私はムスリムです

私は日本人改宗ムスリムです。イスラームについて学んだことをシェアしているブログです。

イスラム法の死刑に値する3つの罪

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において
                     40のハディース 第68回
           الأربعين النووية  2017年10月10日スカイプ講義より

 


イマーム アンナワウィー編   

 『40のハディース』解説 
第14のハディース
第14の伝承

イブン・マスウード―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。

アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われた。

 

つぎの3つに該当しないかぎり、ムスリムの血を流すことは許されない。

結婚した男が姦通した場合。一人の生命にたいする一人の生命。宗教を棄て〔ムスリムの〕共同体を離れた場合。

この伝承は、アルブハーリーとムスリムの2人が伝えている。

参考:アラビア語の原文「الوافي في شرح الأربعين النووية」مصطفى البغاpdfファイルhttp://bit.ly/2lQnARP
日本語原文:イスラミックセンター・ジャパン「40のハディースhttp://muslimjapan.com/hadith_japanese 
シェイフ ラマダーヌ ルブーティー師(アッラーのご慈悲あれ)の講義 49(最初~39:40)参照
ハディース解説:
《つぎの3つに該当しないかぎり、ムスリムの血を流すことは許されない。》


ここで言う「ムスリム」というのは、ムスリム男女のこと、つまり、ムスリムムスリマのことです。

 

アラビア語では、男性を指す単語を用いていても、男女両方を含んでいます。

 

クルアーンの中によく出てくる【信仰する者よ】と言う表現も、わざわざ、「信仰する男と女よ」とは書かれていませんが、男女両方を指します。

つまり、ムスリムの男であっても女であっても、血を流すことは許されない、という意味です。

イスラーム法において、刑が確定した場合には、ムスリムを殺すことが許される、つまり、裁判所で、裁判官によって「死刑」が確定する場合、というのは、3つあります。

 

刑の確定は、イスラーム法に精通した裁判官が決定することであり、一般人が決めることではなく、もちろん刑を執行するのも一般人ではありません。

1.《結婚した男が姦通した場合》


すべての既婚者の姦通が、死刑になるわけではありません。以下のような、いくつかの細かい条件があり、それらがすべて満たされた場合においてのみ、イスラーム法によって裁く裁判官が、刑を確定します。

既婚者の姦通が死刑となる条件:


1. イスラーム法において、ニカー(結婚契約)をし、実際に夫婦の関係を持った既婚者であること。:
イスラーム法におけるニカーをせず、その国の市役所で婚姻届けを出しただけのような結婚しかしていない者は対象外となります。また、ただニカーをしただけで、夫婦生活を行っていない者も、対象外です。

これは、男女ともです。

独身者の場合は、刑の対象から外れます。

2. 自分の意志により故意に行った姦通であること。:


姦通を行うことに同意し、その行為を行うことに満足して行った場合。故意に行ったものでなければ、婚外交渉の罪を犯す意図がなかったとみなされ、対象外となります。


故意の姦通ではないとみなされるいくつかの例:
・ニカーが成立し夫婦になったと思っていたが、ある不備によりニカーが成立していなかった場合。


・妻だと思って夫婦関係を持った後で、それが別人であったことが判明した場合。


・強制された場合、等。

3. 二人が確実に関係を持ったという、4人からの証言がある場合、もしくは、両人が、自らの意志で故意に姦通を行ったと認め、その他のイスラーム法における諸条件を満たす形で自白した場合。


この4人の証言というのは、ただ部屋に二人きりで入っていたのを見た、もしくは、二人きりで床に入っていたのを見た、というだけでは不十分です。また、証人は3人でも不十分です。実際に、二人が関係を持った状態を、4人が目撃し、それを証言した場合のみ成立します。

上記の条件がすべてそろった場合のみ、裁判所で裁判官により、刑が確定し、石打による死刑が執行されます。この場合、刑の執行は、石によるものでなくてはならず、他の手段を使うことはできません。しかし、裁判所で、上記の3つの条件がひとつでも欠けていることが判明した場合には、裁判官により、死刑は確定されません。いくつかの条件が欠けている状態だが、確実にハラームを行った、ということが判明した場合でも、裁判官は、二人の更生にとってもっとも効果的な罰(死刑以外)を与えることになります。

質問:婚外交渉をした者に対して死刑というのは、厳しすぎる、重すぎるのではないでしょうか。

回答:イスラーム法は、人間が考えた物ではなく、アッラーがお決めになった法律です。そのため、アッラーのことを信じていない人にとっては、誰が決めたかわからない法を理解することが難しいのは当然です。しかし、もし、アッラーのことを信じている人の中から、こういった意見が出てくることがあれば、次のように言えます。この死刑は、ただ、姦通の罪を犯した既婚者を裁くためにある刑ではない、ということです。そのことは、条件のひとつである、4人の証人が必要、という点を見れば、明らかです。

姦通を行うところを、実際に、4人の人が目撃する、というのは、どういう状態でしょうか。それは、社会の秩序を壊し、その社会の尊厳に対し挑戦状をつきつけるためにしか行われません。そうでなければ、公共の面前で、死刑に処されるような大罪を犯すことを誰がするでしょうか。これは、社会に対する明らかな宣戦布告です。ウンマイスラーム共同体)の尊厳を傷つけ、社会生活において風紀を乱し、治安の悪化を促進するために、故意になされる、ウンマに対する背徳行為です。この背徳行為により、婚外交渉が伝染病のように社会全体に広がると、その社会の秩序は乱れ、社会の構成単位である家庭の秩序がまず崩壊します。この伝染病は、急速に社会に広がり、その勢いを止めることはできません。まるで火が枯れ木の山を焼き尽くすように、その悪は瞬く間に社会全体に広がって行きます。

また、この死刑確定の抑制力となる、2つの刑があります。それは、4人の証人を集められず、3人以下の証人しか証言しなかった場合、名誉棄損という罪となり、むち打ち80回という重い罰が発生することです。3人がいくら証言しても、4人目がいなければ、この3人には罰が確定します。この罰があることにより、イスラームでは、婚外交渉を目撃した人は、それが1人、2人、3人であっても、その罪を隠すことを余儀なくされます。アッラーは、目撃者達が、彼らの罪を隠さないことに対して、罰を設けました。

また、この罰が、重すぎると思う人は、つまり、婚外交渉を罪でなく、自然のこと、と捉え、必ず、その罪を軽視しています。もし婚外交渉という罪が重罪だと思っていたら、この罰を重すぎるとは思わないでしょう。罪が重い、と理解していれば、罰も同様に重くあるべきだと理解できるからです。しかし、欧米のように、婚外交渉がその社会に蔓延し、特別なことでなくなっってしまうと、こういった見方をする人が出てきます。

罰というのは、罪の大きさ、その罪の危険性の大きさによって決められるべきです。婚外交渉というのは、どんな悪影響を社会に及ぼすでしょうか。そのひとつに、父親のいない子どもや孤児の増加、母子家庭の増加、また、人工中絶により命を奪われる子どもの増加があります。つまり既婚者の姦通は、不幸な子どもを大量に発生させるのです。婚外交渉が許されている社会の中で、どれだけ多くの子ども達が、闇の中に葬られているでしょう。大人の身勝手な行動が、何の罪もない子ども達の生きる権利を侵害しています。公共の面前で、この罪を犯し、社会にその病をまき散らすことが、大罪に値しなければ、何が大罪に値するのでしょう。この罪に対する罰が重すぎる、死刑は野蛮だ、と言う人は、この罪による子ども達にもたらされる残忍な結果を軽視しています。この刑があることで、罪の大きさを認識し、罪を犯すことを抑制し、社会の秩序と風紀を守ること、それがイスラーム法の刑罰の目的です。

アッラーが私たちのウンマをお守くださいますように。