かつては、アザーンの前にいつもアッラーの使徒の部屋の側を通り、『礼拝です、礼拝です、アッラーの使徒よ。』と声をかけていました。でも今は、いったい誰に声をかければいいのでしょう・・」そう言うと彼らの申し出を断り立ち去りました。

そこを離れて少し行くと、預言者ムハンマド様(彼に祝福と平安がありますように)の孫のハサン様とフサイン様(彼らにアッラーのご満足あれ)が来て、彼を迎えました。お二人を見ると、彼は預言者ムハンマド様(彼に祝福と平安がありますように)の部屋でお二人を見た日々を思い起こしました。ある時は預言者ムハンマド様(彼に祝福と平安がありますように)の肩の上に、また胸に抱えられている彼らを見たことを、またある時は、お一人の手を引きもうお一人を抱きかかえておられたそのお姿を思い起こしました。そのお二人の姿を見ると、どんなに預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がお二人を愛しておられたかを思い出し、激しく泣き崩れ、お二人を抱き締めました。お二人の祖父(預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ))の匂いを思い出そうとするかのように。
お一人が彼に言いました。「ビラール、僕らの祖父のためにしていたあなたのアザーンを聞けなくて、僕らは寂しかったです。以前彼のためにアザーンを呼びかけていたように、僕らのためにアザーンを呼びかけてくださいませんか。」彼はお二人を見て泣きながら言いました。「アッラーに誓って、すでにアブーバクルとウマルにお断りしたところなのです。しかし、あなた方お二人に対して断ることができません。」

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)とその子孫への愛情のために、ビラール様(アッラーのご満悦あれ)はそう言うと、かつてアザーンを呼びかけていた場所に上って行きました。そして声高らかにアザーンを呼びかけ始めました。

アッラーフ アクバル(アッラーは偉大なり)、アッラーフ アクバル(アッラーは偉大なり)」

マディーナの町が震えました。ビラール様(アッラーのご満悦あれ)のお声への思慕によって。

アッラーフ アクバル、アッラーフ アクバル」

アザーンを聞いて驚いた人々の泣き声と叫び声が響き渡ります。

「アシュハド アッラー イラーハ イッラッラー(私はアッラーだけが神であることを証言します。)」

家々から、人々が飛び出してやって来ます。口々に泣き叫びながら。「アッラーの使徒がお戻りになったぞ!アッラーの使徒が復活された!!」こう叫ぶ声と号泣で、町全体が震えました。町中の人たちの心の中に脈々と溢れる預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への大きな愛情によって、その町は震えました。そして、ビラール様(アッラーのご満悦あれ)が「アシュハド アンナ ムハンマダン(私はムハンマドが)・・・」という言葉まで来ると、どうしてもその後を続けられなくなり、泣き崩れました。

ビラール様(アッラーのご満悦あれ)がアザーンを呼びかけたこの日ほど、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が亡くなって以来、あんなにもマディーナの町が泣き声と悲しみに包まれた日はありませんでした。

「アシュハド アンナ ムハンマダン ラスールッラー」と聞いた時に、私たちの心の中に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)へのこの思慕はあるでしょうか?心で真に感じる愛情はあるでしょうか?ムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)がいなければ、私たちはアザーンを知ることもありませんでした。礼拝を知ることもありませんでした。アッラーを知ることさえありませんでした。
ハイヤーアラッサラー」(日本語:礼拝へ来たれ)
アッラーが、こう呼びかけているのに、その場に座り続けていることができますか?すぐに立って礼拝をしに行きます。この言葉を聞いたら、「ラー ハウラ ワ ラー クウワタ イッラー ビッラー」(日本語:至高至大のアッラーの他にいかなる威力も強大なるものもありません。)と唱えます。自分は、自分の力で礼拝に立つのではなく、アッラーのタウフィーク(合意による成功)により立つことができるのだ、と感じながら、この言葉を繰り返します。

アザーンが終わったら、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に祝福祈願を送り、ワスィーラをドゥアーします。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこう言われたからです。

《あなたたちはムアッジンの詠唱を耳にした時には彼のいっていることを同じように繰り返しなさい。
それから私(預言者)を祝福しなさい。私を祝福した者は誰でもアッラーより10倍の祝福をうけるだろう。
それから私のためにワスィーラをアッラーに請いなさい。ワスィーラとはアッラーの下僕(信徒)達の中でただ一人のために用意された天国での特別席ですが、私はそのただ一人になることを望んで止みません。 私のためにこのワスィーラをアッラーに請うた者は誰でも最後の審判の際には私からの執り成しが保証されるでしょう。》ムスリム伝承

☆彡アザーンの後の祝福祈願☆彡
アッラーフンマ ラッバ ハーズィヒッダアワティ ハーズィヒッダアワティッターンマティ、ワッサラーティルカーイマ 、ワッサラーティルカーイマ。アーティ ムハンマダニルワスィーラタ ムハンマダニルワスィーラタ ワルファディーラ。ワブアスフ マカーマン マハムーダニッラ マハムーダニッラズィー ワアッタフ、(インナカ ラー トゥフリフルミーアードゥ)。」
アッラーよ、この完成された呼びかけと繰り返し続く礼拝の主よ、ムハンマドに天国における高い位階と栄誉を与え、あなたが彼に約束されたところの賞賛に溢れた位階に彼を蘇らせたまえ(本当にあなたは約束を反故にされる事がありません)。」

アザーンとイカーマの間にドゥアーをすると、受け入れられると言われています。両親のために、ドゥアーをしましょう。アッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の次に大事な方たちです。

これが礼拝に入るまでの準備段階です。
私たちが礼拝を待ち焦がれながら、アザーンを聞く機会にいつも恵まれますように。