私はムスリムです

私は日本人改宗ムスリムです。イスラームについて学んだことをシェアしているブログです。

聖ラマダン月の過ごし方

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2018年5月18日)

―― 聖ラマダーン月を有意義に過ごしなさい ――

 

称賛は、人々への導きとして聖クルアーンを下されたアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドSAWは、預言者であり、御使いであることを証言する。預言者ムハムマドSAWは、述べられた。「クルアーンを読誦しなさい。審判の日には、クルアーンは、読誦した者に立ち会って弁護をしてくれる。」

 

信者たちよ、何をおいても、アッラーを畏れなさい。

アッラーは、クルアーン・イムラーン家章において述べておられる。

「お前たち信仰する者よ、十分な畏敬の念をもってアッラーを畏れなさい。お前たちは、ムスリムでなくして死んではならない。」(3章 102節)

 

信者たちよ、我々は今、聖ラマダーン月の中にある。ラマダーン月は、我々にとっての大切な来客のようなものであり、アッラーは、この偉大な月によって我々に御恵みを増加して下される。アッラーは、信者たちが信仰行為を沢山行い、善行を沢山積むことによって、御自分に近づく機会として、この月ラマダーン月を設けられた。また、アッラーは、我々の位階を高め、我々に大きな報酬を授ける為に、この月ラマダーン月を設けられた。アッラーの御使いSAWは、「聖月ラマダーン月が訪れている。アッラーは、この月の昼間断食斎戒しなさいと命じておられる。ラマダーン月が来ると天国の扉という扉は開かれる。一方、火獄の扉は閉じられ、扉には錠前が下ろされる。そして、悪魔たちはしっかりと鎖でつながれてしまう。」と述べられた。この月の中に、千月にも勝る一夜をアッラーは、御用意なされている。その夜には、良いことを仕損じることがないようにしたいものである。

 

信者たちよ、断食斎戒は、種々の信仰行為の中の一つである。それは、むしろ、最良の信仰行為であり、アッラーの御側に近づく手立てである。断食斎戒は、犯した悪事を消滅する程に大事な信仰行為である。アッラーの御使いSAWは、述べられた。「ラマダーン月に、アッラーからの報酬を信じて断食斎戒する信仰篤い者は皆、これまで犯した悪事を赦される。」 また、アッラーの御使いSAWは、述べられた。「至高のアッラーは、『断食斎戒を除き、人間の行為の一つ一つは、その者の為である。その一方で、断食斎戒は、わが為にある。故に、われは、それに対して特別の報酬を与えるであろう』と申された。」

 

信者たちよ、この月ラマダーン月が聖月であることの一つとして、アッラーがこの月ラマダーン月の一夜を選ばれ、聖典クルアーンを下されたことが上げられる。アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

ラマダーン月こそは、人類の導きとして、また、導きと(正邪の)区別や判別を明かすものとして、クルアーンが下された月である。・・・」(2章 185節)

この月に、聖典クルアーンを下されることでアッラーは、人々に正しい教えを与える機会となされた。多くを学び、魂を呼び覚まし活力を保ちつつ、あらゆる事柄に注意を払うことの大切さについての教えと導きが、そこには揃っている。断食斎戒と聖典クルアーンとについては、それが特別な事柄であるとしてアッラーによって語られている。即ち、アッラーが語られる特別な事柄とは、ヒダヤ(導き)とタクワ(敬虔さ)とである。

聖典クルアーンについてアッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「それこそは、疑いの余地のない啓典である。その中には、主を畏れる者たちへの導きがある。」(2章 2節)

そして、断食斎戒についてアッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「信仰する者よ、お前たち以前の者に定められたように、お前たちにも断食斎戒が定められた。きっと、お前たちは、主を畏れるであろう。」(2章 183節)

断食斎戒と聖典クルアーンとは、敬虔の念を自分のものとするのを確実にする為のものである。断食斎戒を行うことと、聖典クルアーンを読誦することとは、共に良い行いである。断食斎戒は、主よ、私は、昼間その者に飲食し娯楽を楽しむことを禁じたので、彼を弁護することを御許可下さいと言うであろう。また、聖典クルアーンは、夜半その者が眠ることを阻止したので、彼を弁護することを御許可下さいと言うであろう。聖典クルアーンは、それを読誦したアッラーのしもべの為に、審判の日には、弁護をしてくれるのである。即ち、断食斎戒と聖典クルアーンの両者は、審判の日に弁護を申し立てるということである。

 

断食斎戒と聖典クルアーンとの良い係わりとは何なのか。それは、断食斎戒は、魂の浄化、心の活性化、思慮深さを身に着けること、そうしたことへと導く源泉である。断食斎戒を行いなうことで、思慮深いとはどういうことであるかの意味を理解することとなる。一方で、聖典クルアーンの読誦者というものは、敬虔さを身に着けており、この上ない賢明さを獲得していることが要求されることとなる。

アッラーは、クルアーンサード章において述べておられる。

「われがお前たちに下した啓典は、祝福に満ち、その印を沈思黙考する為のものであり、また、思慮ある者たちへの訓戒である。」(38章 29節)

 

信者たちよ、また、アッラーは、聖典クルアーンを記憶し、その教えに従うように命じておられる。記憶し理解し、その教えに従う為には、それを慎重に熱心に読誦しなければならないのである。

アッラーは、クルアーン・衣を纏う者章において述べておられる。

「あるいは、もっと(礼拝に立て)。そして、ゆっくりと慎重に、クルアーンを読め。」(73章 4節)

ラマダーン月は、聖典クルアーンの月であると言える。敬虔な年配者は、その意味を理解しなさい。この月の間中、聖典クルアーンを沢山読誦することは大切なことである。敬虔な年配者は、ラマダーン月毎に、何度も全部を読誦してきたことであろう。

 

信者たちよ、アッラーを畏れなさい。アッラーに御会いする日、即ち、審判の日の為に、しっかりした信仰心で自分の行いを正しなさい。ラマダーン月の夜に行う礼拝には、預言者さまSAWが約束なされるように、成功の為の偉大な報酬である。預言者さまSAWは、「ラマダーン月に、アッラーからの報酬を期待し、そして、信じて夜の礼拝を行う者は皆、これまでに犯した悪事を赦される。」と述べられた。ラマダーン月の夜に行う礼拝とは、タラウィー礼拝のことであり、可能な限りマスジドで行おうではないか。そして、信者たちがアッラーに御近づきになる為の最良の信仰行為とは、夜半の任意の礼拝である。ラマダーン月は、夜を徹して信仰行為を行う良い機会である。断食斎戒によって、夜半の礼拝によって、アッラーを讃えこの良い機会を生かそうではないか。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、聖ラマダーン月の徳を生かすことが出来る者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW  に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アミィーン