私はムスリムです

私は日本人改宗ムスリムです。イスラームについて学んだことをシェアしているブログです。

来世に備え現世を生きる

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2018年2月16日)
―― 来世に備え現世を生きなさい ――

あらゆる賞賛は、アッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには、共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

信者たちよ。困難に出会ったら、アッラーに御助けを求めなさい。アッラーは、人生というものを、運命が定まっているとはいうものの、変わり得るように創造なされた。賢明な人生とは、アッラーに従順であることにより自分を変え、アッラーの御悦びを求めるものである。そのする信者は、主への感謝の心を持ち、現世と来世の為の良いことを行い、アッラーに沢山の祈願をする。アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。 
「また、人々の中には(祈って)、『主よ、現世で私たちに幸いを賜り、また、来世でも幸いを賜り下さい。火の懲罰から、私たちをお守り下さい。』と言う者がある。」(2章 201節)

アッラーが御満足なされる者と言えば、感謝を忘れず、困難に出会ったら忍耐を続ける者である。また、そうした者は、困難に出会ったならば、アッラーを信じるが故に、その困難が取り払われるようにと祈願する。
アッラーは、クルアーン・物語章おいて述べておられる。
アッラーがお前に与えられたものの中に、来世の住まいを求めなさい。現世での自分の分を忘れてはならない。そして、アッラーがお前に善いものを与えられているように、お前も最善を尽くしなさい。・・・」(28章 77節)
人生は、ままならないものである。或る日は喜びに満ち、その翌日が同じであるとは限らない。
アッラーは、クルアーン・イムラーン家章において述べておられる。
「・・・われは、人間の間に(様々な運命の)こんな日を交互に授ける。・・・」(3章 140節)
ここでは、人生とは、安心と悲しみ、出会いと別れ、病気と健康、満足と不自由といったことが繰り返される日々の経過であることが述べられている。至高のアッラーは、クルアーン・胸を広げる章において述べておられる。 
「誠に、困難と共に、安楽はあり、」「誠に、困難と共に、安楽はある。」(94章 5--6節)
この現実に気付かずにいると、人は、現実に出会って、不安、落ち込み、苦痛を感じる。こうした現実に気付かない人は、困難に出会って悩み、起こったことや不幸を嘆き塞ぎこむ。こうした人は、信仰行為を行おうとしないだろう。それについて、預言者さまSAWは、とても心配なされる。預言者さまSAWは、「アッラーよ、労苦や苦悩から、無力や怠惰に陥らないように御護り下さい。」と祈願しておられた。悩みの大小にかかわらず、いかなる種類の怠惰、無力に起因するものであっても、至高のアッラーに御助け願おうではないか。アッラーは、この上なく御優しく、この上なく憐み深い御方なのであるから。

信者たちよ。いかなる種類のものであっても困難に出会ったら、アッラーを思い、アッラーを思い続けることである。困難から抜け出す為の他の手段はないのである。大きな不幸に直面したら、信仰行為に務め、教えに従い忍耐すしなさい。預言者さまSAWは、「自分が好まないことに忍耐するなら、自分にとって良いことがあると知りなさい。そこでは、困窮は解け、困難は弱まり、勝利が訪れる。」と述べられた。困難や悲しみに出会ったならアッラーを思い、困難や悲しみを素直に受け入れることをためらってはいけない。そうすれば、善行が増し、悪事が除かれ、アッラーの御目にとって位階が増すのである。預言者さまSAWは、「犯した悪事が償われることなしに、不快、困難、病気、精神的なものを含む困窮に襲われる信者はいない。」と述べておられる。アッラーは、困難を取り除き、救い出してあげるから祈りなさいとの呼び掛けを、クルアーン・蟻章において述べておられる。
「苦難の際に祈る時、誰がそれに答えて災難を除き、お前たちを地上の後継者とするのか。アッラーと共に(それが出来る他の)神があろうか。だが、お前たちは、少しも留意することがない。」(27章 62節)
第一に、アッラーを信じ、御赦しを願いなさい。そうすれば、困難に出遭った時に助けて下さる御方を見い出すだろう。アッラーは、慈悲の御心により人々の困難の原因を弱められる御方であられることを知っておきなさい。

信者たちよ。主が御悦びになられることを行いなさい。それは、現世が大事であると思うことではない。来世に目を向けなさい。預言者さまSAWは、「現世のことばかりを思う者について、アッラーは、その者を困惑させ、常に自分は足りていないとの不安を抱かせられる。現世でその者は、運命づけられた以外の何物をも与えられはしない。来世のことを思う者については、アッラーは、その者の為になるように物事を図り、失敗しても満足と思わせ、そして、生活に必要なものは、確実にその者のところに来る。」と述べておられる。一番幸せな者とは、来世を望み、現世では欲望を掻きたてるものを入手したいと望まない者である。そうした者は、現世で善行を積もうと心掛け、来世に備えようとする。アッラーは、クルアーン・夜の旅章において述べておられる。
「しかし、誰でも来世を望み、それに向かい精を出して努力し、信仰する者、これらの者の努力は報いられる。」(17章 19節)
アッラーが望まれることを理解し、それに思いを寄せる者は、アッラーを信じ、アッラーの教えを守って行動する。即ち、良いことを行い、悪いことを避ける。信仰する者たちは、自分のこと、家族のこと、学ぶこと、仕事のこと、話をすること、行うことについて、至高のアッラーが御望みであられることに合致しているかどうかに思いを寄せる。そうすることが、現世と来世において目的を達成する上で大事なことなのである。

信者たちよ。預言者さまSAWは、アッラーの御満悦を得られるようにと願い、人々にアッラーの教えを広めようと努め、現世と来世では何を優先し利益を得るかを熱心に説かれたのである。
アッラーは、クルアーン・悔悟章において述べておられる。
「今、使徒がお前たちの為に、お前たちの間からやって来た。彼は、お前たちの悩みごとに心を痛め、お前たちの為に、とても心配している。信者に対し優しく、また、情け深い。」(9章 128節)
預言者さまSAWは、憐みの気持ちの故に、イスラームを信仰しようとしない人を目にして悲しみに襲われた。
アッラーは、クルアーン・詩人たち章において述べておられる。
「彼らが信者になろうとしないが故に、あなた(預言者ムハムマド)はきっと、死ぬ程苦悩していることであろう。」(26章 3節)
この章節では、アッラーを信じようとしない者の悲運を思い、預言者さまSAWがどれほど悲しまれたかが述べられている。預言者さまSAWは、啓示を広めることを役目として引き受けられ、それを伝えきるまで生きられた。人々を育成し、公正を行き渡らせられ、団結の心を植え付け、尊重し合う心を植え付けられたということである。
預言者さまSAWについて、至高のアッラーは、クルアーン・預言者章において述べておられる。
「われは、ただ、万有への慈悲として、あなた(ムハムマド)を遣わしただけである。」(21章 107節)

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ、来世に備え現世を生きる者であるように御力添え下さい。
アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。
アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。
アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

預言者様(SAW)を愛するということ

アッサラームアライクム ワラハマトゥッラーヒ ワバラカートゥフ

イスラーム学びチームからのメールをコピーしました。

 


預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を愛すること(中級編)
イスラームでは、アッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を愛することは、信仰を深めるのに重要な要素となる。
皆さん,想像してみて下さい。自分の愛する人のためにどんな行動を取るでしょうか?
愛情があれば自分が好きなことより相手の好きなことを優先させるはず。
好きな人のために頑張ることが出来る。また、愛情があれば、傲慢さや自分がすごいと思ったり妬みなどの感情から無縁となり純粋に愛する人のために行動をとることでしょう。
自分の愛する人が預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)なら。。。
礼拝やイバーダに今より心を込めて行うことが苦なく出来る。「愛する」ことで心から喜んで行いをすることが出来るでしょう。
預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への愛情を増やすには?
1.ドアーをする
愛情は、アッラーから投げ込まれる感情でドアーすればアッラーから必ず与えられる。
2.預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を知る
預言者伝、シャマーイル、ハディース、サハーバ物語を読む
3.祝福祈願をする
ひたすらやり続ける1日300回。とくに金曜日は、祝福祈願をすると良いとされている。
4.スンナの実践
スンナを実践するとき預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のことを考えながら行う。
5.預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を愛している人と一緒にいる
もしみじかにいなければ、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を好きな人が書いた本を読む

日々ご自分が出来る範囲から意識的に預言者様(彼の上アッラーの祝福と平安あれ)を愛する気持ちを増やしていきましょう。
預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への愛情を与えて下さい。アーミーン


ワッサラームアライクム ワラハマトゥッラーヒ ワバラカートゥフ

★追記;イスラーム学びチームより1か月3回程度の割り合いで配信させていただいています。
今までの内容から等、皆様の感想や要望をお寄せいただけるなら幸いです。

送り先は、islamanavi@gmail.com

アッラーをあいするということは

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年11月24日)
―― 自分よりも誰よりも預言者さまSAWを愛するということ ――

あらゆる賞賛は、アッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

あらゆる感謝は、我々が助けを求め、御赦しを願う御方、アッラーへのもの。我々は、心にひそむ悪から、犯した悪事の報いから御加護下さるようにアッラーに御願する。アッラーが導かれた者が、道を踏み外させられることはなく、アッラーが誤った道に導かれた者が、正しい道を見つけることもないのである。
アッラーは、クルアーン・イムラーン家章において述べておられる。
「お前たち信仰する者よ、十分な畏敬の念でアッラーを畏れなさい。お前たちはムスリムでなくして死んではならない。」(3章 102節)

信者たちよ、至高のアッラーは、自分を愛することは、即ち、預言者さまSAWを愛することであると、クルアーン・イムラーン家章において述べておられる。
「言ってやるがいい。『あなたがたがもし、アッラーを愛するならば、自分(使徒ムハムマド)に従いなさい。そうすれば、アッラーもあなたがたを愛され、あなたがたの罪を赦される。アッラーは、寛大で慈悲深くあられる。」(3章 31節)
我々のお手本であるムハムマドSAWは、次のように述べておられる。「あなたがたの誰でも、自分の父親、子供、その他の誰か以上に私を愛するまでは信仰心篤いとは言えない。」 こう語ることで預言者信者さまSAWは、自分への愛は、そのことがアッラーへの心からの崇拝の証であると述べておられるのである。アッラーの御使いSAWを愛することについてのハディースがある。「ウマール・ビン・ハッタブ師が預言者さまSAWに、『御使いよ、自分自身を除いて誰よりもあなたさまを大事に思っています。』と言ったところ、『私の命を握っておられる御方に誓って、自分自身よりも私を大事に思うようになるまでは、あなたの信仰が十分であるとは言えません。』との答えがあった。それで、ウマール師は、『今、私は、アッラーに誓って、私にとってあなたさまは、自分自身よりも大事です。』と言った。預言者さまSAWは、『ウマールよ、良かった。(敬虔な者の仲間となった。)』と言われた。」 

信者たちよ、こうして、預言者さまSAWへの敬愛と尊敬の念は、教友たちの心に確実に根付き、預言者さまSAWに相対する心構えとして、しっかりと反映されるものとなった。教友たちの善良さと、深い敬愛の念の持続というものが、預言者さまSAWを如何に愛するかという最良の手本となったのである。次のことが伝わっている。或る男が預言者さまSAWの許にやって来て、『アッラーの御使いよ、私は、自分自身、家族、子供よりもあなたを愛しています。家にいる時にあなたを思い、おそばに来てお会いするのを待っているのが辛くなることがあります。自分の死とあなたの死について考えると、あなたが天国に入るのは預言者であるが故と承知しています。それで、私が天国であなたのお会いできるのかどうか心配になります』と言った。預言者さまSAWは、啓示が下るまで、それに答えることはなかった。それに係わる啓示とはいかなるものなのか。アッラーは、クルアーン・婦人章において述べておられる。
アッラーと使徒に従う者は、アッラーが恩恵を施された預言者たち、誠実な者たち、殉教者たちと正義の人々の仲間となる。これらは、何と立派な仲間たちであることよ。」(4章 69節)
アリー・ビン・アブー・ターリブ師は、預言者さまSAWを愛することについて問われ、次のように答えた。「アッラーに誓って、預言者さまSAWは、自分の財産、子供、両親、喉の渇きをいやす一杯の冷たい水よりも私にとって大事です。」 また、ザイド・ビン・ダシナ師がイスラーム宣教に反対するクライシュ族の一団に捕まった時の事が語られている。「ムハムマドがここで首を落し、お前が仲間と共に生きていることを望みはしないのか。」と聞かれ、「自分が家族と共に生きているよりは、預言者さまSAWが苦しまれることがないことを望む。喩え、とげが刺さった程度であっても預言者さまSAWが苦しまれるなど自分には我慢がならないことだ。」と答えたという。預言者さまSAWを愛する気持ちについて言えば、サイド師のそれは、教友たちの中でも最も強いものなのである。

信者たちよ、預言者さまSAWが、いよいよマディナへ移住すべき時期が来た。預言者さまSAWは、アッラーがマディナへ旅立つように命じられたことを、アブー・バクル師(平安を)に伝えるのである。このことについて、アイシャさま(平安を)は、語っている。「或る昼間、家で座っていると、誰それが、父アブー・バクルに、『ここにいる方は、預言者さまです。』と言った。その方は、頭から顔までかぶり物で覆っていたのだが、この時間に被り物をしてこの家を訪ねたことなどなかったのであった。父アブー・バクルは、『急ぎの用事があってここに来たれたに違いない。私の両親を犠牲にしてでもお力添えしましょう。』と言った。預言者さまSAWは、家の中に招き入れられたが、家に入るやアブー・バクル師に、『人払いをお願いします。』と言った。それを聞いて父アブー・バクルは、『知らぬ人たちではなく、皆あなたの兄弟たちばかりです。御使いよ、父を犠牲にもしましょう。何なりと言いつけて下さい。』と言った。預言者さまSAWが、『マッカを離れるようにと、アッラーからの命令がありました。』と言うと、アブー・バクル師は、『父を犠牲にしてでも、私がお供することとしましょう。』と言った。アイシャ(平安を)は、父アブー・バクルがその時、喜びで涙を流す程に幸せそうだったことを思い出し、父アブー・バクルのその姿を見るまでは、喜びの余りそれ程までに涙を流す人を見たことはなかったと語っている。」

信者たちよ、アッラーを愛することは、天国に導かれ、預言者さまSAWと教友たちと天国で一緒になる特権を得る為の備えである。アナス・ビン・マリク師は述べている。「預言者さまSAWにある男が、『最後の時とはいつの事ですか。』と言うので、預言者さまSAWは、『最後の時の為に、あなたはどんな備えをしていますか。』と尋ねた。『備えと言えば、アッラーと預言者さまSAWを愛することです。』と男が言い、『あなたが愛する者と共にいられるでしょう。』と答えられた。」 アナス師は述べている。「イスラームを受け入れた後、アッラーの御使いSAWの言葉以上に、我々を喜ばせるものは何もありはしない。」 更に、アナス師は、「私は、アッラー、そして、アッラーの御使いSAW、アブー・バクル師、ウマール師を愛します。自分はこれらの人々のように振舞わないにしても、彼らと共にありたいものだ。」と述べている。預言者さまSAWへの愛の証として、教友の一人が述べている。「預言者さまSAWがマディナに到着された日、周囲のあらゆるものが輝いた。預言者さまSAWの葬儀の後、すぐには手についた土を払わなかった。やがて、我々の気持ちに変化が起こるのを感じた。」

何かに従うならば、アッラーに従い、アッラーの御使いSAWのスンナをお手本に行動しなさい。御使いSAWの高潔さを思い、その方の行いに従いなさい。それは誠に、現世と来世で成功を見出す為の道である。そして、信仰深い心と御使いSAWの教えから離れるではない。預言者さまSAWへの祝福を願い、その方から教わったものを基にして、愛情深く子供を育てなさい。至高のアッラーは、クルアーン・高壁章において述べておられる。
「・・・それで、使徒を信じる者は、使徒を尊敬し、使徒を助け、使徒と共に下された御光に従う。これらの人々こそは、成功する者たちである。」(7章 157節)
                          
預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ、自分よりも誰よりも預言者さまSAWを愛する者であるうように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。
アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。
アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

健康という大切なもの

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年11月3日)

―― 健康という大切なもの ――


あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ。我々は何に従うのか。アッラーが我々に命じておられることに従いなさい。アッラーが我々に命じておられる事に従い生き方を決めなさい。アッラーは、クルアーン・部族連合章において述べておられる。

「信仰する者よ、アッラーを畏れなさい。実直な言葉でものを言いなさい。」「お前たちの為に行いを矯正され、諸々の罪を赦される。アッラーとその使徒に従う者は、偉大な成功を勝ち取る者である。(33章
70--71節)

 

信者たちよ。アッラーの恩恵は、我々のどんな期待をも超えた限りのないものである。

アッラーは、クルアーン・蜜蜂章において述べておられる。

「お前たちは、喩えアッラーの恩恵を数え上げても、到底数え尽くすことは出来得ない。誠、アッラーは、寛容にして慈悲深くあられる。」(16章 18節)

アッラーからの恩恵の一つには、創造物が安泰であるように図られていることがある。人についての安泰とは、心と体が健全で家族が安心安全な状況にあることである。それは、人が多くの恩恵を授かっている結果であり、現世で幸福であると感じる要素の一つである。ここれについて、預言者さまSAWは、「誰もが生活していて安心で、健康で、日々の食糧が足りているならば、それはまるで全世界が自分の所有に帰するようなものである。」と述べておられる。そして、人は審判の日に問われる事柄の一つは健康であり、それについて預言者さまSAWは、「しもべが受けた恩恵として、審判の日に人々が問われる一つ、それは健康のことである。『健全で健康な体や、冷たい水で渇きをいやすことなどを、われは授けやしなかったか。』と問われるのである。」と述べておられる。

 

信者たちよ。幸福は、アッラーの恩恵のたまものである。恩恵が継続するようにと、預言者さまSAWは、日々至高のアッラーに祈られた。イブン・ウマル師(平安を)によれば、預言者さまは、朝に夕に、「アッラーよ。私は、あなたさまの御赦しと、現世と来世での幸福を祈願します。私は、信仰について、俗世の雑事について、家族について、財産についてあなたさまの御赦しを求めます。アッラーよ。自分の弱さと、心の動揺を隠しておいて下さい。」と祈願の言葉を述べられたという。その祈願の言葉を述べるようにと教友たちに教えられたという。また、サラート(礼拝)に先立って、預言者さまSAWは、新たに入信したムスリムたちに対しては、次のドゥア(祈願の言葉)を教えられた。「アッラーよ。お許しください。私に恵みを与えて下さい。御導き下さい。健康と日々の糧を御与え下さい。」
そして、預言者さまSAWの、就寝前の祈願の言葉は次の通りである。「アッラーよ、確かに、あなたさまは私を創造なされ、加護なされます。あなたさまは生と死を握っておられ、生かすならば御加護下さい。死を与えられるなら、御赦しを御与え下さい。アッラーよ、私は心から健康であることを祈願します。」

また、預言者さまSAWは、次のように教えておられる。「五つの事柄がやって来る前に、五つの事柄を生かしなさい。その五つのこととは、老齢になる前の若さ、病気になる前の健康、貧困になる前の富裕、多忙になる前の時間の自由、死の前にある生きているということである。」

 

信者たちよ。健康という恩恵を保持する為に、イスラームでは、病気を防ぐ手立てを教えている。清潔を保つことについての教えであり、入浴、沐浴、歯磨き、口すすぎ、汚れないように注意を払うこと等々である。それは、健康保持の為の基礎的なことである。健康は、元気でいる者の頭上を飾る冠のようなものであるが、元気な者は気付かない。その一方で、病気の者だけが健康の有難さを知り欲しいと思うのである。常に与え続けて下される御方アッラーに対して、健康という恩恵を下さっていることに感謝しようではないか。そして、健康保持に励もうではないか。我々は、この価値ある恩恵を授かっていることを喜ぶと同時に、健康に無頓着な人々に目を向ける必要がある。アナス・ビン・マリック師(平安を)が伝えている。「病弱な人に対して預言者さまSAWは、『健康であるようにとアッラーに祈ったことがありますか。』と声を掛けられた。」
健康であることは、全ての信者が求める事柄である。万が一、病気に罹ったなら、我々のお手本、預言者さまSAWが教えられるように治癒を希求すべきものである。預言者さまSAWは述べておられる。「医学的な治療を受けなさい。アッラーは、いわゆる老齢という病を例外として、治療法を御用意することなく病気に罹らせることは無いのであるから。」
病気で難儀している人は誰でも、先ずは忍耐し、アッラーが運命づけられたことに満足し、素直に受け入れるべきである。そして、至高のアッラーに病気が治るように懇願すべきであり、自分に降りかかった災難が、自分が犯した悪事の消滅や、善行の受け入れに係わる、何等かの試練であると信じることである。これについて、預言者さまSAWは、次のように述べておられる。「ムスリムに及ぼされる災難、病気、けがや痛み、その痛みが喩えとげが刺さった程度のものであるにしても、それによりアッラーは、その者の善行の一つとして記録なされ、また、犯した悪事の一つを記録から消して下される。」

 

世界の主であられるアッラーよ、我々はあなたさまに御赦しを願い、自分と家族が安泰であるようにと祈願します。あなたさまに従う者であるように運命付けられていることを受け入れ、祈願します。

アッラーは、クルアーン・婦人章において述べておられる。

「お前たち信仰する者よ、アッラーに従いなさい。また、使徒とお前たちの中の権能を持つ者に従いなさい。・・・」(4章 59節)

安泰と健康に恵まれた者は、成功することを知ろうではないか。アナス・ビン・マリック師(平安を)は伝えている。「或る男が預言者さまSAWの許にやって来て、『アッラーの御使いよ、いずれの祈願が最良でしょうか。』と尋ねたので、「主に、御赦しを請い、現世と来世での安泰を願うことです。」と答えられた。翌日またやって来て、同じ質問をしたので、同じに答えられた。三日目にまたやって来て、同じ質問をしたのに対して、『あなたが現世で御赦しが与えられ、そしてまた、あなたが来世でも与えられるなら、誠に、あなたは成功を得ることとなる。』と答えられた。」

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、心と体が健全であるように祈願します。健康でいられるように御加護下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

神に忘れられる者

アッサラーム アライクム 兄弟姉妹の皆様
東京ジャーミイ金曜日のホトバより転載


2017年10月13日

アッラーを忘れる者はアッラーに忘れられる」

尊敬すべき兄弟、姉妹の皆様!

私たちの預言者(彼の上に祝福と平安あれ)が、ご自身のいとこアブドゥッラーと旅に出ておられた時のことです。その旅の途中で、彼はこう述べられました。「愛するわが子よ、あなたに忠告しておこう。この忠告を、決して忘れてはならない。」それから、彼はこの年若い教友に、主との絆(きずな)を決して断ち切ってはならないということを伝えたのです。「アッラーを思いなさい、そうすればかれはあなたをお守りくださるだろう。アッラーを思いなさい、そうすればあなたは目の前にアッラーを見出すだろう。何かを願うときは、アッラーに願いなさい。助けを求めるときは、アッラーに求めなさい。すべての被造物が一

緒に集まり、あなたに良いことをもたらそうとしても、アッラーが記したもの以外は、何ひとつ得られないだろうことを知りなさい。また、それらがあなたに害をもたらそうとしても、アッラーが記したもの以外は、何ひとつあなたを害せないだろうことを知りなさい。」

尊敬すべき信仰者の皆様!

私たちはみな、人間であります。時には忙しさにかまけて、隣人や家族、友人のことを忘れてしまいます。時には親戚や兄弟、親を失った孤児たちや、困窮(こんきゅう)している人たちのことを忘れてしまうこともあります。時には自分自身のことや、私たちの社会、そして私たちの責任について忘れてしまうこともあります。ですがそれらのすべてよりも、人間として最も悪しきこととは、自らが創造された目的と理由を忘れてしまうことであります。本当の敗北とは、自らの主を忘れて人生を送ることであります。アッラーに仕えるという自らの誓い、自らの契約を軽んじる(かろんじる)ということであります。それは、現世は永遠には続かないということを忘れ、清算と審判、来世を無視するということであります。ですから私たちの主は、そうした主を忘れる者とならないよう、私たちにこう警告しておられます。「ワ ラー タクーヌー カッラズィーナ ナスルッラーハ ファアンサフム アンフサフム」、すなわち「あなたがたは、アッラーを忘れた者のようであってはならない。」また、「ウラーイカ フム ル ファースィクーン」、すなわち「かれは、かれら自身の魂を忘れさせたのである。」

尊敬すべき兄弟、姉妹の皆様!

私たちの主は、クルアーンを授け、私たちに義務と責任を教えたまいました。それは私たちに、忘れてはならないことを思い出させる書物であります。それはランプのともしびであり、私たちの道を照らす導きであります。この書物をしっかりと抱え(かかえ)、私たちの心と意識、私たちの人生を、この書物に明け渡しましょう。

私たちの主は、「本当にあなたは一人の訓戒者(くんかいしゃ)に外(ほか)ならない」と告げ、信仰者に対して真実の道を示し、主について思い起こさせるよう、最も美しい人格を持つ預言者を遣わし(つかわし)たまいました。彼のスンナに沿って人生を歩みましょう。彼の模範から逸れる(それる)ことなく、慈悲のメッセージによって、私たちの人生に祝福をもたらしましょう。

私たちの礼拝、犠牲、喜捨(きしゃ)、断食といった崇拝の行為が定められているのも、常に私たちが、主を忘れないようにするためであります。私たちは崇拝の行為を通じてより主に近づき、それにより主の御目(おんめ)により誉れ高い(ほまれたかい)者として映るようになるのだということを、忘れないようにしましょう。

親愛なる兄弟、姉妹の皆様!

アッラーを忘れて自らの人生を送る人は、現世においても来世においてもアッラーから忘れられてしまう人となります。現世においてアッラーへの感謝を忘れた人は、大いなる(審判の)日、アッラーの慈悲を取り上げられることでしょう。アッラーの慈悲の他には避難する場所もない復活の日、現世の虜(とりこ)となっていた人々は、次の言葉を耳にすることとなるでしょう。

「今日われは、あなたがたを忘れるであろう。あなたがたが、この日の対面を忘れたように。あなたがたの住まいは業火(ごうか)である。あなたがたには、(もはや)助ける者はないのである。」

兄弟、姉妹の皆様!

この束の間(つかのま)の人生を、アッラーのご意志に従って生きることが私たちの義務であるということを忘れないようにしましょう。その大いなる(審判の)日のために備えることが、私たちの存在の目的であるということを心に留めておくようにしましょう。礼拝をおろそかにすることのないようにしましょう。礼拝とは、主のみ恵み(めぐみ)に対する感謝の表れだからです。アッラーは、絶えず私たちをご覧になっておられ、私たちのあらゆる行い(おこない)を知り、私たちが口にするあらゆる言葉を聞いておられるのだということを、常に意識して過ごしましょう。

 

 

イスラム法の死刑に値する3つの罪

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において
                     40のハディース 第68回
           الأربعين النووية  2017年10月10日スカイプ講義より

 


イマーム アンナワウィー編   

 『40のハディース』解説 
第14のハディース
第14の伝承

イブン・マスウード―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。

アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われた。

 

つぎの3つに該当しないかぎり、ムスリムの血を流すことは許されない。

結婚した男が姦通した場合。一人の生命にたいする一人の生命。宗教を棄て〔ムスリムの〕共同体を離れた場合。

この伝承は、アルブハーリーとムスリムの2人が伝えている。

参考:アラビア語の原文「الوافي في شرح الأربعين النووية」مصطفى البغاpdfファイルhttp://bit.ly/2lQnARP
日本語原文:イスラミックセンター・ジャパン「40のハディースhttp://muslimjapan.com/hadith_japanese 
シェイフ ラマダーヌ ルブーティー師(アッラーのご慈悲あれ)の講義 49(最初~39:40)参照
ハディース解説:
《つぎの3つに該当しないかぎり、ムスリムの血を流すことは許されない。》


ここで言う「ムスリム」というのは、ムスリム男女のこと、つまり、ムスリムムスリマのことです。

 

アラビア語では、男性を指す単語を用いていても、男女両方を含んでいます。

 

クルアーンの中によく出てくる【信仰する者よ】と言う表現も、わざわざ、「信仰する男と女よ」とは書かれていませんが、男女両方を指します。

つまり、ムスリムの男であっても女であっても、血を流すことは許されない、という意味です。

イスラーム法において、刑が確定した場合には、ムスリムを殺すことが許される、つまり、裁判所で、裁判官によって「死刑」が確定する場合、というのは、3つあります。

 

刑の確定は、イスラーム法に精通した裁判官が決定することであり、一般人が決めることではなく、もちろん刑を執行するのも一般人ではありません。

1.《結婚した男が姦通した場合》


すべての既婚者の姦通が、死刑になるわけではありません。以下のような、いくつかの細かい条件があり、それらがすべて満たされた場合においてのみ、イスラーム法によって裁く裁判官が、刑を確定します。

既婚者の姦通が死刑となる条件:


1. イスラーム法において、ニカー(結婚契約)をし、実際に夫婦の関係を持った既婚者であること。:
イスラーム法におけるニカーをせず、その国の市役所で婚姻届けを出しただけのような結婚しかしていない者は対象外となります。また、ただニカーをしただけで、夫婦生活を行っていない者も、対象外です。

これは、男女ともです。

独身者の場合は、刑の対象から外れます。

2. 自分の意志により故意に行った姦通であること。:


姦通を行うことに同意し、その行為を行うことに満足して行った場合。故意に行ったものでなければ、婚外交渉の罪を犯す意図がなかったとみなされ、対象外となります。


故意の姦通ではないとみなされるいくつかの例:
・ニカーが成立し夫婦になったと思っていたが、ある不備によりニカーが成立していなかった場合。


・妻だと思って夫婦関係を持った後で、それが別人であったことが判明した場合。


・強制された場合、等。

3. 二人が確実に関係を持ったという、4人からの証言がある場合、もしくは、両人が、自らの意志で故意に姦通を行ったと認め、その他のイスラーム法における諸条件を満たす形で自白した場合。


この4人の証言というのは、ただ部屋に二人きりで入っていたのを見た、もしくは、二人きりで床に入っていたのを見た、というだけでは不十分です。また、証人は3人でも不十分です。実際に、二人が関係を持った状態を、4人が目撃し、それを証言した場合のみ成立します。

上記の条件がすべてそろった場合のみ、裁判所で裁判官により、刑が確定し、石打による死刑が執行されます。この場合、刑の執行は、石によるものでなくてはならず、他の手段を使うことはできません。しかし、裁判所で、上記の3つの条件がひとつでも欠けていることが判明した場合には、裁判官により、死刑は確定されません。いくつかの条件が欠けている状態だが、確実にハラームを行った、ということが判明した場合でも、裁判官は、二人の更生にとってもっとも効果的な罰(死刑以外)を与えることになります。

質問:婚外交渉をした者に対して死刑というのは、厳しすぎる、重すぎるのではないでしょうか。

回答:イスラーム法は、人間が考えた物ではなく、アッラーがお決めになった法律です。そのため、アッラーのことを信じていない人にとっては、誰が決めたかわからない法を理解することが難しいのは当然です。しかし、もし、アッラーのことを信じている人の中から、こういった意見が出てくることがあれば、次のように言えます。この死刑は、ただ、姦通の罪を犯した既婚者を裁くためにある刑ではない、ということです。そのことは、条件のひとつである、4人の証人が必要、という点を見れば、明らかです。

姦通を行うところを、実際に、4人の人が目撃する、というのは、どういう状態でしょうか。それは、社会の秩序を壊し、その社会の尊厳に対し挑戦状をつきつけるためにしか行われません。そうでなければ、公共の面前で、死刑に処されるような大罪を犯すことを誰がするでしょうか。これは、社会に対する明らかな宣戦布告です。ウンマイスラーム共同体)の尊厳を傷つけ、社会生活において風紀を乱し、治安の悪化を促進するために、故意になされる、ウンマに対する背徳行為です。この背徳行為により、婚外交渉が伝染病のように社会全体に広がると、その社会の秩序は乱れ、社会の構成単位である家庭の秩序がまず崩壊します。この伝染病は、急速に社会に広がり、その勢いを止めることはできません。まるで火が枯れ木の山を焼き尽くすように、その悪は瞬く間に社会全体に広がって行きます。

また、この死刑確定の抑制力となる、2つの刑があります。それは、4人の証人を集められず、3人以下の証人しか証言しなかった場合、名誉棄損という罪となり、むち打ち80回という重い罰が発生することです。3人がいくら証言しても、4人目がいなければ、この3人には罰が確定します。この罰があることにより、イスラームでは、婚外交渉を目撃した人は、それが1人、2人、3人であっても、その罪を隠すことを余儀なくされます。アッラーは、目撃者達が、彼らの罪を隠さないことに対して、罰を設けました。

また、この罰が、重すぎると思う人は、つまり、婚外交渉を罪でなく、自然のこと、と捉え、必ず、その罪を軽視しています。もし婚外交渉という罪が重罪だと思っていたら、この罰を重すぎるとは思わないでしょう。罪が重い、と理解していれば、罰も同様に重くあるべきだと理解できるからです。しかし、欧米のように、婚外交渉がその社会に蔓延し、特別なことでなくなっってしまうと、こういった見方をする人が出てきます。

罰というのは、罪の大きさ、その罪の危険性の大きさによって決められるべきです。婚外交渉というのは、どんな悪影響を社会に及ぼすでしょうか。そのひとつに、父親のいない子どもや孤児の増加、母子家庭の増加、また、人工中絶により命を奪われる子どもの増加があります。つまり既婚者の姦通は、不幸な子どもを大量に発生させるのです。婚外交渉が許されている社会の中で、どれだけ多くの子ども達が、闇の中に葬られているでしょう。大人の身勝手な行動が、何の罪もない子ども達の生きる権利を侵害しています。公共の面前で、この罪を犯し、社会にその病をまき散らすことが、大罪に値しなければ、何が大罪に値するのでしょう。この罪に対する罰が重すぎる、死刑は野蛮だ、と言う人は、この罪による子ども達にもたらされる残忍な結果を軽視しています。この刑があることで、罪の大きさを認識し、罪を犯すことを抑制し、社会の秩序と風紀を守ること、それがイスラーム法の刑罰の目的です。

アッラーが私たちのウンマをお守くださいますように。

親による子供の良い教育

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年9月8日)

―― 親による子供への良い教育 ――

 

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ、イスラームは、しっかりとした基盤に立脚しており、公正さ、品行の良さ、奉仕的であることを旨としている。それ故、全ての人の幸福を確かなものとする。例えば、両親には自分たちの責任を果たすように教えており、家族、子供の世話を良くしなさいと教えている。子供の養育や子供に必要な衣食と安全などを満たすことを意味するものである。アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「母親は、乳呑児に満2年間授乳する。これは、授乳を全うしようと望む者の期間である。父親は、家族の食料や衣服の経費を公正に負担しなければならないが、誰も、その能力以上の負担を強いられない。母親は、その子のために不当に強いられることなく、父親もその子のために不当に強いられてはならない。・・・」(2章 233節)

同じ視点で、預言者さまSAWは、子供を育てる責任は両親にあると強調なされ、次のように述べておられる。「あなたがたが保護者であれば、それに伴う責任がある。男は自分の家族を守る者であり、自分にその責任がある。女は、家庭を護る者であり、自分にその責任がある。」  この責任の一端である子供に対する優しさについては、預言者さまSAWに良い例を見ることが出来る。アナス・ビン・マリク師(平安を)は、「アッラーの御使いSAW以上に家族に優しくする人を見たことがない。」と述べている。そして、預言者さまSAWは、子供たちを公平に扱うのを常とされ、「アッラーを畏れなさい。それで、どんな場合でも、自分の子供たちに公平に接しなさい。」と言っておられる。預言者さまSAWは、例えば、自分の男の子にはキスするのに、女の子にはしない者のことを間違っていると言われる。ある時、預言者さまSAWの側に座っていた男のところにその息子がやって来た。すると、男は息子を膝に乗せてキスをしたのに、その後に来た娘を脇に座らせただけだった。それを、預言者さまSAWがご覧になられ、「どうして二人を同じにして上げないのですか。」とおっしゃられた。

 

信者たちよ。また、アッラーの御使いSAWは、孤児に対する後見は大事なことであり、後見人になることにより大きな報酬があるだろうと力説なされた。そのことに関してのハディースがある。預言者さまSAWは、「孤児を後見した者と私とは、楽園においてこのようである。」とご自分の中指と人差し指とを立てられた。

 

信者たちよ。父親と母親にとって、子供をきちんと世話することは大事な責任である。預言者さまSAWが示された教育方針に従って手を尽くし優しく子供の世話を果たすことが大切である。預言者さまSAWは、「何事にも優しさが伴っているなら優美であり、優しさが伴っていないならば台無しである。」と述べておられる。即ち、子供には、間違ったやり方で接してはいけないということであり、次のハディースが伝わっているのである。「一人のベドウィンが預言者さまSAWの許にやって来て、『あなたは子供たちにキスをする。だが、我々はそんなことはしない。』と言った。すると、預言者さまSAWは、『アッラーがあなたの心から優しさを取り上げてしまった後では、心に優しさを得ることは出来ない。』とおっしゃられた。」 即ち、親として子供の遠い将来を見据えて、子供には優しく接し注意深く見守り教育するということである。預言者さまSAWは、まだ幼かったアブドッラー・ビン・アッバスに、「少年よ、良いことを教えてあげよう。アッラーの教えに注意を向けなさい。アッラーは、あなたを御加護なされる。アッラーの正しい道を守りなさい。アッラーは、いつでもあなたと共にあられる。願い事をしたいなら、アッラーだけに願いなさい。助けを必要とするなら、アッラーだけに助けを求めなさい。」と教えて下さったものである。

 

信者たちよ。更に、子供の両親というものは、子供たちの行いや、何が不足はないかを見てやって欲しいし、良い友を選ぶことが出来るように、交友関係に注意を払ってあげて欲しい。預言者さまSAWは、「人は、友の宗教に惹かれるものである。それ故、どういう人物を友とするか誰もが配慮するべきである。」と述べておられる。また、我々は、子供たちが接しているメディアの内容について知る必要がある。マスコミや、スマートフォンなどの道具を用いてのインターネットを通じてのウエッブサイトからの情報などである。今日それらは、急速に進化する技術を駆使したもので提供される。子供に対する注意を怠らず、どんな形態にせよ子供に対する暴力、悪い会話、虐待と言ったものに接する機会を避けることは重要である。誠、アッラーの御使いSAWは、決して悪い言葉を使い、悪い話をなさることはなかった。預言者さまSAWは、「あなたがたの中の最良に人は良い品性で良い性格の人である。」と常々言っておられた。

 

信者たちよ。子供に対する最良の教育者とは、他人を当てにせず、自分自身で良いことを行う者である。そうした良い教育の為には、最善を尽くし、礼儀正しく、イスラームの伝統に従い、きずなを強める必要がある。そして、人助けの大切さ、年上への敬意、他人への親切、寛容、集団に対する心からの忠誠、指導力と言ったものの大切さを教えるのである。誠に、それらは、集団のきずなを強くする、祖父、父親の代から引き継がれてきた偉大なイスラームの価値ある特質なのである。預言者さまSAWは、「決してないことである。アッラーに誓って、アッラーがあなたに慈悲をかけないなどということは決してないことである。あなたは、家族や友人と良い関係を保持しなさい。貧しい人を助け、来客に親切にしなさい。災難を被った人を救済しなさい。」と述べておられる。アッラーは、慈悲の故に人々に教えを説かれ、御導きになられる。それ故、何かに従おうとするならば、アッラーに従いなさい。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、子供たちをしっかりと育て、教育できる者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン