私はムスリムです

私は日本人改宗ムスリムです。イスラームについて学んだことをシェアしているブログです。

アキーダとシャリーアの関係

 

「アキーダ(信仰)とシャリーア(行ない)の関係」

 

アキーダは原因・種で、シャリーアは結果・果実である。
つまり、アキーダに基づかない行ないは、イスラームにおいて価値がない。

「言ってやるがいい。誰が行ないにおいて最大の失敗者であるか、告げようか。つまり自分では善いことをしていると彼らは考えているが、現世の生活のむおいての努力が、すべて間違った道に行ってしまったような者たちである。これらの者は、主の印、また主との会見を信じない者たちで、彼らの行ないは無駄になり、われは審判の日に彼らにどんな目方も与えないであろう。」(洞窟章18-103~105節)
また、
「およそ信仰を拒否するものは、その善行も虚しく、来世においては、失敗者の類である。」(食卓章5-5節)

信仰が、人間のイスラームと不信仰を分ける基準なら、
行ないは、人間の幸と不幸を分ける基準である。
「量りはその日、真正である。(善行の)目方が重い者は成功する者である。
また目方の軽い者は、わが印を軽んじたため自分を損なう者である。」(高壁章7-8~9節)


ワッサラームアライクム ワラハマトゥッラーヒ ワバラカートゥフ

 

 

イスラーム学びチームより転載

洞窟章が教えること

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年7月7日)

―― 洞窟章が教えること ――

 

 

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ、マッカ啓示のクルアーンの洞窟章は、洞窟に潜んだ若者たちに因んで、その章の名前が付けられた。アッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。

「洞窟の仲間たちとその碑文のことを、お前は、考えないのか。わが印の中でも驚嘆すべきものであったと。」(18章 9節)

洞窟章の素晴らしさについて、預言者ムハムマドSAWは、「金曜日に、洞窟章を唱える者には誰にでも、続く金曜日までの間、光が差し続けるだろう。」と述べられた。また、アッラーの御使いSAWは、「洞窟章の最初からの十節を暗記した者は誘惑(の手)から護られる。」と言われた。 なお、「洞窟章の最後の節」と言われたとも、「洞窟章の最初の節」と言われたとも伝わっている。いずれにせよ、洞窟章の大切さは、そこに語られている出来事を通して道徳的な教訓に満ちているということにある。そこには、日々の生活や現実についての教えがある。

 

信者たちよ、洞窟章は、最も高潔であられるアッラーを讃えることで始まっている。賞賛は、アッラーにとって最も似つかわしい事柄である。日々何かを行うに当たっては、それを始める前に必ず全能のアッラーを思い、賞賛することがいかに大切であるか、それを人々に教える内容のものである。あらゆる賞賛に相応しいアッラーが、良いことと幸福の創始者であられることを、何事につけても思い浮かべることが求められているということである。アッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。

アッラーを讃える。アッラーは、しもべに啓典を下された。それには、少しの(矛盾点などの)不備はないのである。」(18章 1節)

全能のアッラーは、洞窟章の幾つかの節を通して、正しい導きを願う若者たちのことを我々に教えて下される。その青年らの敬虔さの見返りに、最も恩恵豊かなアッラーは、何年間もの間彼らを洞窟の中で眠らせることで、外敵から護られた。至高のアッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。

「さて、彼らが洞窟に滞留したのは、3百年に加えて9年であった。」(18章 25節)

その期間の間滞りなく、至高のアッラーは、その青年たちをいかなる迫害からも保護なされ、長い眠りの後、その眠りから覚めさせたのである。眠りから覚めた若者たちは、どれ程の間眠っていたのか互いに尋ね合った。その中の一人が言ったことを、アッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。

「・・・私たちが(眠りに落ちていたのは)、一日か、一日にも満たない程度です。・・・」(18章 19節)

このことは、至高のアッラーが、生きるというこの上ない恵みを授けられることに対し、誰もがアッラーを讃えるべきであるという教訓なのである。我々は、目覚める毎にアッラーを敬服することは、この上ない幸せなことである。預言者ムハムマドSAWは、「我々に生命を与えられ、それを取り上げ復活させられるアッラーにこそ、全ての賞賛があります。」と言われた。誠に、睡眠は、短い死であるということである。

 

洞窟章が強調する教訓のもう一つが、財産に恵まれた者の物語である。その者の財力は、彼を傲慢にし、至高のアッラーへの信仰をむしろ弱いものとした。友人は彼に、束の間の現世と現世の眩さに惑わされないようにと忠告しはしたが、彼は、その忠告には全く注意を払わなかった。それに耳を貸さないだけでなく、終末の日にについて疑問まで差し挟み、アッラーは、来世には現世よりももっと沢山の良いものを下されると楽観し、友人と距離を置こうとしたのである。それに関して、アッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。

「また、(審判の)時が来るとも思いません。また、仮に、私の主に戻されても、きっと、これよりももっと良いところを見い出すでしょう。」(18章 36節)

 

信者たちよ、洞窟章は、良い師に師事し、熱心に知識を求め、良い振る舞を学ぼうとするアッラーの御使いムーサ(平安を)についても語っている。アッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。

「ムーサーは彼に、『あなたに師事させて下さい。あなたが授かられた正しい知識を、私にお教え下さい。』と言った。」(18章 66節)

この物語は、注意深さの重要さと、あわてて行動すべきではないということを教えている。我々は物事を予言する立場にはないのであるから、未来に対し急いだり予言したりすることのないように教えているのである。物事の全貌を知った後では、悪と見えていた事柄が善であったり、期待すべきものと思っていた事柄がそうではなかったということである。このことについて、アッラーは、クルアーン・婦人章において述べておられる。

「・・・お前たちは、何かを嫌うかも知れないが、アッラーは、そこに良いものをもたらされるであろう。」(4章 19節)

さて、アッラーの御使いムーサ(平安を)に対して、信仰篤い師匠が、未来のことを明らかにして語るのである。それについてアッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。

「・・・私が勝手に行ったことではなかったのだ。・・・」(18章 82節)

良い事柄というものは、至高のアッラーが我々の為に選ばれ、我々に授けられるということである。即ち、この信仰篤いムーサ(平安を)の師匠といえども、自分の考えで行動しているのではなく、アッラーが決められた事柄に追随しているに過ぎないということである。即ち、アッラーが御用意なされる運命だけを信じ、何事も受け入れなさいということである。

 

信者たちよ、洞窟章の後半においては、人々の良い行いと、良いことへの努力に対する報酬として、アッラーは、天国での高い位階と、永遠に続くこの上ない喜びとを約束なされ、そのことを我々に思い起させるものである。アッラーの道の為に心から行動することで、アッラーからの最良の報酬である天国を授けられるということである。また、洞窟章は、良い友を持つことの大切さを説いている。友とは、良くも悪くも我々に影響を及ぼす存在なのであるが、アッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。

「朝に夕に、主の慈悲に満ちた御顔を求めて祈る者と共に、自分を正しく守りなさい。また、現世の生活の栄華を望んで、彼ら(友)から自分の目をそらせてはならない。また、われが、その心にわれを念じることをないがしろにさせた者、また、私欲に従って、自分の事に、法を越えた者に、つき従ってはならない。」(18章 28節)

良い人々との交流は、宗教上、ないし世俗の生活の上で、良くあろうとする為の最高の助けとなる。誠に、良い友は、人々に勇気と平安を与え、敬虔さを高める為の助けとなるのである。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、洞窟章を通しての教えを十分理解し、行いに反映できるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

アッラーを信じるということ

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ、アッラーに思いを寄せなさい。アッラーは、クルアーン・婦人章において述べておられる。

「・・・われは、お前たち以前に啓典を与えられた者に、また、お前たち(ムスリム)に、『アッラーを畏れよ。』と命じた。・・・」(4章 131節)

 

何ものも、アッラーの御意志に従い動く。アッラーは、クルアーン・高壁章において述べておられる。

「・・・ああ、アッラーこそ、創造し統御される御方ではないか。万有の主アッラーに祝福あれ。」(7章 54節)

アッラーは、創造に際しあらゆる事象を整えられた。天地の全てに亘って、そこには、何の欠陥もないのである。アッラーは、あらゆる必要の源であり、クルアーン・アル・ヒジュル章において述べておられる。

「どのようなものでも、われに、その備えのないものはない。・・・」(15章 21節)

誠に、アッラーの豊かさは、無尽蔵であり、枯渇することなどあり得ない。預言者さまSAWは、述べておられる。「われアッラーのしもべたちよ、お前たちの最初の者、最後の者、人間やジン、それらがこぞって一箇所に立ち何かをせがみ、各人に望みのものを与えたとしても、われの持ち物が何一つ減る訳ではない。仮に減るにしても、大海原に一本の針を入れるようなものである。」 信者は、あらゆる願い事をアッラーだけに求めなさい。アッラーを心から信じて頼りにしなさい。あらゆるものがアッラーの許に戻ってゆくことを承知しなさい。

アッラーは、クルアーン・フード章において述べておられる。

「天と地の幽玄界は、アッラーのものであり、また、凡ての物事(の決定)は、アッラーに帰属する。だから、その御方に仕え、その御方を信頼しなさい。・・・」(11章 123節)

至高のアッラーは、信頼を寄せる者、頼りにする者を御助けになられる。

アッラーは、クルアーン・集団章及び開端章において述べておられる。

アッラーは、しもべにとって万全(な守護者)ではないか。・・・」(39章 36節)

「私たちは、あなたさまにこそ崇め仕え、あなたさまにこそ御助けを請い願う。」(1章 5節)

アッラーを信頼する者は、あらゆる事柄にあってその御方に従おうとする。預言者ムーサー(平安を)がファラオを前にして述べた言葉がある。その言葉をアッラーは、クルアーン・ガーフィル章において述べておられる。

「・・・私は、自身のことはアッラーに委ねています。アッラーは、しもべたちを見守られます。」(40章 44節)

 

信者たちよ、アッラーを思い、そして、アッラーを崇拝すること、そのことは、全てのムスリムが求められていることである。預言者さまSAWは、述べておられる。「アッラーは、おっしゃられました。われは、わがしもべがそうであると信じているとおりの存在である。われを善良であると思うなら、そのとおりであり、われを悪辣と思うなら、そのとおりである。」 即ち、アッラーを善良であると思い、自分が良い時にも、悪い時にもアッラーを信じいなさいということである。アッラーを信頼することは、預言者や御使いの品性の一つであり、善良な人間についても、同様の品性が見いだされる。預言者イブラーヒーム(平安を)は、アッラーが命じられたことに従う人々にとっての立派なお手本である。アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「主は、彼に向かって、『服従、帰依しなさい。』と仰せられた。彼は、『私は、万有の主に服従、帰依します。』と言った。」(2章 131節)

預言者イブラーヒム(平安を)は、アッラーによって、館カーバの建立を命じられた。それで、妻ハガルと赤子イスマイールとを連れて、不毛の谷間である砂漠の地へと出発した。その場所は、マッカであり、当時は、人も居なければ水も無い所であった。そこに着くと預言者イブラーヒーム(平安を)は、妻ハガルと赤子イスマイールの居場所を決めて、少しのナツメヤシが入った革袋と、何がしかの水の入った小さな革袋とを置いて、帰路につこうとしたのである。イスマイールの母は追いすがりながら、「イブラーヒームよ、誰もいない、何も無い、何の希望も無いこの谷間に二人を残し、どこへ行こうとするのですか。」と繰り返し何度も尋ねたが、イブラヒーム(平安を)は、振り返りもしなかった。「アッラーが、こうするように命じられたのですか。」と問うと、「そうだ。」と答えがあり、すると、イスマイールの母ハガルは、「それならば、アッラーが私たちを見捨てることはありません。」と言ったのであった。アッラーの御命令を快く受け入れるというイスマイールの母ハガルの強い信仰心は、山が大地に深く根を下ろすように、アッラーに対する深い信頼の証である。イスマイールの母ハガルは、ザムザムの聖水が赤子イスマイールの足元から湧き出て飲み水になろうとは、また、天使が降りてきて、「何もないと恐れることはありません。」と語りかけようとは、その時点では知らないのである。

 

信仰篤い者のもう一人の例は、品行が良く貞節な女性マルヤムである。結婚もしていないのに妊娠してしまい、、苦悩はするが耐えたのである。そこでは、神による不思議が起こったのである。とんでもないことを仕出かしたと、世間から非難され悩まされたが、アッラーは啓示を下され、マルヤムは、アッラーを信頼することによって苦悩から解放された。そのことについて、アッラーは、クルアーンマルヤム章において述べておられる。

「食べ且つ飲んで、お前の目を冷しなさい。そしてもし、誰かを見たならば、『私は慈悲深き主に、斎戒の約束をしました。それで今日は、誰とも話は致しません。』と言ってやるがいい。」「それから、彼女は、彼(息子)を抱いて自分の(親族の)人々の許に帰ってきた。彼らは、言った。『マルヤムよ。お前さんは、何と大変なことをしてくれたのか。』」「ハールーンの姉妹よ、お前の父は悪い人ではなかった。母親も不貞の女ではなかったのだが。」「そこで彼女は、彼(赤ん坊である息子)を指さした。・・・」(19章 26--29節)

アッラーを信頼したからこそ、マルヤムは、生まれたばかりの赤ん坊を皆の許に連れて戻り、その子を指さしたのである。主が、赤ん坊に話をさせ、彼女の無実を晴らしてくれようとはその時点では、知る由もなかったのであるが。アッラーは、クルアーンマルヤム章において、更に続けて述べておられる。

「・・・彼らは言った。『どうして私たちは、揺籠の中の赤ん坊と話すことが出来ようか。』」「(その時)彼(赤ん坊)は言った。『私は、誠にアッラーのしもベです。その御方は私に啓典を与え、私を預言者になされました。」「また、その御方は、私が何処にいようとも祝福を与えて下さいます。また、命のある限り礼拝を捧げ、喜捨をするよう、私に命じられました。」「また、(私を)自分の母に対する孝行者にさせられ、高慢で不幸な者になされません。」「また、私の出生の日、死去の日、復活の日に、私の上に平安がありますように。』」(19章 29--33節)

 

信者たちよ、アッラーを信頼すると共に、アッラーの御言葉聖典クルアーンで語られている事柄と行いについても、預言者ムハムマドSAWの導きについても、信頼を置かなければならない。もしも、困難に出遭ったならば、アッラーが救済して下されると信じなさい。そして、何かの間違いを犯したなら、アッラーは御赦し下さると信じて、御赦しを請いなさい。そのことについて、アッラーは、クルアーン・相談章において述べておられる。

アッラーこそは、しもべたちの悔悟を受け入れ、様々な罪を御許し下される。お前たちの行いを御存知であられる。」(42章 25節)

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、あなたさまを称讃し信頼し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

 

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年6月30日)

―― アッラーを信頼するということ ――

より転載

 

 

カダーの断食とシャウワール月の斎戒

イスラーム学びチーム、メールマガジンより抜粋

 

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

カダーの断食とシャウワール月の6日間の断食

ラマダーン月が終わり、イスラーム暦10月シャウワール月になりました。ラマダーン月の斎戒はアッラーがお命じになったファルド(義務)です。 そして病気や生理や産褥や旅行などの理由どで、そのラマダーン月に斎戒ができなかった日数分は、埋め合わせしなければいけません。ファルドは怠れば罪として残ります。

それとは別に、ある定められた期間に斎戒が奨励されています。
これらはスンナ(預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の言行)で、行えばアッラーからの報奨がありますが、行わなくても罪にはなりません。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は言われました。
≪誰でもラマダーン月に断食をして、シャウワール月に6日間(断食を)続けた人は、1年間断食をしたようなものです。≫ ムスリムの伝承

アッラーは、善行を、10倍になさいます。ですから、一ヶ月間を10ヶ月間にしてくださり、イードルフィゥトル(断食明けの祭典)後の6日間で、ちょうど一年間となります。≫ナサーイーの伝承
(10ヶ月間(300日間)+60日間 ≒ 一年間(365日間))

≪誰でもラマダーン月に断食をして、シャウワール月に6日間(断食を)続けた人は、母親が彼を生んだ日のように、全ての罪からきれいになります。≫タバラーニーの伝承

このスンナの断食をするときのニーヤ(意思)の3つのやり方:

1(一番ご褒美が多い):ラマダーン月にできなかった日数分のカダーの斎戒をした後、シャウワール月の6日間の斎戒をする

2(許されている):ラマダーン月にできなかった日数があまりに多く、それをした後では、シャウワール月中にスンナの6日間の斎戒は出来ない場合などは、シャウワール月中に6日間のスンナの分の斎戒をし、シャウワール月を過ぎてから別の月にカダーの斎戒をする

3(ご褒美が少ない):シャウワール月にするカダーはシャウワール月のスンナの6日間を兼ねることができる。つまり義務とスンナのふたつのニーヤ(意図)をもつことができる

3は、一日の断食に、義務とスンナのニヤを重ねてもいいという学者もいますが、もしスンナしか取られなかったら、義務を落とすことになり、とても危険です。別の日に行った方がより安全。
例:ニヤ ×「ラマダーンのカダーの断食と、シャウワールのスンナの断食をします。」
     ○「ラマダーンのカダーの断食をします。」
     ○「シャウワールのスンナの断食をします。」

また、スンナの斎戒はご主人の許可が要ります。 カダーは、義務の斎戒ですから、許可が無くても、できます。
シャウワール月の6日間はラマダーン月が終わり、イードの翌日からすぐ続けてしても、6日間を連続ではなく分けて週末にするとか、月の後半にするとかでも全く問題ありません。(注:イードの一日目は断食禁止です)

質問:カダー(埋め合わせ)の断食と、シャウワールの断食の どちらを先にすべきか?
答え:私達はいつ死ぬかわからないので、死んだときにカダーが残っていると大変なので、カダーを先に優先させてする方がよく、カダーの断食が終わった後、シャウワール月内に6日間の断食をするのが、一番よい方法です。
・カダーの断食が多く、礼拝がない期間も重なると、両方がシャウワール月内に、終わらない場合:
シャウワールのスンナの6日間は、シャウワール月内でないとできないが、カダーの断食は、来年のラマダーン前までに行えばいいので、特に病気などで、すぐに死んでしまう可能性が高い状態でなければ、先に、スンナの6日間をしてから、カダーの断食を行っても良いという見解もあります。

ラマダーン月が終わってからもできる、他のスンナの断食
注意:結婚されている方は、スンナの断食(義務かカダーの断食以外。ラマダーン以外の断食)をされる場合には、ご主人の許可が要ります。明日、スンナの断食をしてもいいか?とご主人に許可を取ってから、断食するようにしましょう。
・毎週、月曜日と木曜日の断食。天使が私たちの行いを書いた本を、アッラーのところへ送る日なので、(最後のページが、断食という善行を書かれたものになるように)その日に、断食をしていたい、と預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は言われました。
ヒジュラ暦の毎月13日、14日、15日の3日間の断食。
※これらの日全てに、食べたり飲んだりするのを断つ断食をするのが、難しければ、これらの日には、せめて食べ過ぎに注意したり、目、口、耳、の断食だけでも心がけてみる。
アッラーのお嫌いなものを見ない(他人の部屋を覘く、いかがわしい絵や写真、不倫や婚外交渉を扱う恋愛ドラマ、他人を蔑んで見ること、など)
アッラーのお嫌いになられることを聞かない(他の人の悪口、陰口、中傷、喧嘩、噂話、下劣な話、など)
アッラーのお嫌いになられることを言わない(上と同じ。)
アッラーのことをたくさん考えるよう、努力する。

イードグリーティング

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アッサラームアライクム

 

今日、沢山のイードのお祝いのメッセージとグリーティングカードムスリムの家族たちから貰いました。

 

みんな素敵なメッセージがいっぱいです。

 

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皆様のイードが素晴らしいものでありますように!

 

イードムバラク

 

 

 

イードムバラク

アッサラームアレイクム ワラフマトゥラーヒ ワバラカートフ

ルーヤトゥ・ヒラール・コミティ・ジャパン(日本新月確認委員会)によると、1438年ラマダーン月29日(2017年6月24
日)にマレーシアにおいてシャウワールの新月が確認されましたので、イードゥ=ル=フィトゥルは6月25日(日)になりました。

 

皆様どうぞ素晴らしきイードをお迎え下さい。

 

各地のモスクにてイードの礼拝が行われます。

 

横浜マジスドは七時半から

大塚マジスドは8時から

五反田モスクは9時からです。

 

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フィトラの喜捨とイード礼拝に係る心構え

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年6月23日)

―― フィトラの喜捨イード礼拝に係わる心構え ――

 

アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。

あらゆる賞賛と感謝は、夜の礼拝と断食斎戒をすることで人々に救済の機会をつくられ、ラッヤンの扉から楽園に入れて下される御方アッラーのもの。

また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ、アッラーは、至高の統治者であられ、最も御赦し下される御方である。

アッラーは、御望みの物事を創造なされ、崇拝は、その御方のものである。

その御方は、始めも終わりもない、その御姿、本性については解明できない幽玄界の存在であられる。何かに心を寄せようとするなら、アッラーに心を寄せ、アッラーの御命令に従いなさい。

アッラーは、御命令の一つ、断食斎戒について、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「信仰する者よ、お前たち以前の者に定められたように、お前たちに断食斎戒が定められた。きっと、お前たちは、主を畏れるであろう。」(2章 183節)

 

信者たちよ、少し前にラマダーン月を迎えたが、この清い月に別れを言う日は間もない。

至高のアッラーは、月や年を設けられた統治者であられる。

人々の命運は、アッラーに従うことに費やす時間に係わっているものであり、命運は、各自の思いや行いによって良くも悪くもなるかも知れない。

ラマダーン月が終わりを迎えようとしているが、ラマダーン月の間大いに努力した者は、良い行いに努めた者として記録されるだろう。

至高のアッラーは、クルアーン・衣を纏う者章において述べておられる。

「・・・お前たちが、自分の魂のために行うどんな良いことをも、アッラーの御許でそれを見い出すであろう。・・・」(73章 20節)

良い知らせは、自らの許へとやって来る。断食斎戒を行い、その行いの故に、限りのない報酬を約束されるに違いない。

その上、クルアーンを読誦する為に自らが発した声というものも、報酬の増加に加わるということである。

最後の審判では、断食斎戒とクルアーンとが仲介役を買って出ることだろう。

預言者さまSAW は、述べておられる。「断食斎戒とクルアーンは、審判の日に、仲介役となってくれるだろう。

断食斎戒は、『アッラーよ、私は、その者の食事と飲むことを妨げました。私がその者の為に、仲介役となることを御許し下さい。』と言うだろう。 更に、クルアーンは、『アッラーよ、私は、その者が夜中に眠るのを妨げました。私がその者の為に、仲介役となることを御許し下さい。』と言うだろう。結局、両者は、赦されて、仲介役となるのである。」

 

信者たちよ、断食斎戒の価値を高め、断食斎戒中に犯した過ちを穴埋めする為に、アッラーは、ザカート・アル・フィトゥル(断食斎戒明けの喜捨)を払うように命じておられる。預言者さまSAW は、断食斎戒を行った者として、行いや言葉の過ちを浄化する為と、貧しい人々に食べ物を提供する為に、ザカート・アル・フィトゥルを払っておられたという。

 

預言者さまSAW は、述べておられる。

ラマダーン月が終わる前に、ないし、断食明け大祭の前に、ザカート・アル・フィトゥルを払うがよかろう。」 

従来、ザカート・アル・フィトゥルは、主食の穀物ナツメヤシの実を、規定量をもって払うものであるが、今では、現金で支払うことが通例である。

現在日本においては、支払う一人に付き、1,500円である。従って、家族がいるなら、1,500円に家族の人数を掛けた金額である。

どんなに遅くても、イード礼拝が始まる前には払い終えなければならない。

信者たちにとって、ザカート、断食斎戒は務めであり、信仰行為として必ず行うべきことである。

それは、報酬を得る為の然るべき手段である。アッラーは、クルアーン・胸を広げる章において述べておられる。

「誠に、困難と共に、安楽はある。」「それで、(勤めを終えて)楽になったら、更に、労苦して、」「(一心に)お前の主に仕えるがいい。」(94章 6--8節)

信者たちは、忍耐をしながらも、いつでも、有意義なことに時間を費やしなさいということである。

 

信者たちよ、アッラーは、大事な信仰行為である断食斎戒を果たした後には、喜びに溢れる特別なものとしてイードを御用意下さった。

イードの日の朝に行うイード礼拝に先立って、自分の全身を浄めることなどを、預言者さまSAWは、教えておられる。

イード礼拝に出掛ける前に、グスル(全身の浄め)行いなさいということである。

そして、良い服を着て、香水をつけるのが望ましい。

また、イード礼拝に出掛ける者は、預言者さまSAWを見習って、何つぶかのナツメヤシの実を用意しておくとよいだろう。預言者さまSAWは、ナツメヤシの実を食べてからイード礼拝に向かわれるのが常であったという。

そして、預言者さまSAWは、ナツメヤシの実を口にする時には、きっと奇数個食べられたという。

更には、イード礼拝には、徒歩で出掛けるのがよく、往きと帰りでは別の道を選ぶのが好ましい。

イード礼拝には、老若男女の皆が出掛けるように心掛けるのが良いことであるから、イード礼拝を行うマスジドや広場に家族そろって出掛けるようにしようではないか。

家族みんながイード礼拝に加わり、家族の皆が、それぞれに報酬を受け取るがよい。

以上のことを知った上で、今年のラマダーン月の残りの日々が良い日であるようにと、主に祈ろうではないか。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。

そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、フィトラの喜捨を遅れることなく支払う者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように御導き下さい。過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い信仰心強く、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン