私はムスリムです

私は日本人改宗ムスリムです。イスラームについて学んだことをシェアしているブログです。

アッラーをあいするということは

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年11月24日)
―― 自分よりも誰よりも預言者さまSAWを愛するということ ――

あらゆる賞賛は、アッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

あらゆる感謝は、我々が助けを求め、御赦しを願う御方、アッラーへのもの。我々は、心にひそむ悪から、犯した悪事の報いから御加護下さるようにアッラーに御願する。アッラーが導かれた者が、道を踏み外させられることはなく、アッラーが誤った道に導かれた者が、正しい道を見つけることもないのである。
アッラーは、クルアーン・イムラーン家章において述べておられる。
「お前たち信仰する者よ、十分な畏敬の念でアッラーを畏れなさい。お前たちはムスリムでなくして死んではならない。」(3章 102節)

信者たちよ、至高のアッラーは、自分を愛することは、即ち、預言者さまSAWを愛することであると、クルアーン・イムラーン家章において述べておられる。
「言ってやるがいい。『あなたがたがもし、アッラーを愛するならば、自分(使徒ムハムマド)に従いなさい。そうすれば、アッラーもあなたがたを愛され、あなたがたの罪を赦される。アッラーは、寛大で慈悲深くあられる。」(3章 31節)
我々のお手本であるムハムマドSAWは、次のように述べておられる。「あなたがたの誰でも、自分の父親、子供、その他の誰か以上に私を愛するまでは信仰心篤いとは言えない。」 こう語ることで預言者信者さまSAWは、自分への愛は、そのことがアッラーへの心からの崇拝の証であると述べておられるのである。アッラーの御使いSAWを愛することについてのハディースがある。「ウマール・ビン・ハッタブ師が預言者さまSAWに、『御使いよ、自分自身を除いて誰よりもあなたさまを大事に思っています。』と言ったところ、『私の命を握っておられる御方に誓って、自分自身よりも私を大事に思うようになるまでは、あなたの信仰が十分であるとは言えません。』との答えがあった。それで、ウマール師は、『今、私は、アッラーに誓って、私にとってあなたさまは、自分自身よりも大事です。』と言った。預言者さまSAWは、『ウマールよ、良かった。(敬虔な者の仲間となった。)』と言われた。」 

信者たちよ、こうして、預言者さまSAWへの敬愛と尊敬の念は、教友たちの心に確実に根付き、預言者さまSAWに相対する心構えとして、しっかりと反映されるものとなった。教友たちの善良さと、深い敬愛の念の持続というものが、預言者さまSAWを如何に愛するかという最良の手本となったのである。次のことが伝わっている。或る男が預言者さまSAWの許にやって来て、『アッラーの御使いよ、私は、自分自身、家族、子供よりもあなたを愛しています。家にいる時にあなたを思い、おそばに来てお会いするのを待っているのが辛くなることがあります。自分の死とあなたの死について考えると、あなたが天国に入るのは預言者であるが故と承知しています。それで、私が天国であなたのお会いできるのかどうか心配になります』と言った。預言者さまSAWは、啓示が下るまで、それに答えることはなかった。それに係わる啓示とはいかなるものなのか。アッラーは、クルアーン・婦人章において述べておられる。
アッラーと使徒に従う者は、アッラーが恩恵を施された預言者たち、誠実な者たち、殉教者たちと正義の人々の仲間となる。これらは、何と立派な仲間たちであることよ。」(4章 69節)
アリー・ビン・アブー・ターリブ師は、預言者さまSAWを愛することについて問われ、次のように答えた。「アッラーに誓って、預言者さまSAWは、自分の財産、子供、両親、喉の渇きをいやす一杯の冷たい水よりも私にとって大事です。」 また、ザイド・ビン・ダシナ師がイスラーム宣教に反対するクライシュ族の一団に捕まった時の事が語られている。「ムハムマドがここで首を落し、お前が仲間と共に生きていることを望みはしないのか。」と聞かれ、「自分が家族と共に生きているよりは、預言者さまSAWが苦しまれることがないことを望む。喩え、とげが刺さった程度であっても預言者さまSAWが苦しまれるなど自分には我慢がならないことだ。」と答えたという。預言者さまSAWを愛する気持ちについて言えば、サイド師のそれは、教友たちの中でも最も強いものなのである。

信者たちよ、預言者さまSAWが、いよいよマディナへ移住すべき時期が来た。預言者さまSAWは、アッラーがマディナへ旅立つように命じられたことを、アブー・バクル師(平安を)に伝えるのである。このことについて、アイシャさま(平安を)は、語っている。「或る昼間、家で座っていると、誰それが、父アブー・バクルに、『ここにいる方は、預言者さまです。』と言った。その方は、頭から顔までかぶり物で覆っていたのだが、この時間に被り物をしてこの家を訪ねたことなどなかったのであった。父アブー・バクルは、『急ぎの用事があってここに来たれたに違いない。私の両親を犠牲にしてでもお力添えしましょう。』と言った。預言者さまSAWは、家の中に招き入れられたが、家に入るやアブー・バクル師に、『人払いをお願いします。』と言った。それを聞いて父アブー・バクルは、『知らぬ人たちではなく、皆あなたの兄弟たちばかりです。御使いよ、父を犠牲にもしましょう。何なりと言いつけて下さい。』と言った。預言者さまSAWが、『マッカを離れるようにと、アッラーからの命令がありました。』と言うと、アブー・バクル師は、『父を犠牲にしてでも、私がお供することとしましょう。』と言った。アイシャ(平安を)は、父アブー・バクルがその時、喜びで涙を流す程に幸せそうだったことを思い出し、父アブー・バクルのその姿を見るまでは、喜びの余りそれ程までに涙を流す人を見たことはなかったと語っている。」

信者たちよ、アッラーを愛することは、天国に導かれ、預言者さまSAWと教友たちと天国で一緒になる特権を得る為の備えである。アナス・ビン・マリク師は述べている。「預言者さまSAWにある男が、『最後の時とはいつの事ですか。』と言うので、預言者さまSAWは、『最後の時の為に、あなたはどんな備えをしていますか。』と尋ねた。『備えと言えば、アッラーと預言者さまSAWを愛することです。』と男が言い、『あなたが愛する者と共にいられるでしょう。』と答えられた。」 アナス師は述べている。「イスラームを受け入れた後、アッラーの御使いSAWの言葉以上に、我々を喜ばせるものは何もありはしない。」 更に、アナス師は、「私は、アッラー、そして、アッラーの御使いSAW、アブー・バクル師、ウマール師を愛します。自分はこれらの人々のように振舞わないにしても、彼らと共にありたいものだ。」と述べている。預言者さまSAWへの愛の証として、教友の一人が述べている。「預言者さまSAWがマディナに到着された日、周囲のあらゆるものが輝いた。預言者さまSAWの葬儀の後、すぐには手についた土を払わなかった。やがて、我々の気持ちに変化が起こるのを感じた。」

何かに従うならば、アッラーに従い、アッラーの御使いSAWのスンナをお手本に行動しなさい。御使いSAWの高潔さを思い、その方の行いに従いなさい。それは誠に、現世と来世で成功を見出す為の道である。そして、信仰深い心と御使いSAWの教えから離れるではない。預言者さまSAWへの祝福を願い、その方から教わったものを基にして、愛情深く子供を育てなさい。至高のアッラーは、クルアーン・高壁章において述べておられる。
「・・・それで、使徒を信じる者は、使徒を尊敬し、使徒を助け、使徒と共に下された御光に従う。これらの人々こそは、成功する者たちである。」(7章 157節)
                          
預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ、自分よりも誰よりも預言者さまSAWを愛する者であるうように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。
アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。
アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン