私はムスリムです

私は日本人改宗ムスリムです。イスラームについて学んだことをシェアしているブログです。

ラマダン、断食と斎戒の違いについて

イスラーム学びチームより

 

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において
                                                  
ラマダーン10日前!知っておきたい舌の斎戒     2017年5月17日

ラマダーン月には断食をすることはよく知られていますが、本当にすべき事は、断食ではなく、「斎戒」です。

 

 

その違いは、断食は、ただ食べない、飲まない、という文字通り「食を断つ」、ということですが、斎戒は、食だけでなく、体の様々な部分を使って行われます。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、断食について、こう言われています。

《どんなに多くの断食をする者が、彼の断食から、空腹と喉の渇きしか得ていない事だろう》イブンマージャの伝承

つまり、空腹と喉の渇きだけを得る断食は、本当の斎戒ではない、ということです。

 

本当の斎戒とは、「体の全ての部分が、アッラーのお嫌いになられることから遠ざかること」です。

私たちが、ラマダーン月の間、一ヶ月間、断食をして、ただただ、空腹と喉の乾きしか得ることがないとしたら、どんなにひどいことでしょう。

 

私たちのことを愛してやまないアッラーは、そんなことを私達にお望みではありません。

 

私たちに、本当の斎戒をすることで得られる、彼の天国と莫大な報酬を私達に与えたいと思ってくださっています。

 

そのために私たちに必要なことは、アッラーのお嫌いになられることから、全ての体の器官を守ることです。

 

 

ラマダーン月まで残り約10日間となった今から、習慣をつけるようがんばって努力し、インシャーアッラー、天国のバーゲンセールと言われる、善行の報償が倍増するラマダーン月に入ったらすぐに斎戒ができるようにしておきましょう。

斎戒中には、次の、体の7つの部分を守ることが大切です。

1. 目:アッラーのお嫌いなものを見ることから守る


2. 舌:自分と関係のないことを話す事から守る(悪口、噂話など)


3. 耳:アッラーの禁じられた事を聞くことから守る(悪口を聞くことで、悪口を言っている人と同じ罪をかぶります)


4. 胃:満腹になることから守る。満腹の害6つ。①心を硬くし②頭を腐らせ③覚えたものを忘れさせ④体を重くして崇拝行為を億劫にし⑤欲望を強くし⑥シャイターンに勝利を与えます。


5. 足:アッラーのお嫌いになられる場所に行く事から守る。


6. 貞操:眼と心と胃を守ることで、貞操を守る。そのために必要なこと:眼を欲望を持って見ることから守る、心を欲望にまかせて考える事から守る、胃を満腹から、ハラームのものから守らなければ、貞操は守れない。


7. 手:他の人を害する事、ハラームのお金を手にする事、人からの預かり物を使ってしまう事、書くこと(舌と同じ)
預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は言われました。


≪5つのものは、断食斎戒する者のサウムを無効にしてしまいます。嘘、陰口、悪口、偽の誓い、欲に身をまかせて一瞥することです。≫アザディー伝承
私たちの体をアッラーのお嫌いになられることに使う、アッラーが私達に恵んでくださった体、アッラーからの信託物、預かり物である体を、アッラーに背くことに使うという事は、アッラーに対する裏切りであり、反抗です。私たちは自分の体をどう使うか、において、責任を背負っています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は言われています。


《あなた方は、みなさん保護者です。そして、保護者というものは、その保護するものに対して責任があります。》

私たちが忘れてはならないのは、すべての私たちの体の部分、目も耳も、手も、舌も、足も、最後の審判の日に、アッラーの目の前で、私たちのしたことについて、全てさらけ出して証言をする、ということです。

 

今この世では、彼らは黙って私達に従っていますが、最後の審判の日には、全て私たちのした事についてひとつ残らず話し出すのです。

 

アッラークルアーンの中で言われています。

【その日我は、彼らの口を封じる。するとその手が我に語り、彼らの足はその行ったことを立証する】ヤーシーン章65節(P544日亜対訳聖クルアーン

【その日彼らの舌と手と足は、その行ったことについて彼らに不利な立証をする】御光章24節(P428日亜対訳聖クルアーン

ですから、私たちの体の部分を悪い事をすることから守る事は、とても大切です。ラマダーン月の斎戒中、主に守らなければならない体の部位の中で、今回は、「舌」を守ることについて、です。

舌を守ること:
私たちの舌は、舌を使って、たくさんズィクル(アッラーを唱念)したり、クルアーンを読誦したり、他の人達をアッラーの道へと導くためにアドバイスしたり、この世とあの世で必要なことを他の人に伝えたりするために、アッラーが、私達に与えてくださったものです。

ですから、もし私たちが舌を本来の目的とは違う方法で使ってしまったら、アッラーからの恩恵を忘れていることになります。私たちの舌が稼いだものが、私たちを地獄へ落とし入れる、というのは、ハディースにもある通りです。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は教友の一人、ムアーズ様(彼にアッラーのご満足あれ)に、自分の舌をつまんでこうおっしゃいました。


《これを慎みなさい》
ムアーズ様(アッラーのご満足あれ)が、「預言者さまよ、私たちが話した事で私たちは問われるのでしょうか?」と尋ねると、
《ムアーズよ、舌が稼いだもの以外に、人々を地獄に落とし入れるものがあろうか。》

とおっしゃいました。また別のハディースで、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこう言われました。


《悪い噂を言いふらす者は、天国に入れません。》

あの世には天国か地獄しかないので、天国に入れないということは、地獄に行く、という事です。


ですから、私たちの舌を本来の目的のために使うことによって、舌が私たちを地獄に落し入れることのないよう注意しましょう。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、こう言われました。

アッラーと審判の日を信じる者は、よき言葉を話すか、さもなければ、沈黙を守るべきです》ムスリム伝承

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、実に、常に善い事を話すか、そうでなければ、何もお話になられませんでした。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の時代に、ある男が、戦いでシャヒード(殉教者)として亡くなった時、ある人がこう言いました。「彼が天国に入ることに祝福あれ」
すると、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。

《どうして彼が天国に入るとわかるのですか?もしかしたら、彼は自分と関係の無い事を話していたかもしれないし、自分のためになる事を無視していたかもしれないではないですか。》

私たちは、次の8つのことから、私たちの大切な舌を守らなければなりません。

①嘘を言う事:真剣に言うときにでも、冗談で言うときにでも、嘘を言う事から私たちの舌を守らなければいけません。冗談で嘘を言う事が習慣になってしまうと、真面目に話すときについ嘘を言ってしまう事が簡単になってしまいます。嘘をつくというのは、地獄へと私たちを落し入れる大罪のうちのひとつです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は言われました。

《人を笑わせるために話をし、嘘をつく者に災いあれ。彼に災いあれ。》ティルミズィーとアブーダーウードの伝承。

もし誰かが、冗談で嘘を言う人として人々に知れ渡ると、人々は彼の公正さを疑うようになり、人々に軽んじられる存在となります。誰かが他の人のことで嘘をついているのを見たら、私たちはそれを嫌うように、人の噂話に尾ひれをつけて嘘をついて笑うことは、言われている人の評判を下げるよりも先に、言っている本人の評判と価値を下げます。


また母親が子どもによく言う嘘の中には、子どもの教育のため、子どもにわからせるために、言うものがあります。

 

例えば、「乱暴にすると、本が痛いって言っているよ。」とか、「このお菓子は苦いから食べちゃだめだよ。」など、結果的には、子どもが本を大事に扱うようになったり、お菓子を食べすぎないようになったりするための嘘ですが、イスラーム的には、事実でないことを言う事は、すべて「嘘」です。

 

本は、本当に痛いと言っていますか?

 

本がそう言うのを聞いたのでしょうか?

 

いえ、言っていません、それならば、それは嘘です。本当にそのお菓子は苦いですか?

 

いえ、本当は甘いです、では、それは嘘です。

 

嘘は、子どもに言うのも、大人に言うのも、どちらもハラームです。

 

子どもに嘘をつかないことは、子どもの教育のため以前に、自分が地獄に行くのを避けるために避けるべきです。

舌の害2つ目は、


②約束を破る事:どうか、何か小さな約束でも誰かとして、それを破ってしまう事のないよう、注意してください。

 

子どもに、これができたら、こうしてあげる、と約束をして、それを果たさないことがあってはいけません。これは子どもたちへの教育以前に、自分を地獄から救うためです。

 

誰かに善い事をすると約束して、忘れてしまってそれが果たせないよりは、善い事をする約束をせずに、ただそれを実行する方がずっと安全です。誰かが、ある人の電話番号を必要としていると聞いたら、その人に、知っているけれど今手元にないから今度渡すね、と約束して忘れるより、約束せずに今度会ったときにそれを渡す方が安全だということです。

 

何か小さなことでも約束をしたら、努力した結果どうしても仕方のない場合を除いて、それを果たさなければいけません。

 

イスラームでは、約束を破る事、というのは、偽信者の性質であり、とても醜い性格のひとつだからです。

 

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は言われました。

《あなた方の中で、この3つの性質がある者は、例え彼が礼拝し、断食していようとも、彼は偽信者です。

話せば嘘をつく者、約束をしたら、それを破る者、人に信頼されたら、それを裏切る者》アハマドの伝承


舌の害3つ目は、
③ 悪口を言う事:悪口を、どこまでを悪口、陰口と呼ぶかと言う基準は、「もし本人がそれを聴いたら嫌がることに関して、本人のいないところで、他の人に話すこと」です。

 

悪口というのは、他の人に、ある人の欠点をわからせるように話すことで、その欠点というのは、全てにおいて(体の欠点でも、彼の家系についてでも、性格についてでも、言動についてでも、信仰心についてでも、この世のことについてでも、例え家のことでも、車の事でも、服のことでも、全て)です。それを、他の人にわかるように話すこと全てを、悪口、陰口と呼びます。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はこうおっしゃいました。

 


《もしあなたが彼について言ったことが本当に彼に当てはまるのならば、あなたは悪口を言ったことになり、もし、それが彼に当てはまらないことならば、あなたは嘘をついたことになります。》

また、驚くべき事に、悪口を言う事、というのは、イスラームでは、婚外交渉をすることよりも悪いこととされています。

ハディースで、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が言われているのは、

《悪口を言う事は、婚外交渉をするよりも悪いことです。》

サハーバたちが、驚いて、「どんな風に悪いのですか?」と尋ねると、

《ある男が、婚外交渉をして、すぐにアッラーに悔悟して許しを求めれば、もしかしたら、彼はアッラーに許されるかもしれない。しかし、悪口を言う者は、それを云われた者が彼を許すまで、許されることはないのです。》

タバラーニー、バイハキーの伝承 

クルアーンにも悪口を言う者の悪が、しっかり述べられています。

【信仰する者よ、邪推の多くを払え。本当に邪推は、時には罪である。無用の詮索をしたり、また互いに陰口をしたりしてはならない。死んだ兄弟の肉を食べるのを誰が好もうか、あなた方はそれを嫌うではないか、アッラーを畏れなさい】部屋章12節(P643)

ある伝承によれば、「預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ))の時代に、あるふたりの女性が断食をしました。

 

日暮れ近くになって彼女ら二人は猛烈な飢えと乾きに襲われ、このままでは倒れてしまいそうだと、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のところへ断食を解く許しを請いに行きました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は彼女らのもとに人を遣わそうと、うつわを持たせて、こう伝言しました。

 

「彼女ら二人に伝えてください。あなたたちが食べたものをこのうつわに吐き出しなさい、と。」すると彼女らのうち一人がどす黒い血と新鮮な肉を吐き出し、もう一人もまた同じように血と肉を吐き出して、うつわが一杯になりました。人々がその知らせに驚いたので、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は次のように説明されたという。

 


《彼女ら二人はアッラーが許された物を断ち断食し、至高のアッラーが禁じられたもので断食を解いたのです。つまり、隣り合って座り、二人して人の悪口を言い始めたのでした。彼女らが吐いたものは、彼女らが食べた(悪口を言った)人たちの肉と言えます。》

では、どうしたら、悪口、陰口を言う事を防ぐ事ができるでしょうか?予防法は、もし、誰かのことを他の人に話したくなったら、ちょっと考えてみてください、自分には、他の人から見てわかるような欠点や、自分にしか分からない、隠れている欠点がないだろうか?と。

 

自分は人前で、もしくは、隠れて、アッラーのお嫌いになられるようなことをしていないだろうか?罪を犯していないだろうか?と。

 

もし、自分に欠点があったなら、それを自分が直すことがどんなに難しい事かわかります。

 

同じように、その悪口を言いたい彼女にもあなたとは違う欠点があり、彼女にとってそれを直すことは、あなたが自分の欠点を直すのが難しいのと同じように、とても難しい事なのだ、と理解しましょう。そして、きっとあなたの欠点には、そうなってしまった理由があるように、彼女にも、そうなってしまった理由があるのです。

 

そして、あなたが自分の欠点が人々に言いふらされ、知られるのを望まないように、彼女も彼女の欠点が人に言いふらされるのを望みません。

 

誰かの悪口をどうしても言いたくなったら、ちょっと立ち止まってこれだけは、考えましょう。

 

もし、それでも陰口を言ってしまったら、どうなるかというと、まず、アッラーはあなたの尊厳をこの世ですっかり落とすようなことを、あなたの舌を使ってあなたに言わせます。

 

そして、審判の日には、すべての人類の見ている前で、あなたの欠点をさらけ出します。

 

あなたが彼女の欠点を他の人にさらけ出したように。

そして、もし、自分の欠点を探したときに、欠点が見つからなかったら、「自分には信仰においても、この世のことにおいても、欠点なんかない!」と思ったとしたら、自分の欠点を知らないというのは、ひどい無知です。

 

そして無知というのは、一番ひどい欠点のひとつです。

 

でも、もし本当に自分に欠点がなく、そう思ったとしたら、アッラーにその事に対して感謝し、陰口を言うという欠点をわざわざ作る必要はありません。

 

陰口を言うというのは、とてもひどい欠点だからです。
(注*悪口には例外が4つあります。①他の人にアドバイスを求めるときや、②人から不正を受けていて、それを正してくれる人に相談するとき、③または、裁判などでの証言をするとき、④結婚相手の評判を尋ねられたとき、この4つの場合は許されています。)

舌を守るべき舌の害4つ目は、

④人々を批判したり、議論、討論する事:人を批判する事は、批判している当の本人にとって、とても大きな害があります。

 

批判する事は、自分自身を知らない証拠であり、自分自身に対する中傷であり、そして、その中には、自分を自画自賛する気持ち、自己満足が隠れています。

 

それを防ぐ方法は、知識を身につけること、です。あなたが、馬鹿な人を批判すると、あなた自身を害する、ということを知らなければいけません。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は言われています。
《誰でも、自分に言われもない批判をする者に応えない者は、アッラーが彼のために天国に家を建ててくださいます。また、誰でも、自分にふさわしいと思える批判をする者に応えなければ、アッラーが天国の最上階に家を建ててくださいます。》ティルミズィーの伝承
もちろん、誰かがあなたのことを批判すれば、シャイターンはあなたに、「あなたの権利を主張すべきだ。言われもない中傷を取り除くべきだ!」と、横で旗を振って、応援してくれます。でもシャイターンにだまされてはいけません。シャイターンの目的は、あなたが批判の声に応戦して、あなた達の間に敵意を植え付け、二人ともまとめて地獄に連れて行くこと、以外の何でもありません。批判に対する応戦は、彼女に直接、優しくアドバイスをするという形だけが許されることで、他の人に彼女の悪口を言いふらすことではありません。また、批判され悪口を言われてもそれに応戦せず耐えて、反対に善い事をして返せば、アッラーの元でのあなたの地位は、どんどん上がってきます。

ある敬虔な学者が自分のことをある男に批判され、自分の悪口を人々に散々言いふらされたとき、彼のしたことは、批判に応戦して、言い返すことでも、反撃する事でもありませんでした。彼は、その張本人の男の家に、ナツメヤシの詰め合わせセットを持って行きました。驚いて男が、「私が何をあなたにしてきたか、知らないわけではないでしょう?!」と言うと、彼はこう言いました。「本当に私はあなたに感謝しています。どうもありがとうございました。私には本当に善行、天国に行くためのポイントがものすごく必要で、あなたは私になかなか貯まらないそのポイントをいつもくださるので、私も何かあなたに差し上げなければ、と思ったのです。」と。

舌を守らなければいけない舌の害8つのうち、5つ目は、

⑤自慢話をすること、自画自賛すること:アッラークルアーンの中で言われています。
【だからあなた方は清浄ぶってはならない。かれは主を畏れる者を最もよく知っておられる】星章32節(P660)
自分で自分を褒める事に慣れてしまわないようにしましょう。自画自賛すること、自慢話をすることは、人々の間での自分の価値を下げるもので、決して自分の価値を上げるものではない、ということをよく知りましょう。もし誰かが、あなたに彼女自身の自慢話をお金の自慢や、信仰心の自慢やその他の自慢話を次から次へとしてきたら、どう思うでしょうか?それを嫌いませんか?心の中で彼女の事を軽蔑し、彼女と別れた後、他の人に彼女の自慢気な態度について不平を言いたくなります。他の人たちも同じです。あなたが自慢話をするたびに、(それがたとえ本当のことであっても)、聞かされる人にとってはとても苦痛で、あなたの自慢げな態度に腹が立ったり、他の人に不平を言いたくなっているはずです。それは全くあなたの価値を上げるものではなく、反対に、下げてしまう事だと知りましょう。

⑥呪うこと、何かを恨み悪く言う事:人間だけでなく、アッラーの創造物全てに対して、食べ物でも、動物でも、何かを恨んで悪く言う事をやめましょう。また、誰かの事を、不信心だと断言することのないように。最後の審判の日に、アッラーは決してあなたにこう尋ねる事はありません。「なぜ彼女の不信仰を悪く言わなかったのか!どうして、彼女のことについて黙っていたのか?」アッラーにこう尋ねられる事は絶対にありません。たとえ、シャイターンの長であるイブリースについてさえも、もしあなたが彼を呪わなかったとしても、審判の日に、アッラーに「なぜ悪く言わなかったのか?」と聞かれることはありません。しかし、反対に、もし誰かについて呪ったり悪く言えば、必ず最後の審判の日に、アッラーに問われます。ですから、何もアッラーのお創りになったものを悪く言ってはいけません。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、まずい食べ物に不平を言ったことはただの一度もありませんでした。彼(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、それを欲されればお召し上がりになり、そうでなければ、召し上がりませんでした。

⑦誰かに対して悪いドゥアーをすること:私たちの舌をアッラーのお創りになった誰かに対して悪いドゥアーをすることから守らなければなりません。もし誰かにひどいことをされたり、不正を働かれたら、アッラーにお任せしましょう。なぜなら、ハディースで、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がこう言われていたからです。

《ある男が、「アッラーに誓って、アッラーが誰々を許しませんように。」と言うと、アッラーはそれを聞いて、「私が誰々を許さないように願う者は誰ですか?私は本当にその者を許し、そしてあなたの善行を取り下げます。」と言われます。》ムスリム伝承

また私たちが誰か他の人のためにドゥアーをすると、天使は、「あなたにも同じものを」とドゥアーしてくれます。ですから、もし私たちが他の人に、悪い事を望むドゥアーをすると、天使が「あなたにも同じものを」とドゥアーをしてしまうことになり、天使のドゥアーは叶ってしまいとても危険です。

私たちが舌を守らなければいけない8つのことの最後は、
⑧誰かをからかうことや笑い草にすることや嘲笑する事:真剣に言う事も、冗談で言う事からも私たちは自分の舌をそれから守らなければなりません。なぜなら、冗談で言った事でも、その人に不快な思いをさせたり、彼女を傷つける結果になりかねません。冗談でも誰かをからかうことは、怒りや友情を壊す事の第一歩で、憎しみを心に植えつけてしまいます。

これら8つのことから、舌を守ることが私達には求められています。すごく難しいように思えるかもしれませんが実は、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)がされていた、これを実行する、たった一つの賢い方法があります。何だと思いますか?それは、善い事を話すのと、必要なとき以外は、沈黙を守ることです。自我は、黙っている事を望まず、特に女性は、おしゃべりをしたい方に傾きますから、悪い事を話さないように十分注意が必要です。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の教友の、第1代目のカリフであるアブーバクル様(彼にアッラーのご満足あれ)は、必要なとき以外のおしゃべりができないように、口の中に大きめの小石を入れており、自分の舌を指して、こう言われました。「これが、私をどこに連れて行くかを決める糧を全て稼ぐのです」と。ですから、舌に注意しましょう。舌というのは、この世でもあの世でも、一番大きな破滅の原因になりかねないからです。

ラマダーン月に、私たちが正しく斎戒をするために、食べ物飲み物を断つ以外に、必要なことは、まず、眼を四つの事から守ること(①ムハラーム以外の異性をじっと見ること②欲望の喜ぶような写真や映像などを見ること③他の人を軽蔑のまなざしで見ること④他人の欠点を粗探して見ること)、耳を無駄話や陰口を聞くことから守ること、舌を8つの事から守ること(①嘘②約束を破る事③悪口④批判⑤自慢話⑥何かを悪く言うこと⑦悪いドゥアーをすること⑧嘲笑)でした。もし、これらのことが守れなかったとき、うっかり人の悪口を言ってしまった、悪いものを見てしまった、そんなときには、すぐに、アッラーにお許しを求める事が大切です。「アスタグフィルッラー」(日本語:アッラーにお許しを求めます)、と言って、反省し、悔悟します。そうすることで、自分の悪行を書き留める天使が書いてしまう前に、その罪を消す事ができます。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は言われました。
≪至高偉大なるアッラーは、こう言われた。「断食を除き、人間の行為の一つ一つはその者のためです。そして断食は我のためです。ですから我はそれに対して報酬を与えましょう。」断食は盾である。あなた方は誰でも断食をしている日には不品行な言葉は慎み、声を張り上げてはいけない。それで誰かが悪口を言ったり、口論を仕掛けてきたら、「私は断食中です」と言いなさい。・・・断食をしている者には二つの喜びがある。ひとつは、断食を終えた後の食事の喜び、もうひとつは、主にお眼にかかるとき、果たした断食による報酬の喜びである。≫
祝福多きラマダーンを迎えられますように。