私はムスリムです

私は日本人改宗ムスリムです。イスラームについて学んだことをシェアしているブログです。

クルアーン を寄付するプロジェクト

アッサラームアライクム

ラマダムバラク

 

ガーナのニュータウンという小さな村でクルアーン を勉強する子供たち。

こちらの先生がクルアーン が足りない、送って欲しいとSNSで呼びかけ、私たち、One-Nationひとつも賛同することにしました。

ひとつ

 

ご協力、ご賛同いただけます方はinfo@sunsteed.netまでご連絡頂けますようお願い申し上げます。

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これはイスラムではない!

アッサラームアライクム

 

小さな少女が望まない結婚をさせられているとかそういう広告を電車や雑誌の広告で見たことがあるでしょう。

 

親の借金のカタに10歳の娘が60歳の男(父の友達)と結婚させられたという話しも聞いたことがあるかもしれません。

 

こういう出来事は実は毎日、アフリカ諸国、インド、パキスタンバングラデシュアフガニスタンなどで起きています。

 

それがイスラム教の国で起きているから

イスラムはそういう女性軽視、女性差別をする宗教だと言われています。

 

今日もこんな記事「アフガニスタンで警察官になった女性たち」取材漫画家 井上きみどり先生|開発途上国レポート|なんとかしなきゃ!プロジェクト 見つけました。

 

アフガニスタンの現状です。

 

アフガニスタンは全員がイスラム教の国ではありませんし、男性、女性もその家庭によって

正しい教育を受けられるわけではありません。

 

アフリカ諸国、バングラデシュ、インド、パキスタン、これらの国の人々もアラブ諸国においてもイスラムの正しい教育を受けた人もいれば勉強することもままならず、または親の教育が不足してか教育を受けることが出来なかった人もいます。

 

 

日本のように義務教育がなく、みんな平等的なものではないのです。

 

ですから、イスラムがこういう教えをしているわけではありません。

 

イスラムは三大宗教の中でも初めて女性を護ることを説いた宗教です。

 

女性差別、女性軽視は宗教から起きたものではなく、その土地に元々あった土着文化です。

 

イスラム教も本来は一つなのでありますが人を介して広がっていくうちにいくつものグループに分かれています。

 

私のまわりにはクルアーンハディースを信仰の柱にされている方ばかりですが

学派という学者が土着文化に合わせ、その土地に合うよう解釈し直したものを柱にしている方もいるし

リーダー的な人が書いたものを基礎として信仰しているグループもあります。

 

信仰は自分対 神

 

グループ同士での闘争、紛争もあるようですが

基本イスラムは平和な宗教なのです。

 

女性軽視や差別もありません。

アシッドアタックも鼻を切り取るなども

宗教の教義ではありません。

人間爆弾もジハードの意味がわからない無知で愚かな人間が起こしている行為であり、イスラムの精神ではありません。

 

リンクした記事の女性がスカーフを巻いているからイメージとして、もうイスラムですよね。

 

こうやってやんわりと同情から人の心に入りイスラム教嫌いを増やしているようにも感じてしまう。

世界は何故こんなにもイスラムを排除しようとしているのでしょう?

 

イスラムコミュニティの中での社会は女性は安心して護られて暮らしていますし、男性は優しく紳士です。

 

土着文化ではなく、イスラムの正しい教育が

多く広まりますよう、祈ります。

アーミン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特別な時間

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2018年5月25日)

―― 聖ラマダーン月には時間を特別大事に使いなさい ――

 

 

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ。アッラーを畏れなさい。アッラーに御近づきになろうとしなさい。アッラーは、創造物に御優しく、しもべが困難に出遭うとその者を気遣って下される。幸せな時には、アッラーを思い、感謝しなさい。アッラーは、戯れに我々を創造なされたのではない。現世でアッラーを畏れる者は、終末の日には御加護が得られる。

 

信者たちよ。イスラームを信仰する者たちは、神聖なこの月、ラマダーン月には、アッラーの御意志に完全に従おうと努め、己の過ちを悔い改めようとするものである。この月、ラマダーン月には、アッラーに従うことにより、改心を受け入れて頂ける唯一ともいえる扉が広く開かれるということを知っているからである。イスラームにおいて信仰行為は、多くの事柄に及ぶものであり、心からの信仰と、善行というものが大事なものとしてそこにはある。

アッラーは、クルアーン・時間章において述べておられる。

「時間にかけて。」「誠、人間は(折角のものを)失う状況の中にいる。」「信仰して善行に勤しみ、互いに真理を勧め合い、また、忍耐を勧め合う者たちの他は。」(103章 1--3節)

心からの信仰を持たず、アッラーの教えを守らない者、善行に務めない者、忍耐を怠る者は、時間を無駄にしているということである。即ち、心からの信仰を持たず、アッラーの教えを守らない者、善行に務めない者、忍耐を怠る者は、楽園に入れて頂ける折角の機会となり得る時間というものを無駄にしているということである。人間は、時間の中に身を置いているものであり、時間というものを楽園に近付く為に有効に使いなさいということである。時間を楽園に近付く為に使わないという、そんな勿体ないことをしてよいのであろうか。

 

信者たちよ。人間は、弱い存在である。人間は、主に従うことなしに力を持てるものではない。人間は、心を惑わす欲望というものを持っており、各種の困難に直面する場面に出会い悪魔の悪だくみに立ち向かわされている。こうした困難に立ち向かながらも打ち勝つ唯一の方法は、アッラーに御近づきになろうとし、アッラーに助けを求めることである。アッラーの御使いSAWは、ラマダーン月には、アッラーに御近づきになり、アッラーに助けを求めようとして、通常よりも多くの信仰行為を行っていたという。そして、ラマダーン月最後の十日間の夜半には、教友たちを起し、信仰行為を夜通し行われ、更にもっと信仰行為を行おうと御自身を鼓舞なされたという。預言者さまSAWは、述べられた。「人間が主に最も御近づきになる時というのは、夜の後半の半ばの時である。その時間にアッラーに思いを寄せる者の一人になりたいならば、それの為に努めなさい。」 実際、夜半には、その一時というものが存在するのである。その時と言うのは、毎晩あるのである。ムスリムが幸運にもこの時にめぐり合い、何かをアッラーに祈願するならば、アッラーはその願いを聞き入れて下される。深夜の信仰行為は、現世の雑事から逃れてアッラーに御近づきになる良い機会である。深夜に信仰行為を行う者は、眠って過ごしてしまうことを樂なこととは思わない。彼らは、墓での孤独と、終末の日の恐怖を常に心に思っている。アッラーの忠実なしもべは、行いに対する報酬にどれ程の喜びが隠されているかを必ずしも知っている訳ではないが、深夜の信仰行為の為に眠らずに過ごし、アッラーより罰を受けないようにと努め、アッラーの恵みを期待し懇願する。

 

信者たちよ。今日、過激な音楽などの道徳的ではないテレビ番組や、有料放送番組を見ることで無駄な時間を過ごす世代のムスリムたちがいる。そうしたことに時間をとられて深夜の信仰行為をないがしろにしているといって親たちは、嘆いている。誰かが預言者さまSAWの教友であるイブン・アル・アスワード師に、『我々は、深夜に信仰行為を行うのは困難です。』と言うと、師は、『悪いことを止めなさい。』と言った。即ち、夜半に無駄な娯楽に時間をかけるのを止めれば、深夜の信仰行為の為の時間はあるということである。深夜の信仰行為の時間は、イシャーの礼拝の終了後から明け方までであり、一方、預言者さまSAWは、夜の間中信仰行為をなされたという。妻を起こし、夫婦で深夜の信仰行為を行う者は誰でも、共に、アッラーに強い思いを寄せる善男と善女として記録されるであろう。深夜の信仰行為のやり方としては、2ラカアで始め、各2ラカア毎にサラームを行うのである。長い朗誦を行うことも推奨されている。また、ルクー(立礼)とサジダ(叩頭)を長くすることも推奨されており、アッラーを多く念じるように努めるのがよい。しかしながら、自分にとって困難なことはするには及ばない。預言者さまSAWは、述べておられる。「アッラーに誓って、自分に出来るだけのことをするがよい。自分が止めるまでは、アッラーは、あなたの信仰行為を受け入れようと応えて下される。」 自分がラマダーン月の徳のある良い日々の中にいるということを思うならば、深夜の信仰行為を行おうと自分の心を奮い立たせることが出来るであろう。この良い月ラマダーン月に、良い行いをしない者は、折角用意された良いものを失うこととなるのである。ラマダーン月は、最も希望が叶えられる日々からなり、それ故、各自アッラーを畏れ、自分の時間を有効に使うことに最善を尽くそうではないか。自分に出来る良いものをアッラーに御覧頂こうではないか。喜びをもって主を讃え、平安であるように努め、人々に施しをし、喩え他の人々が眠っていても深夜の信仰行為に努め、慈悲を広くそそがれ、慈悲深いアッラーが御用意されている楽園を目指そうではないか。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、聖ラマダーン月を有意義に過ごす者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW  に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

聖ラマダン月の過ごし方

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2018年5月18日)

―― 聖ラマダーン月を有意義に過ごしなさい ――

 

称賛は、人々への導きとして聖クルアーンを下されたアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドSAWは、預言者であり、御使いであることを証言する。預言者ムハムマドSAWは、述べられた。「クルアーンを読誦しなさい。審判の日には、クルアーンは、読誦した者に立ち会って弁護をしてくれる。」

 

信者たちよ、何をおいても、アッラーを畏れなさい。

アッラーは、クルアーン・イムラーン家章において述べておられる。

「お前たち信仰する者よ、十分な畏敬の念をもってアッラーを畏れなさい。お前たちは、ムスリムでなくして死んではならない。」(3章 102節)

 

信者たちよ、我々は今、聖ラマダーン月の中にある。ラマダーン月は、我々にとっての大切な来客のようなものであり、アッラーは、この偉大な月によって我々に御恵みを増加して下される。アッラーは、信者たちが信仰行為を沢山行い、善行を沢山積むことによって、御自分に近づく機会として、この月ラマダーン月を設けられた。また、アッラーは、我々の位階を高め、我々に大きな報酬を授ける為に、この月ラマダーン月を設けられた。アッラーの御使いSAWは、「聖月ラマダーン月が訪れている。アッラーは、この月の昼間断食斎戒しなさいと命じておられる。ラマダーン月が来ると天国の扉という扉は開かれる。一方、火獄の扉は閉じられ、扉には錠前が下ろされる。そして、悪魔たちはしっかりと鎖でつながれてしまう。」と述べられた。この月の中に、千月にも勝る一夜をアッラーは、御用意なされている。その夜には、良いことを仕損じることがないようにしたいものである。

 

信者たちよ、断食斎戒は、種々の信仰行為の中の一つである。それは、むしろ、最良の信仰行為であり、アッラーの御側に近づく手立てである。断食斎戒は、犯した悪事を消滅する程に大事な信仰行為である。アッラーの御使いSAWは、述べられた。「ラマダーン月に、アッラーからの報酬を信じて断食斎戒する信仰篤い者は皆、これまで犯した悪事を赦される。」 また、アッラーの御使いSAWは、述べられた。「至高のアッラーは、『断食斎戒を除き、人間の行為の一つ一つは、その者の為である。その一方で、断食斎戒は、わが為にある。故に、われは、それに対して特別の報酬を与えるであろう』と申された。」

 

信者たちよ、この月ラマダーン月が聖月であることの一つとして、アッラーがこの月ラマダーン月の一夜を選ばれ、聖典クルアーンを下されたことが上げられる。アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

ラマダーン月こそは、人類の導きとして、また、導きと(正邪の)区別や判別を明かすものとして、クルアーンが下された月である。・・・」(2章 185節)

この月に、聖典クルアーンを下されることでアッラーは、人々に正しい教えを与える機会となされた。多くを学び、魂を呼び覚まし活力を保ちつつ、あらゆる事柄に注意を払うことの大切さについての教えと導きが、そこには揃っている。断食斎戒と聖典クルアーンとについては、それが特別な事柄であるとしてアッラーによって語られている。即ち、アッラーが語られる特別な事柄とは、ヒダヤ(導き)とタクワ(敬虔さ)とである。

聖典クルアーンについてアッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「それこそは、疑いの余地のない啓典である。その中には、主を畏れる者たちへの導きがある。」(2章 2節)

そして、断食斎戒についてアッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「信仰する者よ、お前たち以前の者に定められたように、お前たちにも断食斎戒が定められた。きっと、お前たちは、主を畏れるであろう。」(2章 183節)

断食斎戒と聖典クルアーンとは、敬虔の念を自分のものとするのを確実にする為のものである。断食斎戒を行うことと、聖典クルアーンを読誦することとは、共に良い行いである。断食斎戒は、主よ、私は、昼間その者に飲食し娯楽を楽しむことを禁じたので、彼を弁護することを御許可下さいと言うであろう。また、聖典クルアーンは、夜半その者が眠ることを阻止したので、彼を弁護することを御許可下さいと言うであろう。聖典クルアーンは、それを読誦したアッラーのしもべの為に、審判の日には、弁護をしてくれるのである。即ち、断食斎戒と聖典クルアーンの両者は、審判の日に弁護を申し立てるということである。

 

断食斎戒と聖典クルアーンとの良い係わりとは何なのか。それは、断食斎戒は、魂の浄化、心の活性化、思慮深さを身に着けること、そうしたことへと導く源泉である。断食斎戒を行いなうことで、思慮深いとはどういうことであるかの意味を理解することとなる。一方で、聖典クルアーンの読誦者というものは、敬虔さを身に着けており、この上ない賢明さを獲得していることが要求されることとなる。

アッラーは、クルアーンサード章において述べておられる。

「われがお前たちに下した啓典は、祝福に満ち、その印を沈思黙考する為のものであり、また、思慮ある者たちへの訓戒である。」(38章 29節)

 

信者たちよ、また、アッラーは、聖典クルアーンを記憶し、その教えに従うように命じておられる。記憶し理解し、その教えに従う為には、それを慎重に熱心に読誦しなければならないのである。

アッラーは、クルアーン・衣を纏う者章において述べておられる。

「あるいは、もっと(礼拝に立て)。そして、ゆっくりと慎重に、クルアーンを読め。」(73章 4節)

ラマダーン月は、聖典クルアーンの月であると言える。敬虔な年配者は、その意味を理解しなさい。この月の間中、聖典クルアーンを沢山読誦することは大切なことである。敬虔な年配者は、ラマダーン月毎に、何度も全部を読誦してきたことであろう。

 

信者たちよ、アッラーを畏れなさい。アッラーに御会いする日、即ち、審判の日の為に、しっかりした信仰心で自分の行いを正しなさい。ラマダーン月の夜に行う礼拝には、預言者さまSAWが約束なされるように、成功の為の偉大な報酬である。預言者さまSAWは、「ラマダーン月に、アッラーからの報酬を期待し、そして、信じて夜の礼拝を行う者は皆、これまでに犯した悪事を赦される。」と述べられた。ラマダーン月の夜に行う礼拝とは、タラウィー礼拝のことであり、可能な限りマスジドで行おうではないか。そして、信者たちがアッラーに御近づきになる為の最良の信仰行為とは、夜半の任意の礼拝である。ラマダーン月は、夜を徹して信仰行為を行う良い機会である。断食斎戒によって、夜半の礼拝によって、アッラーを讃えこの良い機会を生かそうではないか。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、聖ラマダーン月の徳を生かすことが出来る者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW  に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アミィーン

欲について

アッサラームアライクム ワ ラハマトゥッラーヒ ワ バラカートゥフ


イスラーム学びチームよりお送りします。


以前、アッラーを信じない者たちの理由は、外的要因(無知や欲、 傲慢さや頑固さなどの
内面に影響を与える要因)の為であるとお伝えしました。


今日は、欲(ハワー)について。


ナフス(自我)とは、ハワーがでる場所であり、常に悪いことを命じるように創られています。
しかしそれを浄化(タズキヤ)すると、ナフスが綺麗になり、外的な誘いに対して強くなり、
シャイターンをはじくことができます。ナフスはあばれ馬のようなもので、調教されると
理性的になり、良いナフスになります。


一般的なナフスは、束縛を嫌い、自由を求めますが、それには2種類あります。
・少しだけ我慢して束縛を受け入れ、そのあと自由になる
・少しの我慢もできず、欲に押され、目先の利益や自由を優先する


「あなたは自分の思惑(ハワー)を、神として思い込む者を見たのか。あなたは彼らの守護者
 になるつもりなのか。」(識別章:43)


一方、特別な人のナフスは、アッラーに従う欲しかないので、自由はいらなくなります。

 


欲(ハワー)が強い人は、知識があっても欲に従ってしまうので、アッラーのご命令に従わず
受け入れることができません。また、心に目隠しをされ、話を聞いても理解できません。


「かれらの中には、あなたに耳を傾ける者もある。あなたの前を出ていくと、知識を授かっ
 ている者達に向かって「彼がいま言ったことは、一体なんですか」とたずねる。これらの
 者は、アッラーに心を封じられた者で、自分の私欲(ハワー)に従う者である。」
ムハンマド章:16)


「(ムハンマドよ)、われが下した印を授かりながら、それを脱ぎ捨て、それで悪魔が憑いて、
 邪道に導く者の仲間となった者の話をかれらに告げなさい。
 もしそれが、わが意志であったならば、われはそれ(印)によってかれを引き立てたであろ
 う。だがかれは地上の事に執着して、自分の虚しい私欲(ハワー)に従った。それでかれを
 例えてみれば犬のようなもので、もしあなたがそれを叱りつけても、舌を垂れている。
 また放っておいても、舌を垂れている。これはわが印を信じない者の比喩である。だから
 この昔の人びとの物語を告げなさい。おそらく彼らは反省するであろう。」(高壁章:
 175-176)


これらの者は、欲望を満たしたいために、真理を理解しながらも、真理を受け入れることを
拒みます。それは内面の矛盾から逃れるためであり、また自分一人では不安なため、人々に
も呼びかけるのです。

 


ラマダーン月の断食斎戒が、欲望に負けず、アッラーのためにできるよう、アッラー
助けて下さいますように。


ラマダーン・ムバーラク。

 


 

ワッサラームアライクム ワラハマトゥッラーヒ ワバラカートゥフ

 

2018年ラマダンについて

アッサラームアライクム
マスジド大塚からのお知らせです。

ルーヤトゥ・ヒラール・コミティ・ジャパン(日本新月確認委員会)によると、1439年シャーバーン月29日(2018年5月15日)に日本とマレーシアにおいてラマダーン新月(1439年ラマダーン月1日)が確認されなかったため、ラマダーンのスタートは2018年5月17日(木)となりました。


タラーウィーフの礼拝(夜の礼拝)は明日の夜から、サウム(断食)は5月17日のファジュルからです。

 


なお、マスジド大塚では毎日、イフタール(サウムを解く食事)をご用意しています。

ぜひお立ち寄り下さい。
タラーウィーフの礼拝は、イシャーの礼拝のすぐ後から始めます。

みなさんにとって実り多きよいラマダーンとなりますように。

ワッサラーム

 

Assalaam alikum wr.wb.
This is information from Masjid Otsuka.

Ruyat-e-Hilal Committee-Japan is pleased to announce that the Hilal (Crescent) for Ramadhan (1st of Ramadhan,1439A. H.) has not been sighted in Japan nor in Malaysia on Shaban 29, 1439 (May 15, 2018).

Therefore Ramadhan will start on Thursday, May 17, 2018 .

 

Salat ul Tarawih start from tomorrow night, sawm will start from Fajr of May 17th.


In Masjid Otsuka, We will serve iftar (food to break fast) every day. 

Please come by all means.
And we will do Salat ul Taraweh every night after Isha prayer.

 

May Allah (S.W.T.) accept our good deeds.

Wassalam

 

Masjid Otsuka

 

ザカートを支払うもの

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2018年5月4)

―― ザカートを支払う者の心得 ――

 

あらゆる賞賛は、アッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ。至高のアッラーを常々心に留めアッラーに従いなさい。

アッラーは、クルアーン・騙し合い章及び集団章において述べておられる。

「それ故、心を尽してアッラーを畏れ、(教えを)聞き、そして従いなさい。また、(施しのために蓄えを)使いなさい。それは、お前たち自身の為に善い。また、自分の貪欲に用心する者、彼らは、繁栄を成就する者である。」(64章 16節)

「だから、わがしもべたちに吉報を伝えなさい。」「御言葉を聞いて、その中の最も良いところに従う者たちに。」(39章 17--18節)

 

信者たちよ。気高い月であるラマダーン月がそこまで来ている。ラマダーン月は、大いに善行に励むべき最善の月であることを心に刻みなさい。ラマダーン月には、礼拝やザカート(喜捨)をいつも以上に進んで行いなさいということである。

アッラーは、クルアーン・階段章において述べておられる。

「また、彼らの富が、公正であると認められている者。」「物乞いする者や耐乏する者の為に(施す者)。」(70章 24--25節)

ザカートは、ヒジュラ歴の一年間に蓄えられている財産に応じて支出する施しである。アッラーは、ザカートの大切さを、クルアーンの多くの部分で礼拝の大切さと並べて述べておられる。礼拝をなおざりにすることなく、ザカートを快く支払う者は、信仰がしっかりしている者の証しであると言える。

アッラーは、クルアーン・蟻章において述べておられる。

「・・・これは、クルアーンの明瞭にする啓典の印であり、」「導きとして、そして、信者への吉報である。」「彼らは、礼拝の務めを守り、定めの喜捨を行う、来世を確信する者である。」(27章 1--3節)

ザカートは、火獄からの救済とも言われている。

アッラーは、クルアーン・夜章において述べておられる。

「それで、われは燃え盛る業火に就いてお前たち警告した。」「最も不幸な者でない限り、誰もそれで焼かれない。」「それは、(真理を)嘘であると言い背き去った者。」「だが、(主のために)忠誠の限りを尽した者は、それから救われ、」「富を施し、自分を清める。」(92章 14--18節)

ザカートは、アッラーの慈悲と御赦しを確かなものとすると言うことである。

アッラーは、クルアーン・高壁章において述べておられる。

「・・・また、われの慈悲は、あらゆるものにくまなく及ぶ。それ故、われは、主を畏れ、喜捨をなし、また、わが印を信じる者にそれを授けるであろう。」(7章 156節)

また、アッラーは、ザカートを支払う者の報酬を倍にして下されると御約束なさっている。

アッラーは、クルアーンビザンチン章において述べておられる。

「お前たちが利殖の為に、高利で人に貸し与えても、アッラーの許では、何も増えない。だが、アッラーの御悦びを求めて喜捨する者には、報酬が増加される。」(30章 39節)

 

信者たちよ。ザカートを快く支払う者については、その本人も、お金も浄化されるのである。預言者さまSAWは、述べておられる。「アッラーは、ザカートを支払った後、手許に残る財産を浄化する為に、務めのザカートを設けられた。」  

アッラーは、クルアーン・悔悟章において述べておられる。

「彼らの財産から喜捨を受け取りなさい。(受け取る)お前たちは、それによって彼らを浄化し、清めることとなる。そして、彼らに祝福があることを祈りなさい。誠、お前たちの祝福祈願は、彼らにとっての安らぎである。・・・」(9章 103節)

ザカートを支払うことは、貧しい者が世にある財産から分け前を得る権利を満たすものであり、同時に、払う側の義務を果たすものである。ザカートは、けちであるとか、妬みや憎しみといった貧しい心を、豊かな心へと変え、支払う人を浄化するものである。そして、ザカートは、イスラーム集団の中で価値が生じ、その上、手元に残ったお金で、商売を継続出来るというものである。

アッラークルアーン・サバア章において述べておられる。

「・・・アッラーは、お前たちが(主の道の為に)施すものは、全て返される。その御方は、最も優れた恵を与える方であられる。」(34章 39節)

 

信者たちよ。ザカートを支払う者として、自分の為に知っておくことがある。

第一: ザカートを払う者は、アッラーの御悦びを期待すること。受け取る相手に対して恩着せがましいことがないように。アッラークルアーン・雌牛章において述べておられる。

「信仰する者よ、恩を着せて、(負い目という)傷を負わせて、自分の施しを無益のものにしてはならない。・・・」(2章 264節)

第二: ザカートの原資は、正しい稼ぎから得られたものであること。

アッラークルアーン・雌牛章において述べておられる。

「信仰する者よ、お前たちが働いて得た良いものと、われが、大地からお前たちの為に育んだものを惜しまず施しなさい。問題や欠陥があるものと知りながら施してはならない。・・・」(2章 267節)

第三: ザカートは、身内や近縁の人々を優先すること。預言者さまSAWは、述べておられる。「貧しい人への喜捨は施しに過ぎないが、近親への喜捨は、施しと近親の絆を深める二重の価値がある。」

 

信者たちよ。公私に亘って、アッラーの教えに従いなさい。アッラーに従おうとする心を持ちながら、御使いSAWに従おうとする心が弱ければ、服従しているとは認められない。両親への感謝がないなら、アッラーへの感謝は、受け入れられない。信仰行為を行うことと、ザカートを惜しまないこととは不可分のことであり、後者があってこそ前者が受け入れられるのである。それで、正しいく、遅れることなくザカートを支払いなさい。

アッラークルアーン・悔悟章において述べておられる。

「施しは、貧者、困窮者、これ(施しの事務)を管理する者、及び、心が(真理、即ち、イスラームに)傾いてきた者の為、また、身代金や負債の救済のため、更には、アッラーの道の為(に率先して努力する者)、旅人の為のものである。そのように、アッラーは決められた。アッラーは、全知にして英明であられる。」(9章 60節)

ザカートを、団体が扱う場合には、アッラーの教えに従って公正に適切に支払いなさい。ザカートを公正に適切に扱うならば、イスラーム集団の団結は強くなり、イスラーム集団の人々の好意と愛の力を強いものとなる。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、時期を逃すことなく、気前よくザカートを支払う者であるように御導き下さい。

アッラーよ。あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ。あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ。私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ。イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ。日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン