私はムスリムです

私は日本人改宗ムスリムです。イスラームについて学んだことをシェアしているブログです。

2018年ラマダンについて

アッサラームアライクム
マスジド大塚からのお知らせです。

ルーヤトゥ・ヒラール・コミティ・ジャパン(日本新月確認委員会)によると、1439年シャーバーン月29日(2018年5月15日)に日本とマレーシアにおいてラマダーン新月(1439年ラマダーン月1日)が確認されなかったため、ラマダーンのスタートは2018年5月17日(木)となりました。


タラーウィーフの礼拝(夜の礼拝)は明日の夜から、サウム(断食)は5月17日のファジュルからです。

 


なお、マスジド大塚では毎日、イフタール(サウムを解く食事)をご用意しています。

ぜひお立ち寄り下さい。
タラーウィーフの礼拝は、イシャーの礼拝のすぐ後から始めます。

みなさんにとって実り多きよいラマダーンとなりますように。

ワッサラーム

 

Assalaam alikum wr.wb.
This is information from Masjid Otsuka.

Ruyat-e-Hilal Committee-Japan is pleased to announce that the Hilal (Crescent) for Ramadhan (1st of Ramadhan,1439A. H.) has not been sighted in Japan nor in Malaysia on Shaban 29, 1439 (May 15, 2018).

Therefore Ramadhan will start on Thursday, May 17, 2018 .

 

Salat ul Tarawih start from tomorrow night, sawm will start from Fajr of May 17th.


In Masjid Otsuka, We will serve iftar (food to break fast) every day. 

Please come by all means.
And we will do Salat ul Taraweh every night after Isha prayer.

 

May Allah (S.W.T.) accept our good deeds.

Wassalam

 

Masjid Otsuka

 

ザカートを支払うもの

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2018年5月4)

―― ザカートを支払う者の心得 ――

 

あらゆる賞賛は、アッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ。至高のアッラーを常々心に留めアッラーに従いなさい。

アッラーは、クルアーン・騙し合い章及び集団章において述べておられる。

「それ故、心を尽してアッラーを畏れ、(教えを)聞き、そして従いなさい。また、(施しのために蓄えを)使いなさい。それは、お前たち自身の為に善い。また、自分の貪欲に用心する者、彼らは、繁栄を成就する者である。」(64章 16節)

「だから、わがしもべたちに吉報を伝えなさい。」「御言葉を聞いて、その中の最も良いところに従う者たちに。」(39章 17--18節)

 

信者たちよ。気高い月であるラマダーン月がそこまで来ている。ラマダーン月は、大いに善行に励むべき最善の月であることを心に刻みなさい。ラマダーン月には、礼拝やザカート(喜捨)をいつも以上に進んで行いなさいということである。

アッラーは、クルアーン・階段章において述べておられる。

「また、彼らの富が、公正であると認められている者。」「物乞いする者や耐乏する者の為に(施す者)。」(70章 24--25節)

ザカートは、ヒジュラ歴の一年間に蓄えられている財産に応じて支出する施しである。アッラーは、ザカートの大切さを、クルアーンの多くの部分で礼拝の大切さと並べて述べておられる。礼拝をなおざりにすることなく、ザカートを快く支払う者は、信仰がしっかりしている者の証しであると言える。

アッラーは、クルアーン・蟻章において述べておられる。

「・・・これは、クルアーンの明瞭にする啓典の印であり、」「導きとして、そして、信者への吉報である。」「彼らは、礼拝の務めを守り、定めの喜捨を行う、来世を確信する者である。」(27章 1--3節)

ザカートは、火獄からの救済とも言われている。

アッラーは、クルアーン・夜章において述べておられる。

「それで、われは燃え盛る業火に就いてお前たち警告した。」「最も不幸な者でない限り、誰もそれで焼かれない。」「それは、(真理を)嘘であると言い背き去った者。」「だが、(主のために)忠誠の限りを尽した者は、それから救われ、」「富を施し、自分を清める。」(92章 14--18節)

ザカートは、アッラーの慈悲と御赦しを確かなものとすると言うことである。

アッラーは、クルアーン・高壁章において述べておられる。

「・・・また、われの慈悲は、あらゆるものにくまなく及ぶ。それ故、われは、主を畏れ、喜捨をなし、また、わが印を信じる者にそれを授けるであろう。」(7章 156節)

また、アッラーは、ザカートを支払う者の報酬を倍にして下されると御約束なさっている。

アッラーは、クルアーンビザンチン章において述べておられる。

「お前たちが利殖の為に、高利で人に貸し与えても、アッラーの許では、何も増えない。だが、アッラーの御悦びを求めて喜捨する者には、報酬が増加される。」(30章 39節)

 

信者たちよ。ザカートを快く支払う者については、その本人も、お金も浄化されるのである。預言者さまSAWは、述べておられる。「アッラーは、ザカートを支払った後、手許に残る財産を浄化する為に、務めのザカートを設けられた。」  

アッラーは、クルアーン・悔悟章において述べておられる。

「彼らの財産から喜捨を受け取りなさい。(受け取る)お前たちは、それによって彼らを浄化し、清めることとなる。そして、彼らに祝福があることを祈りなさい。誠、お前たちの祝福祈願は、彼らにとっての安らぎである。・・・」(9章 103節)

ザカートを支払うことは、貧しい者が世にある財産から分け前を得る権利を満たすものであり、同時に、払う側の義務を果たすものである。ザカートは、けちであるとか、妬みや憎しみといった貧しい心を、豊かな心へと変え、支払う人を浄化するものである。そして、ザカートは、イスラーム集団の中で価値が生じ、その上、手元に残ったお金で、商売を継続出来るというものである。

アッラークルアーン・サバア章において述べておられる。

「・・・アッラーは、お前たちが(主の道の為に)施すものは、全て返される。その御方は、最も優れた恵を与える方であられる。」(34章 39節)

 

信者たちよ。ザカートを支払う者として、自分の為に知っておくことがある。

第一: ザカートを払う者は、アッラーの御悦びを期待すること。受け取る相手に対して恩着せがましいことがないように。アッラークルアーン・雌牛章において述べておられる。

「信仰する者よ、恩を着せて、(負い目という)傷を負わせて、自分の施しを無益のものにしてはならない。・・・」(2章 264節)

第二: ザカートの原資は、正しい稼ぎから得られたものであること。

アッラークルアーン・雌牛章において述べておられる。

「信仰する者よ、お前たちが働いて得た良いものと、われが、大地からお前たちの為に育んだものを惜しまず施しなさい。問題や欠陥があるものと知りながら施してはならない。・・・」(2章 267節)

第三: ザカートは、身内や近縁の人々を優先すること。預言者さまSAWは、述べておられる。「貧しい人への喜捨は施しに過ぎないが、近親への喜捨は、施しと近親の絆を深める二重の価値がある。」

 

信者たちよ。公私に亘って、アッラーの教えに従いなさい。アッラーに従おうとする心を持ちながら、御使いSAWに従おうとする心が弱ければ、服従しているとは認められない。両親への感謝がないなら、アッラーへの感謝は、受け入れられない。信仰行為を行うことと、ザカートを惜しまないこととは不可分のことであり、後者があってこそ前者が受け入れられるのである。それで、正しいく、遅れることなくザカートを支払いなさい。

アッラークルアーン・悔悟章において述べておられる。

「施しは、貧者、困窮者、これ(施しの事務)を管理する者、及び、心が(真理、即ち、イスラームに)傾いてきた者の為、また、身代金や負債の救済のため、更には、アッラーの道の為(に率先して努力する者)、旅人の為のものである。そのように、アッラーは決められた。アッラーは、全知にして英明であられる。」(9章 60節)

ザカートを、団体が扱う場合には、アッラーの教えに従って公正に適切に支払いなさい。ザカートを公正に適切に扱うならば、イスラーム集団の団結は強くなり、イスラーム集団の人々の好意と愛の力を強いものとなる。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、時期を逃すことなく、気前よくザカートを支払う者であるように御導き下さい。

アッラーよ。あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ。あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ。私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ。イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ。日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

 

シャバーン月(今月)に行う善行

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2018年4月20日)

―― シャーバン月に行う善行 ――

 

 

あらゆる賞賛は、アッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ。至高のアッラーの御命令に従い日々の生活を送りなさいと教えられていることを心に留めなさい。

アッラーは、クルアーン・婦人章において述べておられる。

「・・・もし、お前たちが善行をなし、主を畏れるならば、誠、アッラーは、お前たちの行うことを熟知なされる。」(4章 128節)

 

信者たちよ。至高のアッラーは、アーダムを、そして、人間を創造なされるに当たって、人間に対して善行を積みなさいと命じられ、あらゆる善行が公正な秤の上では、大きな比重を占めると約束なされた。

アッラーは、クルアーン・預言者章において述べておられる。

「われは、審判の日の為に、公正な秤を用意する。一人として、たとえ、芥子一粒の重さであっても不当に扱われることはない。われは、それ(秤)を使用する。われは、清算者として万全である。」(21章 47節)

大小のあらゆる行いについて審判を受ける為にアッラーの御前に立つことを誰もが知っているのであるから、各自、審判の日に備えて善行ばかりを行おうと急ぐべきである。アッラーは、人々の許から交替で戻ってきた天使たちに、人々それぞれの行いについて報告を受けられる。それは、アッラーが御存知でないから報告を受けられるのではない。アッラーは、クルアーン・家畜章において述べておられる。

「誠、地においても天にあっても、アッラーに隠す何ものもない。」(3章 5節)

至高のアッラーは、報告をする天使たちを前に、各々の人の善行を高く評価なさろうとしているのである。

 

信者たちよ。アッラーは、クルアーン・夜の旅章において述べておられる。

「・・・暁に、クルアーンを(読誦しなさい)。誠、暁のクルアーン(読誦)には立会人がいる。」(17章 78節)

この、「クルアーンを(読誦しなさい)。」とは、ファジュルの礼拝を行いなさいということであり、ファジュルの礼拝には、夜の担当の天使たちと、昼の担当の為にやって来たばかりの天使たちの両者が立ち会うということである。さて、至高のアッラーは、日に五回の務めの礼拝をしっかりと行うようにムスリムたちに命じておられるが、加えて、中間の礼拝をしっかり行うように念を押しておられる。

アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「各礼拝を、特に中間の礼拝をしっかりと守れ。敬虔な心でアッラーの御前に立て。」(2章 238節)

人々が忙しくしている昼間の礼拝、即ち、アスルの礼拝と、人々が眠たがっている早朝の礼拝、即ち、ファジュルの礼拝を、心を込めて行う者には、敬虔さを評価なされてアッラーは、追加の報酬を御用意されるだろう。

 

信者たちよ。今月は、シャアバーン月という大切な月である。預言者さまSAWは、「シャアバーン月は、ラジャブ月とラマダーン月とにはさまれており、人々は、この月に注意を払わない。だが、この月の行いについて主は、留意して下さるので、自分は、任意の断食斎戒を多くするように心掛けている。」と述べられた。預言者さまSAWは、シャアバーン月には、断食斎戒を熱心になされたということであり、人々がこの月に行う礼拝などの信仰行為は、何倍かに評価されるということである。従って、この月には、困難である時間帯の礼拝をしっかりと行うがよい。そして、この月に行う断食斎戒は、アッラーの最高の御満悦が得られるだろう。

 

信者たちよ。シャアバーン月は、魂を浄化し、ラマダーン月の断食斎戒の準備を整える為の大切な月である。多くの善行を積み上げようと心掛ければ、主より何倍もの報酬が期待できる良い機会となる。

アッラーは、クルアーン・蜘蛛章において述べておられる。

「だが、信仰して正しい行いに勤しむ者については、われは、必ず、下に川が流れている楽園の高殿に落ち着かせよう。(永遠に)そこに住まわせる。(善)行を行う者への報奨は、何と有り難いことよ。」(29章 58節)

また、シャアバーン月は、これまでに犯した悪事を消し去る為に心からの悔悟を行う良い機会の月である。

アッラーは、クルアーン・ターハー章において述べておられる。

「だが、悔悟して信仰し、善行に勤しみ、その後、(正しく)導かれる者に対しては、われは、度々、寛容を示す。」(20章 82節)

また、犯してしまった悪事を消し去り、位階を高める方法があるということであり、それは、善行を沢山行うということである。アッラーは、クルアーン・フード章において述べておられる。

「・・・誠、善行は、悪行を消滅させる。これは(主を)念じる者に対する訓戒である。」(11章 114節)

善行は、悪事を取り除いてくれるということである。そして、主に悔悟する機会を逃さないことである。それ故、楽園を心から求めて、大いに善行に励みなさい。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、ファジュルとアスルの礼拝をしっかりとする者であるように御導き下さい。

アッラーよ、ジャアバーン月を無駄にしない者であるように御導き下さい。

アッラーよ。あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ。あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ。私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ。日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ。イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ。日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

 

審判の日の備え

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2018年4月13日)

―― 審判の日の備えとして大事な事柄 ――

 

あらゆる賞賛は、アッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ。ムスリムが生活する上で大事にすべきことについてである。現世と来世で成功を得る上で大事であるとはっきりしていることは、アッラーの御悦びを得ることである。先ずは、大事な二つの柱についてである。アッラーの御使いSAWは、述べておられる。「アッラーは、おっしゃられた。『われは、われの敬虔なしもべに対して敵意を示す者に宣戦する。われに近付こうとするしもべの最も好ましい行いとは、われがしもべに命じたものである。敬虔なしもべは、われが命じた務めの行いと、それ以外の良い行いを実行しわれに近付いてくる。やがて、われは、その者を愛するようになる。そうしたしもべが見たり聞いたり、触れたり、出掛けたりすることが、われが好ましいと思うものとなる。そうすると、その者の願いを聞き届け、その者が加護を願えば応えて上げる。』」 このハディースから、アッラーが命じられる務めの行いと、スンナの行いを出来る限り行うことの大切さが分かる。

第1の柱は、務めの行いを確実に実行しなさいということである。それがアッラーとのつながりを保つ為の最小限の事柄であり、アッラーの恩恵に対する感謝の気持ちを示すものである。

第2の柱は、その都度の寄付、施し、務め以外の礼拝、ラマダーン月以外の断食斎戒等の実行といった任意の善行を行うことである。これらを行うことで、アッラーは、祝福を下され、アッラーがそれを行う者を愛するようになる。その結果、努力が報いられ、願いが叶えられ、きっと、来世では、楽園へと導かれることであろう。

 

信者たちよ。この二つのことは、ムスリムの生活にとって大事なことである。更に、ムスリムが目指すべき五つの大事な事柄がある。アッラーの御使いSAWは、述べておられる。「審判の日に、それが問われるまでは、裁きが終わらない事柄がある。命をどのように使い尽くしたか。知識をどのように得て、どのように使ったか。財産をどのようにして得て、そして役立て、無駄使いしたか。自分の身体をどのように使ったか。」

さて、五つの事柄とは以下のとおりである。

第1は、知識について

知識について、それが有ると無いとでは、大いに異なるということを、アッラーは、クルアーン・集団章において述べておられる。

「夜に眠らず目を覚ましている時に、サジダし、あるいは、立って礼拝に打ち込んで来世に備え、また、主の御慈悲を請い願う者(がそうではない者と同じであろうか)。言ってやるがいい。『知っている者と、知らない者と同じであろうか。』 訓戒を受け入れるのは、思慮ある者だけである。」(39章 9節)

預言者さまSAWは、度々、信者たちに知識を求めなさいと教えられ、知識を得ることは、アッラーが御悦びになる事柄であると述べておられる。知識は、信頼度の高い行いをする上での源泉となるものであるから、アッラーは、行いを何の知識に基づいて行っかを問われるのである。教友たちは、クルアーンを記憶することによって、知識を蓄積していったという。

第2は、時間の使い方について

時間は、人間が係わる最も尊い資源の一つである。他の資源、即ち、お金、子孫などとの比較において、時間は、例え何かを行ったとしても自分で増やすことは出来ない。ムスリムなる者は、生きている間中、効率よく時間を使うことを心掛けなければならない。

第3は、心を浄化するということ

人々は、人間は本来的に善であるか悪であるかという議論に陥り混乱をきたしている。そのことは、イスラームにおいては、極めて明確になっている。即ち、アッラーは、両方の性質を植え付けたということである。

アッラーは、クルアーン・町章において述べておられる。

「更に、二つの道を彼に示した(ではないか)。」(90章 10節)

善に向うも悪へ向かうも、各人の選択の許に有るということである。

アッラーは、クルアーン・太陽章において述べておられる。

「太陽と、その輝きにおいて、」「それに従う、月において、」「(太陽を)輝き現わす昼において、」「それを覆う夜において、」「 天と、それを打ち建てた御方において、」「 大地と、それを広げた御方において、」「魂と、それを釣合い秩序付けた御方において、」「邪悪と信心に就いて、それ(魂)に示唆した御方において(誓う)。」「本当にそれ(魂)を清める者は、成功し、」「それを汚す者は、滅びる。」(91章 1--10)

悪から善へと心を悔い改める者は、勝利する。悪の道を選ぶ者は、自分自身以外にそのことを呪う者はいない。

第4は、戒律との係わりについて

アッラーの教え、即ち、戒律を守る為に、疑わしいもの、禁止されたものを避けなさい。

第5は、良い交友の勧めについて

これは、とても大切な事柄である。ムスリムは、自分の中の悪と、外にいる悪魔という、二つの敵を抱えて生きている。この敵と戦うには、力を貸してくれる誰かが必要である。敬虔な友達ばかりが周囲にいるなら、アッラーの御側に居続けられる保証のようなものである。アラビア語で人間のことを、insan(インサン)と言うが、nisyan(ニシャン)即ち、忘れっぽいと言う言葉と同じ語源を持つ言葉である。人間は、忘れっぽい存在であるから、insanと呼ばれるということである。敬虔な良い友達を持ち、アッラーを常に思い、ムスリムとしての行いを果たす上で、友達同士は、忘れることを思い出す為に補い合い、互いに影響し合うとうことが大事である。

アッラーは、クルアーン・識別章において述べておられる。

「その日、悪を行った者は、(しまったと、)その手を噛み、言うであろう。『ああ、自分がもし使徒と共に(正しい)道を選んでいたならば。』」「『ああ、情けない、私があんな者を友としなかったならば。』」「『誠に、彼は、訓戒が下った後に、私を迷わせたのです。悪魔は、常に人間を裏切ります。』」「使徒は言う。『主よ、誠に、私の人々は、このクルアーンを忌むべきものとして拒否します。』」「われは、このように、それぞれの預言者に、罪深き者たちの中から敵を創る。だが、指導者、援助者としては、あなたの主だけで十分である。」(25章 27--31節)

 

最後に、アッラーが御悦びになられることとは何かを考えてみようではないか。審判の日に、アッラーは、何を我々に問われるのかを知っておこうではないか。何を大事にしなければならないのか、具体的に上げてみようではないか。それをすることは、現世と来世での成功の源泉となるであろう。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ。審判の日の備として大事なことを心得、実行出来る者であるように御導き下さい。

アッラーよ。あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ。あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ。私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ。日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ。イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ。日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

 

 

人類への啓示

アッサラーム アライクム 兄弟姉妹の皆様
東京ジャーミイ金曜日のホトバ
2018年4月13日
「人類への啓示の最初のことば:「読め!」」
ジュムア・ムバーラク、尊敬すべき信仰者の皆様!
イクラア ビスミ ラッビカッラズィー ハラク
ハラカル インサーナ ミン アラク
アッラズィー アッラーマ ビル カラム
アッラマル インサーナ マラム ヤアラム
ホトバの始まりに引用したアーヤ(節)は、私たちの預言者に、ヒラーの洞窟で最初に啓示されたものであります。これらのアーヤにおいて、アッラーは次のように述べておられます。「読め、『創造なされる御方,あなたの主の御名において。 一凝血(いちぎょうけつ)から、人間を創られた。』読め、『あなたの主は、最高の尊貴であられ、筆によって(書くことを)教えられた御方。人間に未知なることを教えられた御方である』。」私たちの最愛なる預言者は、このご命令を授かり、ハディースにおいて次のように宣言なさいました。「誰であれ知識を求めて旅立つ者は、帰るその日まで、神の道にいるのである」。

尊敬すべき信仰者の皆様!
人間にとり、苦しみ、悩み、最大の努力を払う価値のある目的のひとつが、知識の獲得であります。知識とは、人類の道を照らす宝であり、知恵とは、人が達成する中でも最も賞賛に値(あたい)する品格であります。このように、最後の啓示の書は、「イクラ(読め)!」との御言葉(みことば)をもって始まるのであります。読むことは、美徳を追求することであります。読むことは、真理に達することであります。読むことは、創造、生命、宇宙の背後にある意味を探求する旅の只中(ただなか)にある人にとり、最も近しい友なのです。私たちの聖典は、「知っている者と、知らない者と同じであろうか」と示唆(しさ)することで、人類にとり、知識と知恵にはかけがえのない価値があることを強調しています。私たちの恵みふかき書であり、知恵の神聖な泉であるクルアーンは私たちに、ものごとを考え、知性を使って真の知識に到達するよう命じ、また「無知の者から遠ざかれ」「無知な者の仲間となってはならない」と警告することにより、無知を批判しています。このように、私たちが自らの宗教的、社会的な責任を学び、正しいことと誤ったことの区別を知るためにも、書を読み、知識を獲得することは、すべてのムスリムにとって不可欠な義務なのであります。
尊敬すべきムスリムの皆様!
知識は人間のためにあります。人は知識によって高められるのです。正しい典拠(てんきょ)から得た本物の知識によって、人は公正さに到達し、社会を導き、世界を形づくるのです。知恵は平和と幸福をもたらし、また現世と来世における繁栄(はんえい)を人間にもたらします。その一方で、無知は恥と欺瞞(ぎまん)をもたらし、過ちと害をもたらすのです。
愛されし信仰者の皆様!
私たちの預言者によって建立された、アル・マスジド・アン・ナバーウィー(預言者モスク)は、学びの中心地であります。私たちの預言者(彼の上に祝福と平安あれ)は、すべての信仰者たちを、男も女も、老いも若きも彼のマスジドに招き、アッラーは、学びに専念する者たちのために天へと至る道を容易なものとされるだろうと告げました。

尊敬すべき信仰者の皆様!
私たちは、情報とテクノロジーの時代に生きています。しかし人類はこれらを、地上の善を守るためではなく、むしろこれらを悪用し、よからぬ行(おこな)いに用いることが多くありました。知識が倫理と切り離されれば、人は人間としての固有の価値から切り離されてしまうのです。
この点に関して、真の知識と正しい情報源を追求し、適格な典拠から知識を得て、学んだことにふさわしく行動することは、私たちの共同体としての責任なのであります。

兄弟、姉妹の皆様!
私たちは親として、クルアーンとスンナによって培(つちか)った信仰の良心をもって、崇拝行為(イバーダ)の愛と道徳の感覚とともに、私たちの子どもたちを育ててゆきましょう。子どもたちが善良な人となり、模範的な信仰者となるよう、努力を重ねてゆきましょう。

敬神の念とラマダン月への備え

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2018年4月6日)
―― 敬神の念と、ラマダーン月への備え ――

あらゆる賞賛は、アッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

信信者たちよ。至高のアッラーを心に留め、アッラーを畏れなさい。アッラーの御力と誇らしさを知る者は、アッラーを畏れ、アッラーを畏れる敬虔な人々は、安心と誇りを自分のものとする。
アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。
「・・・旅の準備をしなさい。だが、最も優れた準備は、篤信の念である。お前たち思慮ある者よ、われを畏れなさい。」(2章 197節)
これは、巡礼を意図した者の旅支度について述べたものであるが、持ち物や着る物といった、物の準備よりも、アッラーを畏れるという敬神の念をしっかり持つという心の準備こそ大事であるということである。
アッラーは、人々の行いを受け入れる条件として敬神の念を設けられた。
アッラーは、クルアーン・食卓章において述べておられる。
「・・・アッラーは、ひたすら、主を畏れる者だけを受け入れられる。」(5章 27節)
我々は、敬神の念を持つことで過ちが赦され、報酬を約束されている。そのことを、アッラーは、クルアーン・離婚章において述べておられる。
「・・・アッラーを畏れる者には、その御方は、その諸悪を払われ、その者に対する報酬を増大されるであろう。」(65章 5節)
敬神の念をしっかり持ち、敬虔で善良な者は、現世でも来世でも高位の者として扱われる。
アッラーは、クルアーン・物語章において述べておられる。
「来世の住まいとは、このようなもの。われは、地上において威張りちらしたりせず、悪を行わない者に、これを授ける。善果は、主を畏れる者にある。」(28章 83節)

信者たちよ。さて、素晴らしい月、ラマダーン月が、間もなくやって来る。アッラーが、人々に、その一ヶ月間の間、断食斎戒をしなさいと命じておられる月である。断食斎戒を行うことを通して人々は、敬虔さ、善良さ、アッラーを思う気持ち、アッラーを畏れる心を深めてゆくことだろう。即ち、断食斎戒の目的とするところは、敬神の念を深めることにあるのであって、人々の敬神の念は、アッラーを畏れる気持ちに現れる。それは、アッラーの教えに従い行動し、少しでも来世に備えることである。
アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。
「信仰する者よ。お前たち以前の者に定められたように、お前たちに断食斎戒が定められた。きっと、お前たちは、主を畏れるであろう。」(2章 183節)
ラマダーン月は、楽園の扉は開け放たれ、火獄の扉は閉鎖されている月である。誰もが、ラマダーン月を、教えをしっかりと守る月としなさい。自分自身が良い行いを沢山行う競争の月としなさい。自分の心を浄化する月としなさい。自分の心が、主にもっともっと近付く月としなさい。預言者ムハムマドSAWは、報酬が得られることを疑わず敬虔な気持ちでラマダーン月の断食斎戒に臨む者は、以前に犯した悪事が赦されるだろうと述べられた。

信者たちよ。ラマダーン月を迎えるに当たって留意する事柄がある。アブー・フライラは、伝えている。「 アッラーのみ使いSAWは、『あなた方は、ラマダーン月に先んじて一日あるいは二日も前から断食を行ってはならない。だが、習慣として、常々それを行っている者は、それを行うがよい。』と申された。」  また、アブー・フライラは伝えている アッラーのみ使いSAWは、「あなた方は、新月を見た時は断食をせよ。そして(次の月の)新月を見たら断食を止めよ。もし曇天で(それが明らかでない場合は)30日間断食をせよ。」と申された。断食開始の新月を見るというのは、シャーバン月29日の日没に新月が見られるかどうかを確認しなさいという意味である。見えたら、その日がラマダーン月1日である。見えなければ、翌日に持ち越される。従って、新月を見ようとせずに、見込みで断食斎戒を開始することは違反である。そして、預言者ムハムマドSAWは、「二週の金曜日の間と、二回のラマダーン月の間の日々五回の礼拝は、その間に犯した悪事を、大罪でない限り、ぬぐい消してくれる。」と述べられた。更に、預言者ムハムマドSAWは、「アッラーの道の為に一日の断食斎戒する者について、アッラーは、その者の顔を、七十年間に亘って火獄から遠ざけて下される。」と述べられた。

ラマダーン月の断食斎戒を行わないこと、ないし、中止することについて四つの事柄がある。
1番目は、断食斎戒するのが差し障りとなる病気の場合。礼拝を短縮するのを許されている旅行中。これは、断食を行わなくてよい二つの事柄であるが、後に、その分の断食斎戒を行うこと。但し、この二つの事柄の場合であっても、断食斎戒を行いたければ行っても差し支えなく、その断食斎戒は有効である。
2番目は、月経中の女性と、お産に伴う出血がある女性。飲食を絶って断食斎戒を行ったとしても有効ではない。
後に、その分の断食斎戒を行うこと。
3番目は、妊娠中ないしい、授乳をしているお母さん。断食斎戒することが自分の健康や乳児の健康に影響ありそうならば、断食斎戒を控える。後に、その分の断食斎戒を行うこと。更に、日数分貧者に施しをすること。
4番目は、断食斎戒中に、無効にするような間違いを犯すこと。この中には、夫婦の交わりを行うことが含まれる。一名の奴隷を解放すること。それができなければ、二か月間連続で断食斎戒を行うこと。困難ならば、60名の貧者に食事を供すること。貧しくてそれも出来ないならば、放免される。

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ。敬神の念を強く持つ者であるように御導き下さい。
アッラーよ。ラマダーン月を十分な準備をもって迎え、断食斎戒を全うできる者であるように御導き下さい。
アッラーよ。あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。
アッラーよ。あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。
アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。
アッラーよ。私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ。イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ。日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

 

審判の日への備え

アッサラームアライクム

 

 

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ要約 (2018年3月23日)
―― 審判の日への備え ――

あらゆる賞賛は、アッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

信者たちよ。至高のアッラーに従いなさいと、誰もが教えられていることを心に留めなさい。
アッラーは、クルアーン・戦利品章において述べておられる。
「信仰する者よ。もし、お前たちがアッラーを畏れるならば、その御方は、お前たちに識別を与え、お前たちの諸悪を消滅し赦して下される。誠、アッラーは、偉大な恩恵の主であられる。」(8章 29節)
「識別を与え」ということの意味は、アッラーは、善と悪の違いをはっきりと御示しであるから、アッラーを畏れる者には、善と悪との違いが分かるに違いないということである。

信者たちよ。良い品格を持ち、善行を行うことは、ムスリムとしてとても大切なことである。各々の行いについては、審判の日には、眼前にさらけ出されるのである。そのことは、次のハディースで語られている。預言者さまSAWは、審判の日にアッラーが次のように言われると述べられた「しもべよ。これこそまさに、お前の為に計量し、報いの元となるお前さんの行いだ。来世に良い場所を見い出す者は、アッラーを称えようではないか。もしも、そうではない場所を見い出す者は、他でもない自分自身を責め立てようではないか。」 それ故、至高のアッラーは、各々について、記録のノートを作っておられる。そのノートには、大小にかかわらず各自が行った全てが記録されているのである。アッラーは、クルアーン・裂ける章において述べておられる。
「誠に、お前たちの上には、2人の看守(天使)がおり、」「彼らは、真面目な記録者で、」「お前たちの行いを知っている。」(82章 10--12節)
この意味するところは、各々を見張り、行いと喋った言葉を記録し、数え上げるのを任務として任されている真面目な天使たちがいるということである。喋ったあらゆる言葉が審判の日には、秤の上に乗っているということである。アッラーは、クルアーン・カーフ章において述べておられる。
「彼がまだ、一言もしゃべっていないのに、彼の脇の看守は(記録の)準備を整えている。」(50章 18節)
そうして、各自が現世で行った一つ一つの行いは、行いを記録するノートの中に記録される。
アッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。 
「・・・彼らは、(自らが)行った(全ての)ことが、自分の前にあるのを見る。お前たちの主は、誰をも不当には扱われない。」(18章 49節)
審判の日には、記録されたノートを眼の前に出され、見せられるということである。

信者たちよ。真面目な天使たちの仕事振りといえば、片時もぼんやりすることなく、喋る言葉や行いを書き上げてゆくということである。記録するのを遅れたり、書き忘れてしまうことはない。誰かが、アッラーを称える言葉を述べると、それを聞きつけた多数の天使たちは、我先にそのことを書き留めようとして競い合うという。
アッラーは、クルアーン・預言者章において述べておられる。
「・・・一人として、たとえ、からしの実一粒程の(わずかの)重さであっても不当に扱われることはない。われは、それを(計算に)持ち出す。われは、清算者として万全である。」(21章 94節)
「誰でも善行に励み、信仰している者は、決して、その努力を無駄にされることはない。われは、彼らの為に、遺漏なく記録している。」(21章 47節)

信者たちよ。報いを得る素晴らしい善行として、アッラーの御赦しを乞い願うということがある。犯した過ちを消し去って頂き、善行だけにして頂くということである。預言者さまSAWは、次のように述べておられる。「行いの記録に関して、沢山の御赦しを求める機会があるとは、何と素晴らしいことか。」 更には、親切に務め、信仰行為に務め、時間通りの礼拝に務めてアッラーに従うことは、良い行いを増やし、悪い行いを取り除くのに役立つ善行ということとなる。アッラーは、クルアーン・フード章において述べておられる。
「礼拝は、昼間の両端において、また、夜の初めの時に、務めを守れ。誠に、善行は、悪行を消滅させる。これは(主を)念じる者に対する訓戒である。」(11章 114節)

さて、死後にも死者の役に立つような立派な行いというものがある。後の人に役立つような知識を残すこと、アッラーの道の為に後々まで役立つ施設などを残すことであり、それらは、死後にも報酬を生むことだろう。預言者さまSAWは、次のように述べておられる。「人が死ぬと次の三つのもの以外は、その者の善行は、新たな報酬を生まない。死後にも報酬を得る三つのものとは、後々まで役立つ寄贈物として残された施設など、後の人に役立つ残された知識、亡くなった親の為に祈願を続けてくれる子息である。」 これらのことを心に刻み、善行によって報酬を増やして頂けるように、過ちを御赦し頂けるように、右手で行いの記録のノートを受け取ることが出来るように、即ち、楽園へ入る知らせを受け取られるように、至高のアッラーに祈願しようではないか。アッラーよ、永遠の住まいが楽園であるように祈願します。

信者たちよ。アッラーよ、あなたさまに従い、人々の中で最も正直者であられる預言者さまSAWからの教えに従い、守るように命じられたことを、守る者であるように御導き下さい。
アッラーは、クルアーン・婦人章において述べておられる。
「お前たち信仰する者よ。アッラーに従いなさい。また、使徒とお前たちの中の権能をもつ者に従いなさい。・・・」(4章 59節)
聖典クルアーンと預言者さまSAWのスンナ、それらからの恵みを御与え下さい。皆の過ちを御赦し下さるように祈願します。アッラーは、最も御赦しになられる、最も気高い御方です。

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ、審判の日への備えが出る者であるように御力添え下さい。
アッラーよ、あなたさまに信頼を寄せ、祈願する善い信者の一人であるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。
アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。
アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン