私はムスリムです

私は日本人改宗ムスリムです。イスラームについて学んだことをシェアしているブログです。

礼拝の意味

ムスリム学びチームより

 

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において     
              2017年6月21日                                                                                                                                    
 ラマダーン☆彡スペシャル 
アッラーを望む人よ20 -心の病の治療法「礼拝の意味 2」-

ハビーブ・アリー・ジェフリー先生の「アッラーを望む者よ15(13:00~最後)」参照
https://www.youtube.com/watch?v=Xb8tEikbhHE
私達を地獄へと誘うシャイターンをアッラーが鎖につないでおいてくださるラマダーンは、もう一方の敵ナフス(自我)を治療する、とてもよいチャンスです。このラマダーンに、私達の心の中に巣食ういくつかの心の病と向き合って治療しようというプログラムをお送りします、インシャーアッラー

これまでのラマダーンに、心に汚れが入って来る悪い窓を閉めた後の心を浄化する方法や、窓を閉めることを知る前に、心に侵入し根付いてしまった汚れから心を浄化する方法、内面と外面の浄化についてお送りしました。今年は、それらを行うためのナフス(自我)の訓練の仕方についてです、インシャーアッラー

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「礼拝の意味2」

ナフス(自我)に逆らう訓練の具体的な方法、その最も大事なものが、一日に五回の礼拝を時間通りにきちんと行うことです。本来の礼拝の意味は、「愛する御方との約束の時間」です。待ち遠しく、心躍るものです。この本来の意味を理解した上で行う礼拝にするため、前回は2つのことについて説明しました。

1 合同礼拝
2 最も良い時間帯

今回は、その3つ目です。
3 義務の礼拝の準備

・礼拝時間に入る前に、礼拝を待ち望むこと:
アザーンが鳴る前に、礼拝時間に入る準備を万端にしておくことです。日本では、街中でアザーンを聞くことはできませんが、携帯のアプリなどでアザーンが鳴るように設定していらっしゃる方もいるでしょう。アザーンに不意を突かれ、驚かされることがないようにしましょう。「あら、もう礼拝の時間に入ってしまった。ああ、今、ちょうどこの仕事をやり始めたところなのに、、、、」この一瞬の当惑には、礼拝の時間に入ったことを煩わしく思う、負担に思う気持ちが含まれています。これは問題です。アッラーを求める人が、愛するアッラーとの面会の時間に入ったことが、「面倒に感じる」というのは、とても危険な状態です。

「もちろん、私は礼拝しますよ、きちんと時間通りに、仕事も後回しにして、すぐに礼拝に立ちます。だから、いいじゃないですか!」そう思うかもしれません、でも礼拝時間に入ったことを一瞬でも「煩わしく感じる」という心の状態は、まるで、「ああ、今でなくて、もう少し後だったらよかったのに。。。」と言っているかのようです。会えるのを待ちに待った、愛する人との面会時間になって、「いや、今でなく後にして!」と言う人がいるでしょうか。礼拝時間に入るほんの数分前でも構いません。礼拝を恋しく切望する気持ちを持って、礼拝時間に入るのを待ってみましょう。

礼拝時間に入ってすぐに礼拝をする人もいれば、「この仕事がひと段落着いてから、礼拝に立とう。」と、礼拝を始める時間を遅らせる人もいます。そうしているうちに、最初の最も良い時間帯が過ぎてしまい、礼拝が嫌悪される時間帯に入ってしまうこともあります。例えば、アスルの礼拝を遅らせて、マグレブの直前になってしまうと、もちろん礼拝はしなければなりませんが、その時間帯は、嫌悪される時間帯です。どうして、私たちは、愛する御方との面会時間を、「嫌悪される時間帯」まで遅らせることができるのでしょうか。

それよりも悪い状態は、礼拝の中の最後のサラームが終わった途端に、次のアザーンが鳴り次の礼拝時間に入る、という状態で、ギリギリの最後の最後の時間に礼拝をする、という状態です。もしかしたら、時計が1,2分狂っていて、その礼拝は、礼拝時間内にできていなかったけれど、気付かずにいるかもしれません。

これよりも悪い状態がありますか?礼拝時間が過ぎて終わってしまったのに、まだ義務の礼拝をしていない状態!!!なんということでしょうか。アッラーを望む人が、アッラーとの約束の時間を過ぎて、礼拝をまだしていない、、、、任意の礼拝のことではありません。義務の礼拝、アッラーが、あなたに命と体を与えますから、これだけはしてください!!と私たちに命じている義務の礼拝、数分もあればできることを、約束の時間内にやっていない!!!そんなことがあっては絶対になりません。

礼拝時間を、礼拝を切望する気持ちで待ってみましょう。その習慣をつけましょう。それによって、もし、多忙な日に、気がついたら礼拝時間になっていた、ということがあったとしても、私たちの心の状態が以前とは違います。もう、礼拝時間に入ったことを「面倒に思う気持ち」はなくなり、嬉しく思う気持ち、「もう礼拝ができる!という喜びの気持ち」が沸き上がるようになるでしょう、インシャーアッラー

アザーンを聞いた時には:

アッラーフアクバル、アッラーフアクバル。」
この最初のアザーンを聞いたら、すべての事を中止します。それまでやっていたこと、仕事、おしゃべり、運動、すべてです。昔の敬虔な方は、木を切ろうと斧を振りかざしたときにアザーンを聞いたら、その斧を振り下ろさずに中断し、縫物をしていて、針を布に刺したところだったら、それを抜かずに手を止めたそうです。そして、「アッラーフアクバル、アッラーフアクバル。」アザーンの言葉通りに、自分でも意味を感じながら繰り返して言います。

アッラーフアクバル(アッラーは偉大なり)」というのは、アッラーが何よりも大きい、という意味ではありません。アッラーは他の物と比べる対象ではありません。例えば、「宇宙は蟻よりも大きい」とは言わないでしょう。そんなことは当然で、あえて言うことが無意味だからです。では、「アッラーフアクバル」とは、どういう意味でしょうか。アッラーが私たちを礼拝に呼びかける時、心の中に浮かんだ、他のどんなことよりも、自分の財産よりも、家族よりも、子どもよりも、仕事よりも、今日の会議よりも、何よりも、どんなものよりも、アッラーが最も重要だ、アッラーが自分に呼びかけている礼拝時間が、何よりも最も重要だ、ということです。また、自分がアッラーは偉大だ、と思うよりも、アッラーはずっと偉大であり、自分がアッラーは寛大だ、と思うよりも、アッラーはずっと寛大であり、常に自分の頭に浮かぶよりもアッラーは偉大だ、という意味です。

「アシュハド アッラー イラーハ イッラッラー」(日本語:私はアッラー以外に神はないことを証言します)
この意味を心で感じながらアザーンを聞けば、アザーンの度に、アッラーのご慈悲が下りほどの言葉です。クルアーンにこうあります。

アッラーはかれの外に神がないことを立証なされた。天使たちも正義を守る知識を授った者もまた(それを証言する)。偉力ならびなく英明なかれの外に、神はないのである。】クルアーン3-18
【شَهِدَ اللَّهُ أَنَّهُ لَا إِلَهَ إِلَّا هُوَ وَالْمَلَائِكَةُ وَأُولُو الْعِلْمِ قَائِمًا بِالْقِسْطِ لَا إِلَهَ إِلَّا هُوَ الْعَزِيزُ الْحَكِيمُ】

私たちが、「アシュハド アッラー イラーハ イッラッラー」と言う時、思い出します。自分の証言は、アッラーが証言なさったこととつながっていることを、そして、その光栄さを心で感じます。アッラーが、クルアーンの中で証言なさったことと同じことを、自分が証言していることを感じながら、アザーンの後に続いて「アシュハド アッラー イラーハ イッラッラー」と言います。

そして、「ラー イラーハ イッラッラー」(日本語:アッラー以外に神はない)という言葉を言いながら、心の中から、アッラー以外の物をすべて追い出します。

「アシュハド アンナ ムハンマダン ラスールッラー」(日本語:私はムハンマド様がアッラーの使徒だということを証言します)
大好きなムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)の名前が言及されました。このお名前を聞いた時、私たちの心の動きはどうでしょうか。アザーンの中の「ムハンマダン」とお名前を聞いた時、この名前が、私たちの心にどう作用するでしょうか。どんな風に心を動かすでしょうか。

ビラール様(アッラーのご満悦あれ)は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が亡くなられた時、その悲しみの深さから、マディーナを離れました。「ビラール、マディーナから出て行くのか?」と尋ねられたとき、彼は「そうです。私にはここに居続けることができません。本当は離れたくはない。しかしこの地は、私にアッラーの使徒のことを思い出させてやまないのです。ここではどの家を見てもアッラーの使徒のことを思い出さずにいられない・・。私はここに居ることはできない・・・」

そう言うと彼は、シャーム地方へ旅立ちました。そして現在のシリアのダーリーアという町で結婚しそこに住んでいました。ある朝目覚めると、彼は涙を流し泣いていました。「どうしたのですか?」と聞かれると、こう言いました。「昨晩、アッラーの使徒を見ました。そして、彼が私にこうおっしゃいました。『ビラールよ、この疎遠さはどうしたのですか。もう私を訪問してはくれないのですか?』別の伝承では『私のことが恋しくはないのですか?私は、あなたがいなくて寂しい。』」ビラール様(アッラーのご満悦あれ)は、思慕の気持ちが一層激しくなり、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を訪問するためにすぐに荷物をまとめました。

マディーナに着き、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の墓を訪れると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への思慕が募り、墓の前で彼の不在に涙を流していました。家を出ると、アブーバクル様とウマルさま(彼らにアッラーのご満足あれ)に会いました。二人は、彼に、「昔のようにアザーンを呼びかけてくれないか。アッラーの使徒のためにアザーンを呼びかけていた頃のように。」と頼みました。すると彼は「私にはもうアザーンを呼びかけることはできません。かつては、アザーンの前にいつもアッラーの使徒の部屋の側を通り、『礼拝です、礼拝です、アッラーの使徒よ。』と声をかけていました。でも今は、いったい誰に声をかければいいのでしょう・・」そう言うと彼らの申し出を断り立ち去りました。

そこを離れて少し行くと、預言者ムハンマド様(彼に祝福と平安がありますように)の孫のハサン様とフサイン様(彼らにアッラーのご満足あれ)が来て、彼を迎えました。お二人を見ると、彼は預言者ムハンマド様(彼に祝福と平安がありますように)の部屋でお二人を見た日々を思い起こしました。ある時は預言者ムハンマド様(彼に祝福と平安がありますように)の肩の上に、また胸に抱えられている彼らを見たことを、またある時は、お一人の手を引きもうお一人を抱きかかえておられたそのお姿を思い起こしました。そのお二人の姿を見ると、どんなに預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がお二人を愛しておられたかを思い出し、激しく泣き崩れ、お二人を抱き締めました。お二人の祖父(預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ))の匂いを思い出そうとするかのように。
お一人が彼に言いました。「ビラール、僕らの祖父のためにしていたあなたのアザーンを聞けなくて、僕らは寂しかったです。以前彼のためにアザーンを呼びかけていたように、僕らのためにアザーンを呼びかけてくださいませんか。」彼はお二人を見て泣きながら言いました。「アッラーに誓って、すでにアブーバクルとウマルにお断りしたところなのです。しかし、あなた方お二人に対して断ることができません。」

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)とその子孫への愛情のために、ビラール様(アッラーのご満悦あれ)はそう言うと、かつてアザーンを呼びかけていた場所に上って行きました。そして声高らかにアザーンを呼びかけ始めました。

アッラーフ アクバル(アッラーは偉大なり)、アッラーフ アクバル(アッラーは偉大なり)」

マディーナの町が震えました。ビラール様(アッラーのご満悦あれ)のお声への思慕によって。

アッラーフ アクバル、アッラーフ アクバル」

アザーンを聞いて驚いた人々の泣き声と叫び声が響き渡ります。

「アシュハド アッラー イラーハ イッラッラー(私はアッラーだけが神であることを証言します。)」

家々から、人々が飛び出してやって来ます。口々に泣き叫びながら。「アッラーの使徒がお戻りになったぞ!アッラーの使徒が復活された!!」こう叫ぶ声と号泣で、町全体が震えました。町中の人たちの心の中に脈々と溢れる預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への大きな愛情によって、その町は震えました。そして、ビラール様(アッラーのご満悦あれ)が「アシュハド アンナ ムハンマダン(私はムハンマドが)・・・」という言葉まで来ると、どうしてもその後を続けられなくなり、泣き崩れました。

ビラール様(アッラーのご満悦あれ)がアザーンを呼びかけたこの日ほど、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が亡くなって以来、あんなにもマディーナの町が泣き声と悲しみに包まれた日はありませんでした。

「アシュハド アンナ ムハンマダン ラスールッラー」と聞いた時に、私たちの心の中に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)へのこの思慕はあるでしょうか?心で真に感じる愛情はあるでしょうか?ムハンマド様(アッラーの祝福と平安あれ)がいなければ、私たちはアザーンを知ることもありませんでした。礼拝を知ることもありませんでした。アッラーを知ることさえありませんでした。
ハイヤーアラッサラー」(日本語:礼拝へ来たれ)
アッラーが、こう呼びかけているのに、その場に座り続けていることができますか?すぐに立って礼拝をしに行きます。この言葉を聞いたら、「ラー ハウラ ワ ラー クウワタ イッラー ビッラー」(日本語:至高至大のアッラーの他にいかなる威力も強大なるものもありません。)と唱えます。自分は、自分の力で礼拝に立つのではなく、アッラーのタウフィーク(合意による成功)により立つことができるのだ、と感じながら、この言葉を繰り返します。

アザーンが終わったら、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)に祝福祈願を送り、ワスィーラをドゥアーします。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこう言われたからです。

《あなたたちはムアッジンの詠唱を耳にした時には彼のいっていることを同じように繰り返しなさい。
それから私(預言者)を祝福しなさい。私を祝福した者は誰でもアッラーより10倍の祝福をうけるだろう。
それから私のためにワスィーラをアッラーに請いなさい。ワスィーラとはアッラーの下僕(信徒)達の中でただ一人のために用意された天国での特別席ですが、私はそのただ一人になることを望んで止みません。 私のためにこのワスィーラをアッラーに請うた者は誰でも最後の審判の際には私からの執り成しが保証されるでしょう。》ムスリム伝承

☆彡アザーンの後の祝福祈願☆彡
アッラーフンマ ラッバ ハーズィヒッダアワティ ハーズィヒッダアワティッターンマティ、ワッサラーティルカーイマ 、ワッサラーティルカーイマ。アーティ ムハンマダニルワスィーラタ ムハンマダニルワスィーラタ ワルファディーラ。ワブアスフ マカーマン マハムーダニッラ マハムーダニッラズィー ワアッタフ、(インナカ ラー トゥフリフルミーアードゥ)。」
アッラーよ、この完成された呼びかけと繰り返し続く礼拝の主よ、ムハンマドに天国における高い位階と栄誉を与え、あなたが彼に約束されたところの賞賛に溢れた位階に彼を蘇らせたまえ(本当にあなたは約束を反故にされる事がありません)。」

アザーンとイカーマの間にドゥアーをすると、受け入れられると言われています。両親のために、ドゥアーをしましょう。アッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の次に大事な方たちです。

これが礼拝に入るまでの準備段階です。
私たちが礼拝を待ち焦がれながら、アザーンを聞く機会にいつも恵まれますように。

ライラト ル カドルに出逢うための準備

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年6月16日)

―― ライラト・ル・カドルに出会う為の準備をしなさい ――

 

 

アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。あらゆる賞賛は、慈悲の御心でラマダーン月を祝福なされる御方、アッラーのもの。その御方は、ラマダーン月を心からの悔悟と御赦しの為の月として設けられた。そして、ラマダーン月に至高のアッラーは、明快な規範と確かな教えとしてクルアーンを下された。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。ムハムマドSAWは、述べられた。「篤い信仰心をもって、報酬があることを信じて信仰行為に打ち込み、ライラト・ル・カドル(カドルの夜、高貴さと偉大さの夜)を迎える者は、それまでに犯した悪事を赦される。」

 

信者たちよ、至高のアッラーは、クルアーン・物語章において述べておられる。

「お前の主は、御望みのものを創られ、また、選ばれる。・・・」(28章 68節)

ラマダーン月は、神聖な時間の一つであり、信仰行為に励み、心からの御赦しを求める月として、アッラーが御選びになった。ラマダーン月は、人々がアッラーに御近づきになる為の最も相応しい時である。その上、ラマダーン月の終わりの十日間は、他の最良の時よりももっと素晴らしいものを秘めている日々である。アッラーは、限りのない愛をもって、ラマダーン月を祝福なされる。

 

信者たちよ、預言者さまSAWは、ラマダーン月の終わりの十日間には、一年の他の時以上に、信仰行為を行うことに努められた。そのラマダーン月の終わりの十日間の中には、信者たちが出会いたいと思う素晴らしい夜がある。預言者SAWの妻アイシャさま(平安を)によれば、預言者さまSAWは、ラマダーン月の終わりの十日間には、信仰行為に打ち込まれ、寝るよりも立っておられようとなされた。また、アイシャさま(平安を)は語ったと伝えられている。「預言者さまSAWは、ラマダーン月の終わりの十日間には、夜中中起きておられ、家族を起し、腰に帯を締められた。」 「腰に帯を締める」とうのは、最善の信仰行為に励もうと準備を十分に整えられたということである。ラマダーン月最後の十日間の夜には、報酬があることを信じて、タラウィーの礼拝、そして、タジュウィードの礼拝を逃さないように心掛けたいものである。

 

信者たちよ、ラマダーン月は、その昼も夜もやがて終わりを迎える。信仰篤いムスリムたちは、ラマダーン月がやがて終わりを迎えるというので声を掛け合う。ラマダーン月の終わりの十日間の中には、ライラト・ル・カドルがあるのである。ライラト・ル・カドルは、祝福された夜であり、至高のアッラーは、聖クルアーンを下す夜として選ばれた。アッラーは、クルアーン・煙霧章において述べておられる。

「誠、われは、祝福された夜に、これ(聖典クルアーン)を下した。・・・」(44章 3節)

即ち、クルアーンはカドルの夜に、最下天にまとめて下されたということである。天使ジブリールは、預言者さまSAWが出会う事件や事柄に従い、部分部分を23年間に亘って啓示として伝えられたのである。そして、最初の啓示がなされたのは、カドルの夜であったと言う。ところで、最下天とは、人間と天使とをつなぐ接点で、そこは、天使にとっては住処であり、我々にとっては天と称している屋根であり飾りである。この聖なる夜は、祝福に満ち溢れ、しもべたちを厚遇する為の時として、アッラーは、とても大切なものとしておられる。

アッラーは、クルアーン・天命章において述べておられる。

「誠、われは、カドルの夜に、それ(クルアーン)を下した。」 「カドルの夜が何であるかを、お前たちに判らせるものは何か。」 「カドルの夜は、千の月よりも優る。」 「(その夜)天使たちと聖霊は、主の御許しによって、あらゆる神命をもたらし下る。」 「 平安である。暁の明けるまで。」(97章 1--5節)

天命章は、カドルの夜が、千の月よりも優る素晴らしい夜であり、天使たちは、住処である最下天(スドゥラット・アル・ムタハ)より降りて来るとことが描写されている。天使たちは、人々が祈願するのを聞いて、アミィーン(叶えられますように)と唱える為に降りて来るのである。預言者さまSAWは、述べておられる。「ライラト・ル・カドルは、ラマダーン月の終わりの十日間の間にある。そのカドルの夜をラマダーン月の終わりの十日間の中に見付けなさい。」 誠に、この清い夜に信仰行為の為に起きていて祈願する者は誰でも、御赦しが得られる。この清い夜に巡り会った者は、本当に幸せ者である。その夜になされた信仰行為や祈願は、千の月に行うものに優るのである。ライラト・ル・カドルは、ラマダーン月の終わりの十日間の中にあるが、どの日であるかを予想することは出来ない。ラマダーン月の終わりの十日間には、どの日にも熱心に信仰行為に励み祈願するがよい。

 

信者たちよ、最善の結果を期待するならば、ラマダーン月の終わりの十日間の夜には、起きていようとしなさい。そして、主を心から畏れる者は、きっと、幸せな結果を得る。預言者さまSAWは、述べておられる。「ラマダーン月の終わりの十日間の夜に、努力して目的を果たした者には、アッラーは、良いものの中の最良のものを与えて下される。アッラーの最良のものとは、それは楽園である。」 このことを知って、ラマダーン月の終わりの十日間には主の慈悲にすがり、ライラト・ル・カドルに巡り会う一人にして頂きなさい。

 

信者たちよ、ライラト・ル・カドルは、平穏平和で、信仰に満ちた夜であり、人々の間に論争や不和が起こらない夜である。アッラーは、クルアーン・天命章において述べておられる。

「平安である。暁の明けるまで。」(97章 5節)

心の中の恨み、妬み、憎しみなどの感情を打ち払い、神聖な夜を受け入れるに十分な準備を整えようではないか。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、ライラト・ル・カドルに巡り会い、あなたさまの御満足が得られる者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまの慈悲によって、忠実なしもべであるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

 

 

 

イーティカーフについて

マジスドにこもることイーティカーフといいます。

 

イーティカーフをすると決めたなら

最初にニイヤを正しましょう


せっかくの尊い時間を持つことができたのだからしっかりと準備をすることが大切です。


何処のマジスドに行くか、何を持っていくのか

自分のイーティカーフのプログラム、イーティカーフしている間、何をするかを決めてからいきます。

無目的でやればいいものではありません。

自分なりに
クルアーンを読むとかハディースを読むとか目的、目標を設定して行うようにしましょう。


そして、自分に対しての動機付けをします。


何故イーティカーフをするのか
その想いも継続していきましょう。


実際に中東であった出来事です。


普段、仕事がとても忙しい男性が
イーティカーフを最後の10日間にしたいと仕事を工面して休みを取りました。


その準備は奥様がしました。


ご主人が持っていく服にアイロンかけて、洗面具や軽食を準備して、クルアーンなどイバータに必要な物も全て持たせるよう10日間のための準備をしました。


ご主人は「10日の中でクルアーンの三ジュズをわたしは覚えたいと思っています。どうか私のためにドゥアーをしてください。」と奥様に言いました。

奥様は「インシャアッラー、あなたが目標達成出来るようドゥアーします。」と答えました。

 

奥様は乳飲み子がいましたから一緒に行くことが出来ませんでした。

 

でも奥様はずっとアッラーにドゥアーをしていました。

「私も少しでも覚えたい。一つでも多くのジュズを私に覚えさせてください。」と。


奥様は家の火事や子供の世話をしながらクルアーンを読み続けていました。

何をするときも片時もクルアーンを離さず読み続けていたそうです。

 

そしてラマダーンが終わり三十ジュズを覚えたそうです。

 

ご主人が帰宅し、「ありがとう、君のお陰で私は目標の三ジュズを覚えることが出来たよ。」と言われたそうです。


この話は私たちの教訓になります


日常は様々な出来事がありますがアッラーはその人のイバータをタクアーをご覧です。

 

目標が出来たならそれをアッラーへドゥアーしていきましょう。

どうぞそれについてタウフィーク容易な道を授けてくださいと。

そして努めていきましょう。

ラマダン中の昼間にあるべき姿


ラマダン中、昼間どのように過ごすか


多くのムスリムはサウムをして過ごしていることでしょう。

 

アッラーは私たちにイバータをすることで沢山の報奨をお授けになられます。

 

そしてラマダン月はその報奨を10倍にもして下さると明確にお答えになられていますが

サウム、断食についての明確な報奨、数字はクルアーンにもハディースにもありません。

 

 

サウムというのは数字で褒賞を表されていないのです。


なぜなら、サウムの褒賞はアッラーご自身が計算されるものだからです。

他のイバータは他人から見てわかることが多いでしょう。

しかしサウムについては本人とアッラーだけのものです。

誰のためでもなくアッラーのためだけに私たちムスリムはサウムをします。

そこに食べ物の有り難さを知るとか健康のためとか理由をつけてることをしばしば見聞きしますが究極はアッラーへの献身、アッラーへの愛

を見て頂く行為なのです。

 

ラマダン中

 

ときに私たちはすごく疲れていてもサウムをし続けていることもあります。


ときにすることもなくのんびりして過ごすこともできます。

 

 

人の数だけ様々、いろんな状況があるのでサウムの報奨はアッラーが最善の報奨をお決めになられます。

 

サウムするものがサウムを解くまで

マグリブに向かう時間はドゥアーする時間です。

 

アルフバイラの伝えたハディースのには預言者様SAWはサウムをとくときのドゥアーで
喉の渇きが上静脈が整い褒賞が確定されたというドゥアーを預言者様は読まれていたとあります。


アッラーは私たちがドゥアーをすることを待って下さっています。


アッラーはサウムを解くときも含め人には二つの幸せなときがあると仰せられています。


サウムを解くとき
それはアッラーがその時間に幸せを下さっているそうです。


もう一つは審判のときです。

 

またサウムの他にもラマダン中に実践する斎戒があります。

それは口の斎戒です。

 

人の悪口やうわさ話をしないこと。

また

誰に対しても公平公正であることですね。

 

ハディース

公正な指導者のドゥアーをするよう推奨されています。


家族指導者は夫、家庭の指導者は妻


ときには自分の子供であっても育てやすいとか手がかかるとか、違いがあります。

 

大人しく可愛い子にはついつい贔屓してしまいがちですが、ラマダン時期特にライラカドルのときには親としてというよりムスリムとして子供たちを平等に扱うようにしましょう。

 

もちろん子供たちだけでなく

友人やムスリム同士も同じです。

ライラカドルに出逢うための準備

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年6月16日)

―― ライラト・ル・カドルに出会う為の準備をしなさい ――

 

 

アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。あらゆる賞賛は、慈悲の御心でラマダーン月を祝福なされる御方、アッラーのもの。その御方は、ラマダーン月を心からの悔悟と御赦しの為の月として設けられた。そして、ラマダーン月に至高のアッラーは、明快な規範と確かな教えとしてクルアーンを下された。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。ムハムマドSAWは、述べられた。「篤い信仰心をもって、報酬があることを信じて信仰行為に打ち込み、ライラト・ル・カドル(カドルの夜、高貴さと偉大さの夜)を迎える者は、それまでに犯した悪事を赦される。」

 

信者たちよ、至高のアッラーは、クルアーン・物語章において述べておられる。

「お前の主は、御望みのものを創られ、また、選ばれる。・・・」(28章 68節)

ラマダーン月は、神聖な時間の一つであり、信仰行為に励み、心からの御赦しを求める月として、アッラーが御選びになった。ラマダーン月は、人々がアッラーに御近づきになる為の最も相応しい時である。その上、ラマダーン月の終わりの十日間は、他の最良の時よりももっと素晴らしいものを秘めている日々である。アッラーは、限りのない愛をもって、ラマダーン月を祝福なされる。

 

信者たちよ、預言者さまSAWは、ラマダーン月の終わりの十日間には、一年の他の時以上に、信仰行為を行うことに努められた。そのラマダーン月の終わりの十日間の中には、信者たちが出会いたいと思う素晴らしい夜がある。預言者SAWの妻アイシャさま(平安を)によれば、預言者さまSAWは、ラマダーン月の終わりの十日間には、信仰行為に打ち込まれ、寝るよりも立っておられようとなされた。また、アイシャさま(平安を)は語ったと伝えられている。「預言者さまSAWは、ラマダーン月の終わりの十日間には、夜中中起きておられ、家族を起し、腰に帯を締められた。」 「腰に帯を締める」とうのは、最善の信仰行為に励もうと準備を十分に整えられたということである。ラマダーン月最後の十日間の夜には、報酬があることを信じて、タラウィーの礼拝、そして、タジュウィードの礼拝を逃さないように心掛けたいものである。

 

信者たちよ、ラマダーン月は、その昼も夜もやがて終わりを迎える。信仰篤いムスリムたちは、ラマダーン月がやがて終わりを迎えるというので声を掛け合う。ラマダーン月の終わりの十日間の中には、ライラト・ル・カドルがあるのである。ライラト・ル・カドルは、祝福された夜であり、至高のアッラーは、聖クルアーンを下す夜として選ばれた。アッラーは、クルアーン・煙霧章において述べておられる。

「誠、われは、祝福された夜に、これ(聖典クルアーン)を下した。・・・」(44章 3節)

即ち、クルアーンはカドルの夜に、最下天にまとめて下されたということである。天使ジブリールは、預言者さまSAWが出会う事件や事柄に従い、部分部分を23年間に亘って啓示として伝えられたのである。そして、最初の啓示がなされたのは、カドルの夜であったと言う。ところで、最下天とは、人間と天使とをつなぐ接点で、そこは、天使にとっては住処であり、我々にとっては天と称している屋根であり飾りである。この聖なる夜は、祝福に満ち溢れ、しもべたちを厚遇する為の時として、アッラーは、とても大切なものとしておられる。

アッラーは、クルアーン・天命章において述べておられる。

「誠、われは、カドルの夜に、それ(クルアーン)を下した。」 「カドルの夜が何であるかを、お前たちに判らせるものは何か。」 「カドルの夜は、千の月よりも優る。」 「(その夜)天使たちと聖霊は、主の御許しによって、あらゆる神命をもたらし下る。」 「 平安である。暁の明けるまで。」(97章 1--5節)

天命章は、カドルの夜が、千の月よりも優る素晴らしい夜であり、天使たちは、住処である最下天(スドゥラット・アル・ムタハ)より降りて来るとことが描写されている。天使たちは、人々が祈願するのを聞いて、アミィーン(叶えられますように)と唱える為に降りて来るのである。預言者さまSAWは、述べておられる。「ライラト・ル・カドルは、ラマダーン月の終わりの十日間の間にある。そのカドルの夜をラマダーン月の終わりの十日間の中に見付けなさい。」 誠に、この清い夜に信仰行為の為に起きていて祈願する者は誰でも、御赦しが得られる。この清い夜に巡り会った者は、本当に幸せ者である。その夜になされた信仰行為や祈願は、千の月に行うものに優るのである。ライラト・ル・カドルは、ラマダーン月の終わりの十日間の中にあるが、どの日であるかを予想することは出来ない。ラマダーン月の終わりの十日間には、どの日にも熱心に信仰行為に励み祈願するがよい。

 

信者たちよ、最善の結果を期待するならば、ラマダーン月の終わりの十日間の夜には、起きていようとしなさい。そして、主を心から畏れる者は、きっと、幸せな結果を得る。預言者さまSAWは、述べておられる。「ラマダーン月の終わりの十日間の夜に、努力して目的を果たした者には、アッラーは、良いものの中の最良のものを与えて下される。アッラーの最良のものとは、それは楽園である。」 このことを知って、ラマダーン月の終わりの十日間には主の慈悲にすがり、ライラト・ル・カドルに巡り会う一人にして頂きなさい。

 

信者たちよ、ライラト・ル・カドルは、平穏平和で、信仰に満ちた夜であり、人々の間に論争や不和が起こらない夜である。アッラーは、クルアーン・天命章において述べておられる。

「平安である。暁の明けるまで。」(97章 5節)

心の中の恨み、妬み、憎しみなどの感情を打ち払い、神聖な夜を受け入れるに十分な準備を整えようではないか。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、ライラト・ル・カドルに巡り会い、あなたさまの御満足が得られる者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまの慈悲によって、忠実なしもべであるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

 

 

 

楽園に入る人の特徴

•1つ目は夜間は少しだけ眠る
•サフールの時間にイスティハーラをすること

 

推奨されるのはサフルの時間にイスティハーラをすることです。

アスタグフィルラアラジーム

サフル終わりファジルのアザーンまでの間、イスティハーラをしましょう。

 

また、家族でサフルの食事終わりファジルの礼拝のアザーンを待つならば、みんなでお互いにイスティハーラする。
良い母でなくてごめんなさい。

勉強サボってごめんなさい。

仕事ばかりのお父さんでごめんなさい。

家族全員でイスティハーラすると家族みんなでジャンナに行けるよう道が開きます。

お互い許し合いアッラーが今までの間違いを許して下さるように。

誰かがイスティハーラしたとき、「そうだよ。」とか「あなたはこうよね!」とか相手を責めることは絶対してはいけませんよ。笑


•貧しい人たちの権利を満たすこと

この貧しい人たちの権利を満たすとはどういうことか、

自分の手元にある財産は貧しい人たちに渡すものということを常に考えている人


余った分や残り物をあげるとかではなく最初から貧しい人たちに取り分けておくという気持ちを持ち取り分けておくことをする人。


残ったものをさし出そうと考える人はいつまで経っても残らない。


だから最初から残すという意志のある人です。

 

この3つはタクアーする者という定義です。

 

タクアーとは
アッラーの目を恐れるものということ。

•1つ目は夜間は少しだけ眠る
•サハラの時間にイスティハーラをすること
•貧しい人たちの権利を満たすこと

自分の手元にある財産は貧しい人たちに渡すものということを常に考えている人
残り物をあげるとかではなく最初から貧しい人たちに取り分けておくという気持ちを取り分けておくこと。
残ったものはいつまで経っても残らない。
だから最初から残すもの

 

この3つはタクアーするもの
アッラーの目を恐れるものということです。

 

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ザカートについて

ザカートとは
貧しい人困っている人がいたら助けるとか
マジスドに寄付する行為です。


サダカとは特別なものなのです。


亡くなった人が人生に後悔があるとして

もし生まれ変われるならば

もしも、またはもう一度人生やり直せるなら
「もっとちゃんとサダカしたかった。」と言うそうです。


ハッジしたかったとか

もっとサラートしたかったではなくサダカ

生まれ変われるならサダカがしたいというそうです。

 

なぜなら
サダカというのは1つの稲穂となり70の実が生るとクルアーンアッラーは仰せられています。


ラマダーン月はその10倍だから


一円サダカしたら700円となってアッラーから現世と来世にかえってくるのですよ。


2章261節


こちらからのアーヤとはサダカについて書かれているものです。


もし私たちがお金がないときはどのようにして過ごすべきか?
シャイターンからの試練がどのようなものかということや利息についても書かれています。


利息、アラビア語ではリバートと言います。


多くの人はリバートによってお金が増えることを望みます。

しかし銀行からの利息とかは現世だけのもので

いろんな理由で変動する不確かなものですね。


しかし、サダカというのはサダカによって多くのものをアッラーからいただけるものです。

現世だけではなく来世永遠にいただけるものです。


アルバカラは他に借金についても書かれています。


280節から

284節全てのものはアッラーのものである。

 

その後も人とどのように付き合っていくかも書かれています。

70の実が生る
ラマダーンはその10倍だから
一円サダカしたら700円となってアッラーから現世と来世にかえってくる
2章261節
こちらからのアーヤとはサダカについて書かれている。
もし私たちがお金がらないときはどのようにして過ごすべきか?
シャイターンからの試練がどのようなものかということ
利息についても書かれている
利息、リバート
多くの人はリバートによってお金が増えることを望みます
サダカというのはサダカによって多くのものをアッラーからいただける
アルバカラは他に借金についても書かれている
280節から

284節全てのものはアッラーのものである。

その後も人とどのように付き合っていくかも書かれています。

ラマダン、この時期に是非読んで見てください。インシャアッラー