私はムスリムです

私は日本人改宗ムスリムです。イスラームについて学んだことをシェアしているブログです。

審判の日への備え

アッサラームアライクム

 

 

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ要約 (2018年3月23日)
―― 審判の日への備え ――

あらゆる賞賛は、アッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

信者たちよ。至高のアッラーに従いなさいと、誰もが教えられていることを心に留めなさい。
アッラーは、クルアーン・戦利品章において述べておられる。
「信仰する者よ。もし、お前たちがアッラーを畏れるならば、その御方は、お前たちに識別を与え、お前たちの諸悪を消滅し赦して下される。誠、アッラーは、偉大な恩恵の主であられる。」(8章 29節)
「識別を与え」ということの意味は、アッラーは、善と悪の違いをはっきりと御示しであるから、アッラーを畏れる者には、善と悪との違いが分かるに違いないということである。

信者たちよ。良い品格を持ち、善行を行うことは、ムスリムとしてとても大切なことである。各々の行いについては、審判の日には、眼前にさらけ出されるのである。そのことは、次のハディースで語られている。預言者さまSAWは、審判の日にアッラーが次のように言われると述べられた「しもべよ。これこそまさに、お前の為に計量し、報いの元となるお前さんの行いだ。来世に良い場所を見い出す者は、アッラーを称えようではないか。もしも、そうではない場所を見い出す者は、他でもない自分自身を責め立てようではないか。」 それ故、至高のアッラーは、各々について、記録のノートを作っておられる。そのノートには、大小にかかわらず各自が行った全てが記録されているのである。アッラーは、クルアーン・裂ける章において述べておられる。
「誠に、お前たちの上には、2人の看守(天使)がおり、」「彼らは、真面目な記録者で、」「お前たちの行いを知っている。」(82章 10--12節)
この意味するところは、各々を見張り、行いと喋った言葉を記録し、数え上げるのを任務として任されている真面目な天使たちがいるということである。喋ったあらゆる言葉が審判の日には、秤の上に乗っているということである。アッラーは、クルアーン・カーフ章において述べておられる。
「彼がまだ、一言もしゃべっていないのに、彼の脇の看守は(記録の)準備を整えている。」(50章 18節)
そうして、各自が現世で行った一つ一つの行いは、行いを記録するノートの中に記録される。
アッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。 
「・・・彼らは、(自らが)行った(全ての)ことが、自分の前にあるのを見る。お前たちの主は、誰をも不当には扱われない。」(18章 49節)
審判の日には、記録されたノートを眼の前に出され、見せられるということである。

信者たちよ。真面目な天使たちの仕事振りといえば、片時もぼんやりすることなく、喋る言葉や行いを書き上げてゆくということである。記録するのを遅れたり、書き忘れてしまうことはない。誰かが、アッラーを称える言葉を述べると、それを聞きつけた多数の天使たちは、我先にそのことを書き留めようとして競い合うという。
アッラーは、クルアーン・預言者章において述べておられる。
「・・・一人として、たとえ、からしの実一粒程の(わずかの)重さであっても不当に扱われることはない。われは、それを(計算に)持ち出す。われは、清算者として万全である。」(21章 94節)
「誰でも善行に励み、信仰している者は、決して、その努力を無駄にされることはない。われは、彼らの為に、遺漏なく記録している。」(21章 47節)

信者たちよ。報いを得る素晴らしい善行として、アッラーの御赦しを乞い願うということがある。犯した過ちを消し去って頂き、善行だけにして頂くということである。預言者さまSAWは、次のように述べておられる。「行いの記録に関して、沢山の御赦しを求める機会があるとは、何と素晴らしいことか。」 更には、親切に務め、信仰行為に務め、時間通りの礼拝に務めてアッラーに従うことは、良い行いを増やし、悪い行いを取り除くのに役立つ善行ということとなる。アッラーは、クルアーン・フード章において述べておられる。
「礼拝は、昼間の両端において、また、夜の初めの時に、務めを守れ。誠に、善行は、悪行を消滅させる。これは(主を)念じる者に対する訓戒である。」(11章 114節)

さて、死後にも死者の役に立つような立派な行いというものがある。後の人に役立つような知識を残すこと、アッラーの道の為に後々まで役立つ施設などを残すことであり、それらは、死後にも報酬を生むことだろう。預言者さまSAWは、次のように述べておられる。「人が死ぬと次の三つのもの以外は、その者の善行は、新たな報酬を生まない。死後にも報酬を得る三つのものとは、後々まで役立つ寄贈物として残された施設など、後の人に役立つ残された知識、亡くなった親の為に祈願を続けてくれる子息である。」 これらのことを心に刻み、善行によって報酬を増やして頂けるように、過ちを御赦し頂けるように、右手で行いの記録のノートを受け取ることが出来るように、即ち、楽園へ入る知らせを受け取られるように、至高のアッラーに祈願しようではないか。アッラーよ、永遠の住まいが楽園であるように祈願します。

信者たちよ。アッラーよ、あなたさまに従い、人々の中で最も正直者であられる預言者さまSAWからの教えに従い、守るように命じられたことを、守る者であるように御導き下さい。
アッラーは、クルアーン・婦人章において述べておられる。
「お前たち信仰する者よ。アッラーに従いなさい。また、使徒とお前たちの中の権能をもつ者に従いなさい。・・・」(4章 59節)
聖典クルアーンと預言者さまSAWのスンナ、それらからの恵みを御与え下さい。皆の過ちを御赦し下さるように祈願します。アッラーは、最も御赦しになられる、最も気高い御方です。

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ、審判の日への備えが出る者であるように御力添え下さい。
アッラーよ、あなたさまに信頼を寄せ、祈願する善い信者の一人であるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。
アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。
アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

 

 

ムスリムがよく使う言葉

アッサラームアライクム

 

イスラム教徒は挨拶が祈りです。

こんにちはや御機嫌ようではなく

アッサラームアライクム

あなたに平安がありますように

目の前にいる人のために祈ります。

 

普段使っている言葉も祈りとなります。

 

よくムスリムが使うフレーズは全てアラビア語です。

 

世界中にイスラム教徒がいますが世界中がアラビア語クルアーンコーラン)を読み

アラビア語で祈るのです。

 

以下、よく使う言葉を取り上げてみました。

 

 

「ビスミッラー」

いつ言う?
何かをするとき
座るとき、食べるとき、飲むとき
開けるときなどに言う言葉

意味
神の御名において

 

「ラ、イラハ イラ[ア]ッラー」

いつ言う?
神の存在を感じたとき
何かあったとき(地震やアクシデントなど)

意味
アッラー以外に信仰するものはない

 

「インシャ アッラー

いつ言う?
何かを行うとき、未来のことを言うとき
(待ち合わせや約束など)

意味
神が起こすことであるならば
(神が成されることであるならば)

 

「アルハムッドリラー」

いつ言う?
良いことがあった
悪いことがあった、いつでも

意味
神に感謝

 

「ジャザークアッラーハイラン」

いつ言う?
誰かに感謝するとき

意味
アッラーがあなたに良きことを御与え下さるように

 

「ハスビー ヤ アッラー

いつ言う?
自分ではどうしようもないとき

意味
アッラー以外に解決は出来ない

 

「マーアッドアッラー

いつ言う?
何か悪いことに誘われたり
誘惑されたりしたとき

意味
私は神を恐れます。

 

「スバハナアッラー

いつ言う?
何かすごいことが起きたとき
綺麗なものを見たり、おお!というときに

意味
神は偉大なり!

 

 

「マー シャッ アッラー

いつ言う?
神の力を感じるような出来事

驚いたとき、美しいものを見たり何か驚くことがあったりしたとき

 

意味
神の御意志であること

 

「アスタッグフィルラー」

いつ言う?

何か間違いを犯したとき

礼拝のあとに100回言う

 

意味は

アッラーよお許し下さい

 

 

 

 

アッサラームアライクム

 

この記事をお読み下さったあなたに平安がありますようにお祈りします。

 

 

 

 

 

来世に備え現世を生きる

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2018年2月16日)
―― 来世に備え現世を生きなさい ――

あらゆる賞賛は、アッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには、共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

信者たちよ。困難に出会ったら、アッラーに御助けを求めなさい。アッラーは、人生というものを、運命が定まっているとはいうものの、変わり得るように創造なされた。賢明な人生とは、アッラーに従順であることにより自分を変え、アッラーの御悦びを求めるものである。そのする信者は、主への感謝の心を持ち、現世と来世の為の良いことを行い、アッラーに沢山の祈願をする。アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。 
「また、人々の中には(祈って)、『主よ、現世で私たちに幸いを賜り、また、来世でも幸いを賜り下さい。火の懲罰から、私たちをお守り下さい。』と言う者がある。」(2章 201節)

アッラーが御満足なされる者と言えば、感謝を忘れず、困難に出会ったら忍耐を続ける者である。また、そうした者は、困難に出会ったならば、アッラーを信じるが故に、その困難が取り払われるようにと祈願する。
アッラーは、クルアーン・物語章おいて述べておられる。
アッラーがお前に与えられたものの中に、来世の住まいを求めなさい。現世での自分の分を忘れてはならない。そして、アッラーがお前に善いものを与えられているように、お前も最善を尽くしなさい。・・・」(28章 77節)
人生は、ままならないものである。或る日は喜びに満ち、その翌日が同じであるとは限らない。
アッラーは、クルアーン・イムラーン家章において述べておられる。
「・・・われは、人間の間に(様々な運命の)こんな日を交互に授ける。・・・」(3章 140節)
ここでは、人生とは、安心と悲しみ、出会いと別れ、病気と健康、満足と不自由といったことが繰り返される日々の経過であることが述べられている。至高のアッラーは、クルアーン・胸を広げる章において述べておられる。 
「誠に、困難と共に、安楽はあり、」「誠に、困難と共に、安楽はある。」(94章 5--6節)
この現実に気付かずにいると、人は、現実に出会って、不安、落ち込み、苦痛を感じる。こうした現実に気付かない人は、困難に出会って悩み、起こったことや不幸を嘆き塞ぎこむ。こうした人は、信仰行為を行おうとしないだろう。それについて、預言者さまSAWは、とても心配なされる。預言者さまSAWは、「アッラーよ、労苦や苦悩から、無力や怠惰に陥らないように御護り下さい。」と祈願しておられた。悩みの大小にかかわらず、いかなる種類の怠惰、無力に起因するものであっても、至高のアッラーに御助け願おうではないか。アッラーは、この上なく御優しく、この上なく憐み深い御方なのであるから。

信者たちよ。いかなる種類のものであっても困難に出会ったら、アッラーを思い、アッラーを思い続けることである。困難から抜け出す為の他の手段はないのである。大きな不幸に直面したら、信仰行為に務め、教えに従い忍耐すしなさい。預言者さまSAWは、「自分が好まないことに忍耐するなら、自分にとって良いことがあると知りなさい。そこでは、困窮は解け、困難は弱まり、勝利が訪れる。」と述べられた。困難や悲しみに出会ったならアッラーを思い、困難や悲しみを素直に受け入れることをためらってはいけない。そうすれば、善行が増し、悪事が除かれ、アッラーの御目にとって位階が増すのである。預言者さまSAWは、「犯した悪事が償われることなしに、不快、困難、病気、精神的なものを含む困窮に襲われる信者はいない。」と述べておられる。アッラーは、困難を取り除き、救い出してあげるから祈りなさいとの呼び掛けを、クルアーン・蟻章において述べておられる。
「苦難の際に祈る時、誰がそれに答えて災難を除き、お前たちを地上の後継者とするのか。アッラーと共に(それが出来る他の)神があろうか。だが、お前たちは、少しも留意することがない。」(27章 62節)
第一に、アッラーを信じ、御赦しを願いなさい。そうすれば、困難に出遭った時に助けて下さる御方を見い出すだろう。アッラーは、慈悲の御心により人々の困難の原因を弱められる御方であられることを知っておきなさい。

信者たちよ。主が御悦びになられることを行いなさい。それは、現世が大事であると思うことではない。来世に目を向けなさい。預言者さまSAWは、「現世のことばかりを思う者について、アッラーは、その者を困惑させ、常に自分は足りていないとの不安を抱かせられる。現世でその者は、運命づけられた以外の何物をも与えられはしない。来世のことを思う者については、アッラーは、その者の為になるように物事を図り、失敗しても満足と思わせ、そして、生活に必要なものは、確実にその者のところに来る。」と述べておられる。一番幸せな者とは、来世を望み、現世では欲望を掻きたてるものを入手したいと望まない者である。そうした者は、現世で善行を積もうと心掛け、来世に備えようとする。アッラーは、クルアーン・夜の旅章において述べておられる。
「しかし、誰でも来世を望み、それに向かい精を出して努力し、信仰する者、これらの者の努力は報いられる。」(17章 19節)
アッラーが望まれることを理解し、それに思いを寄せる者は、アッラーを信じ、アッラーの教えを守って行動する。即ち、良いことを行い、悪いことを避ける。信仰する者たちは、自分のこと、家族のこと、学ぶこと、仕事のこと、話をすること、行うことについて、至高のアッラーが御望みであられることに合致しているかどうかに思いを寄せる。そうすることが、現世と来世において目的を達成する上で大事なことなのである。

信者たちよ。預言者さまSAWは、アッラーの御満悦を得られるようにと願い、人々にアッラーの教えを広めようと努め、現世と来世では何を優先し利益を得るかを熱心に説かれたのである。
アッラーは、クルアーン・悔悟章において述べておられる。
「今、使徒がお前たちの為に、お前たちの間からやって来た。彼は、お前たちの悩みごとに心を痛め、お前たちの為に、とても心配している。信者に対し優しく、また、情け深い。」(9章 128節)
預言者さまSAWは、憐みの気持ちの故に、イスラームを信仰しようとしない人を目にして悲しみに襲われた。
アッラーは、クルアーン・詩人たち章において述べておられる。
「彼らが信者になろうとしないが故に、あなた(預言者ムハムマド)はきっと、死ぬ程苦悩していることであろう。」(26章 3節)
この章節では、アッラーを信じようとしない者の悲運を思い、預言者さまSAWがどれほど悲しまれたかが述べられている。預言者さまSAWは、啓示を広めることを役目として引き受けられ、それを伝えきるまで生きられた。人々を育成し、公正を行き渡らせられ、団結の心を植え付け、尊重し合う心を植え付けられたということである。
預言者さまSAWについて、至高のアッラーは、クルアーン・預言者章において述べておられる。
「われは、ただ、万有への慈悲として、あなた(ムハムマド)を遣わしただけである。」(21章 107節)

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ、来世に備え現世を生きる者であるように御力添え下さい。
アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。
アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。
アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

預言者様(SAW)を愛するということ

アッサラームアライクム ワラハマトゥッラーヒ ワバラカートゥフ

イスラーム学びチームからのメールをコピーしました。

 


預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を愛すること(中級編)
イスラームでは、アッラーと預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を愛することは、信仰を深めるのに重要な要素となる。
皆さん,想像してみて下さい。自分の愛する人のためにどんな行動を取るでしょうか?
愛情があれば自分が好きなことより相手の好きなことを優先させるはず。
好きな人のために頑張ることが出来る。また、愛情があれば、傲慢さや自分がすごいと思ったり妬みなどの感情から無縁となり純粋に愛する人のために行動をとることでしょう。
自分の愛する人が預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)なら。。。
礼拝やイバーダに今より心を込めて行うことが苦なく出来る。「愛する」ことで心から喜んで行いをすることが出来るでしょう。
預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への愛情を増やすには?
1.ドアーをする
愛情は、アッラーから投げ込まれる感情でドアーすればアッラーから必ず与えられる。
2.預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を知る
預言者伝、シャマーイル、ハディース、サハーバ物語を読む
3.祝福祈願をする
ひたすらやり続ける1日300回。とくに金曜日は、祝福祈願をすると良いとされている。
4.スンナの実践
スンナを実践するとき預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のことを考えながら行う。
5.預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を愛している人と一緒にいる
もしみじかにいなければ、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を好きな人が書いた本を読む

日々ご自分が出来る範囲から意識的に預言者様(彼の上アッラーの祝福と平安あれ)を愛する気持ちを増やしていきましょう。
預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への愛情を与えて下さい。アーミーン


ワッサラームアライクム ワラハマトゥッラーヒ ワバラカートゥフ

★追記;イスラーム学びチームより1か月3回程度の割り合いで配信させていただいています。
今までの内容から等、皆様の感想や要望をお寄せいただけるなら幸いです。

送り先は、islamanavi@gmail.com

アッラーをあいするということは

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年11月24日)
―― 自分よりも誰よりも預言者さまSAWを愛するということ ――

あらゆる賞賛は、アッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

あらゆる感謝は、我々が助けを求め、御赦しを願う御方、アッラーへのもの。我々は、心にひそむ悪から、犯した悪事の報いから御加護下さるようにアッラーに御願する。アッラーが導かれた者が、道を踏み外させられることはなく、アッラーが誤った道に導かれた者が、正しい道を見つけることもないのである。
アッラーは、クルアーン・イムラーン家章において述べておられる。
「お前たち信仰する者よ、十分な畏敬の念でアッラーを畏れなさい。お前たちはムスリムでなくして死んではならない。」(3章 102節)

信者たちよ、至高のアッラーは、自分を愛することは、即ち、預言者さまSAWを愛することであると、クルアーン・イムラーン家章において述べておられる。
「言ってやるがいい。『あなたがたがもし、アッラーを愛するならば、自分(使徒ムハムマド)に従いなさい。そうすれば、アッラーもあなたがたを愛され、あなたがたの罪を赦される。アッラーは、寛大で慈悲深くあられる。」(3章 31節)
我々のお手本であるムハムマドSAWは、次のように述べておられる。「あなたがたの誰でも、自分の父親、子供、その他の誰か以上に私を愛するまでは信仰心篤いとは言えない。」 こう語ることで預言者信者さまSAWは、自分への愛は、そのことがアッラーへの心からの崇拝の証であると述べておられるのである。アッラーの御使いSAWを愛することについてのハディースがある。「ウマール・ビン・ハッタブ師が預言者さまSAWに、『御使いよ、自分自身を除いて誰よりもあなたさまを大事に思っています。』と言ったところ、『私の命を握っておられる御方に誓って、自分自身よりも私を大事に思うようになるまでは、あなたの信仰が十分であるとは言えません。』との答えがあった。それで、ウマール師は、『今、私は、アッラーに誓って、私にとってあなたさまは、自分自身よりも大事です。』と言った。預言者さまSAWは、『ウマールよ、良かった。(敬虔な者の仲間となった。)』と言われた。」 

信者たちよ、こうして、預言者さまSAWへの敬愛と尊敬の念は、教友たちの心に確実に根付き、預言者さまSAWに相対する心構えとして、しっかりと反映されるものとなった。教友たちの善良さと、深い敬愛の念の持続というものが、預言者さまSAWを如何に愛するかという最良の手本となったのである。次のことが伝わっている。或る男が預言者さまSAWの許にやって来て、『アッラーの御使いよ、私は、自分自身、家族、子供よりもあなたを愛しています。家にいる時にあなたを思い、おそばに来てお会いするのを待っているのが辛くなることがあります。自分の死とあなたの死について考えると、あなたが天国に入るのは預言者であるが故と承知しています。それで、私が天国であなたのお会いできるのかどうか心配になります』と言った。預言者さまSAWは、啓示が下るまで、それに答えることはなかった。それに係わる啓示とはいかなるものなのか。アッラーは、クルアーン・婦人章において述べておられる。
アッラーと使徒に従う者は、アッラーが恩恵を施された預言者たち、誠実な者たち、殉教者たちと正義の人々の仲間となる。これらは、何と立派な仲間たちであることよ。」(4章 69節)
アリー・ビン・アブー・ターリブ師は、預言者さまSAWを愛することについて問われ、次のように答えた。「アッラーに誓って、預言者さまSAWは、自分の財産、子供、両親、喉の渇きをいやす一杯の冷たい水よりも私にとって大事です。」 また、ザイド・ビン・ダシナ師がイスラーム宣教に反対するクライシュ族の一団に捕まった時の事が語られている。「ムハムマドがここで首を落し、お前が仲間と共に生きていることを望みはしないのか。」と聞かれ、「自分が家族と共に生きているよりは、預言者さまSAWが苦しまれることがないことを望む。喩え、とげが刺さった程度であっても預言者さまSAWが苦しまれるなど自分には我慢がならないことだ。」と答えたという。預言者さまSAWを愛する気持ちについて言えば、サイド師のそれは、教友たちの中でも最も強いものなのである。

信者たちよ、預言者さまSAWが、いよいよマディナへ移住すべき時期が来た。預言者さまSAWは、アッラーがマディナへ旅立つように命じられたことを、アブー・バクル師(平安を)に伝えるのである。このことについて、アイシャさま(平安を)は、語っている。「或る昼間、家で座っていると、誰それが、父アブー・バクルに、『ここにいる方は、預言者さまです。』と言った。その方は、頭から顔までかぶり物で覆っていたのだが、この時間に被り物をしてこの家を訪ねたことなどなかったのであった。父アブー・バクルは、『急ぎの用事があってここに来たれたに違いない。私の両親を犠牲にしてでもお力添えしましょう。』と言った。預言者さまSAWは、家の中に招き入れられたが、家に入るやアブー・バクル師に、『人払いをお願いします。』と言った。それを聞いて父アブー・バクルは、『知らぬ人たちではなく、皆あなたの兄弟たちばかりです。御使いよ、父を犠牲にもしましょう。何なりと言いつけて下さい。』と言った。預言者さまSAWが、『マッカを離れるようにと、アッラーからの命令がありました。』と言うと、アブー・バクル師は、『父を犠牲にしてでも、私がお供することとしましょう。』と言った。アイシャ(平安を)は、父アブー・バクルがその時、喜びで涙を流す程に幸せそうだったことを思い出し、父アブー・バクルのその姿を見るまでは、喜びの余りそれ程までに涙を流す人を見たことはなかったと語っている。」

信者たちよ、アッラーを愛することは、天国に導かれ、預言者さまSAWと教友たちと天国で一緒になる特権を得る為の備えである。アナス・ビン・マリク師は述べている。「預言者さまSAWにある男が、『最後の時とはいつの事ですか。』と言うので、預言者さまSAWは、『最後の時の為に、あなたはどんな備えをしていますか。』と尋ねた。『備えと言えば、アッラーと預言者さまSAWを愛することです。』と男が言い、『あなたが愛する者と共にいられるでしょう。』と答えられた。」 アナス師は述べている。「イスラームを受け入れた後、アッラーの御使いSAWの言葉以上に、我々を喜ばせるものは何もありはしない。」 更に、アナス師は、「私は、アッラー、そして、アッラーの御使いSAW、アブー・バクル師、ウマール師を愛します。自分はこれらの人々のように振舞わないにしても、彼らと共にありたいものだ。」と述べている。預言者さまSAWへの愛の証として、教友の一人が述べている。「預言者さまSAWがマディナに到着された日、周囲のあらゆるものが輝いた。預言者さまSAWの葬儀の後、すぐには手についた土を払わなかった。やがて、我々の気持ちに変化が起こるのを感じた。」

何かに従うならば、アッラーに従い、アッラーの御使いSAWのスンナをお手本に行動しなさい。御使いSAWの高潔さを思い、その方の行いに従いなさい。それは誠に、現世と来世で成功を見出す為の道である。そして、信仰深い心と御使いSAWの教えから離れるではない。預言者さまSAWへの祝福を願い、その方から教わったものを基にして、愛情深く子供を育てなさい。至高のアッラーは、クルアーン・高壁章において述べておられる。
「・・・それで、使徒を信じる者は、使徒を尊敬し、使徒を助け、使徒と共に下された御光に従う。これらの人々こそは、成功する者たちである。」(7章 157節)
                          
預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

アッラーよ、自分よりも誰よりも預言者さまSAWを愛する者であるうように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。
アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。
アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。
アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

健康という大切なもの

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年11月3日)

―― 健康という大切なもの ――


あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ。我々は何に従うのか。アッラーが我々に命じておられることに従いなさい。アッラーが我々に命じておられる事に従い生き方を決めなさい。アッラーは、クルアーン・部族連合章において述べておられる。

「信仰する者よ、アッラーを畏れなさい。実直な言葉でものを言いなさい。」「お前たちの為に行いを矯正され、諸々の罪を赦される。アッラーとその使徒に従う者は、偉大な成功を勝ち取る者である。(33章
70--71節)

 

信者たちよ。アッラーの恩恵は、我々のどんな期待をも超えた限りのないものである。

アッラーは、クルアーン・蜜蜂章において述べておられる。

「お前たちは、喩えアッラーの恩恵を数え上げても、到底数え尽くすことは出来得ない。誠、アッラーは、寛容にして慈悲深くあられる。」(16章 18節)

アッラーからの恩恵の一つには、創造物が安泰であるように図られていることがある。人についての安泰とは、心と体が健全で家族が安心安全な状況にあることである。それは、人が多くの恩恵を授かっている結果であり、現世で幸福であると感じる要素の一つである。ここれについて、預言者さまSAWは、「誰もが生活していて安心で、健康で、日々の食糧が足りているならば、それはまるで全世界が自分の所有に帰するようなものである。」と述べておられる。そして、人は審判の日に問われる事柄の一つは健康であり、それについて預言者さまSAWは、「しもべが受けた恩恵として、審判の日に人々が問われる一つ、それは健康のことである。『健全で健康な体や、冷たい水で渇きをいやすことなどを、われは授けやしなかったか。』と問われるのである。」と述べておられる。

 

信者たちよ。幸福は、アッラーの恩恵のたまものである。恩恵が継続するようにと、預言者さまSAWは、日々至高のアッラーに祈られた。イブン・ウマル師(平安を)によれば、預言者さまは、朝に夕に、「アッラーよ。私は、あなたさまの御赦しと、現世と来世での幸福を祈願します。私は、信仰について、俗世の雑事について、家族について、財産についてあなたさまの御赦しを求めます。アッラーよ。自分の弱さと、心の動揺を隠しておいて下さい。」と祈願の言葉を述べられたという。その祈願の言葉を述べるようにと教友たちに教えられたという。また、サラート(礼拝)に先立って、預言者さまSAWは、新たに入信したムスリムたちに対しては、次のドゥア(祈願の言葉)を教えられた。「アッラーよ。お許しください。私に恵みを与えて下さい。御導き下さい。健康と日々の糧を御与え下さい。」
そして、預言者さまSAWの、就寝前の祈願の言葉は次の通りである。「アッラーよ、確かに、あなたさまは私を創造なされ、加護なされます。あなたさまは生と死を握っておられ、生かすならば御加護下さい。死を与えられるなら、御赦しを御与え下さい。アッラーよ、私は心から健康であることを祈願します。」

また、預言者さまSAWは、次のように教えておられる。「五つの事柄がやって来る前に、五つの事柄を生かしなさい。その五つのこととは、老齢になる前の若さ、病気になる前の健康、貧困になる前の富裕、多忙になる前の時間の自由、死の前にある生きているということである。」

 

信者たちよ。健康という恩恵を保持する為に、イスラームでは、病気を防ぐ手立てを教えている。清潔を保つことについての教えであり、入浴、沐浴、歯磨き、口すすぎ、汚れないように注意を払うこと等々である。それは、健康保持の為の基礎的なことである。健康は、元気でいる者の頭上を飾る冠のようなものであるが、元気な者は気付かない。その一方で、病気の者だけが健康の有難さを知り欲しいと思うのである。常に与え続けて下される御方アッラーに対して、健康という恩恵を下さっていることに感謝しようではないか。そして、健康保持に励もうではないか。我々は、この価値ある恩恵を授かっていることを喜ぶと同時に、健康に無頓着な人々に目を向ける必要がある。アナス・ビン・マリック師(平安を)が伝えている。「病弱な人に対して預言者さまSAWは、『健康であるようにとアッラーに祈ったことがありますか。』と声を掛けられた。」
健康であることは、全ての信者が求める事柄である。万が一、病気に罹ったなら、我々のお手本、預言者さまSAWが教えられるように治癒を希求すべきものである。預言者さまSAWは述べておられる。「医学的な治療を受けなさい。アッラーは、いわゆる老齢という病を例外として、治療法を御用意することなく病気に罹らせることは無いのであるから。」
病気で難儀している人は誰でも、先ずは忍耐し、アッラーが運命づけられたことに満足し、素直に受け入れるべきである。そして、至高のアッラーに病気が治るように懇願すべきであり、自分に降りかかった災難が、自分が犯した悪事の消滅や、善行の受け入れに係わる、何等かの試練であると信じることである。これについて、預言者さまSAWは、次のように述べておられる。「ムスリムに及ぼされる災難、病気、けがや痛み、その痛みが喩えとげが刺さった程度のものであるにしても、それによりアッラーは、その者の善行の一つとして記録なされ、また、犯した悪事の一つを記録から消して下される。」

 

世界の主であられるアッラーよ、我々はあなたさまに御赦しを願い、自分と家族が安泰であるようにと祈願します。あなたさまに従う者であるように運命付けられていることを受け入れ、祈願します。

アッラーは、クルアーン・婦人章において述べておられる。

「お前たち信仰する者よ、アッラーに従いなさい。また、使徒とお前たちの中の権能を持つ者に従いなさい。・・・」(4章 59節)

安泰と健康に恵まれた者は、成功することを知ろうではないか。アナス・ビン・マリック師(平安を)は伝えている。「或る男が預言者さまSAWの許にやって来て、『アッラーの御使いよ、いずれの祈願が最良でしょうか。』と尋ねたので、「主に、御赦しを請い、現世と来世での安泰を願うことです。」と答えられた。翌日またやって来て、同じ質問をしたので、同じに答えられた。三日目にまたやって来て、同じ質問をしたのに対して、『あなたが現世で御赦しが与えられ、そしてまた、あなたが来世でも与えられるなら、誠に、あなたは成功を得ることとなる。』と答えられた。」

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、心と体が健全であるように祈願します。健康でいられるように御加護下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

神に忘れられる者

アッサラーム アライクム 兄弟姉妹の皆様
東京ジャーミイ金曜日のホトバより転載


2017年10月13日

アッラーを忘れる者はアッラーに忘れられる」

尊敬すべき兄弟、姉妹の皆様!

私たちの預言者(彼の上に祝福と平安あれ)が、ご自身のいとこアブドゥッラーと旅に出ておられた時のことです。その旅の途中で、彼はこう述べられました。「愛するわが子よ、あなたに忠告しておこう。この忠告を、決して忘れてはならない。」それから、彼はこの年若い教友に、主との絆(きずな)を決して断ち切ってはならないということを伝えたのです。「アッラーを思いなさい、そうすればかれはあなたをお守りくださるだろう。アッラーを思いなさい、そうすればあなたは目の前にアッラーを見出すだろう。何かを願うときは、アッラーに願いなさい。助けを求めるときは、アッラーに求めなさい。すべての被造物が一

緒に集まり、あなたに良いことをもたらそうとしても、アッラーが記したもの以外は、何ひとつ得られないだろうことを知りなさい。また、それらがあなたに害をもたらそうとしても、アッラーが記したもの以外は、何ひとつあなたを害せないだろうことを知りなさい。」

尊敬すべき信仰者の皆様!

私たちはみな、人間であります。時には忙しさにかまけて、隣人や家族、友人のことを忘れてしまいます。時には親戚や兄弟、親を失った孤児たちや、困窮(こんきゅう)している人たちのことを忘れてしまうこともあります。時には自分自身のことや、私たちの社会、そして私たちの責任について忘れてしまうこともあります。ですがそれらのすべてよりも、人間として最も悪しきこととは、自らが創造された目的と理由を忘れてしまうことであります。本当の敗北とは、自らの主を忘れて人生を送ることであります。アッラーに仕えるという自らの誓い、自らの契約を軽んじる(かろんじる)ということであります。それは、現世は永遠には続かないということを忘れ、清算と審判、来世を無視するということであります。ですから私たちの主は、そうした主を忘れる者とならないよう、私たちにこう警告しておられます。「ワ ラー タクーヌー カッラズィーナ ナスルッラーハ ファアンサフム アンフサフム」、すなわち「あなたがたは、アッラーを忘れた者のようであってはならない。」また、「ウラーイカ フム ル ファースィクーン」、すなわち「かれは、かれら自身の魂を忘れさせたのである。」

尊敬すべき兄弟、姉妹の皆様!

私たちの主は、クルアーンを授け、私たちに義務と責任を教えたまいました。それは私たちに、忘れてはならないことを思い出させる書物であります。それはランプのともしびであり、私たちの道を照らす導きであります。この書物をしっかりと抱え(かかえ)、私たちの心と意識、私たちの人生を、この書物に明け渡しましょう。

私たちの主は、「本当にあなたは一人の訓戒者(くんかいしゃ)に外(ほか)ならない」と告げ、信仰者に対して真実の道を示し、主について思い起こさせるよう、最も美しい人格を持つ預言者を遣わし(つかわし)たまいました。彼のスンナに沿って人生を歩みましょう。彼の模範から逸れる(それる)ことなく、慈悲のメッセージによって、私たちの人生に祝福をもたらしましょう。

私たちの礼拝、犠牲、喜捨(きしゃ)、断食といった崇拝の行為が定められているのも、常に私たちが、主を忘れないようにするためであります。私たちは崇拝の行為を通じてより主に近づき、それにより主の御目(おんめ)により誉れ高い(ほまれたかい)者として映るようになるのだということを、忘れないようにしましょう。

親愛なる兄弟、姉妹の皆様!

アッラーを忘れて自らの人生を送る人は、現世においても来世においてもアッラーから忘れられてしまう人となります。現世においてアッラーへの感謝を忘れた人は、大いなる(審判の)日、アッラーの慈悲を取り上げられることでしょう。アッラーの慈悲の他には避難する場所もない復活の日、現世の虜(とりこ)となっていた人々は、次の言葉を耳にすることとなるでしょう。

「今日われは、あなたがたを忘れるであろう。あなたがたが、この日の対面を忘れたように。あなたがたの住まいは業火(ごうか)である。あなたがたには、(もはや)助ける者はないのである。」

兄弟、姉妹の皆様!

この束の間(つかのま)の人生を、アッラーのご意志に従って生きることが私たちの義務であるということを忘れないようにしましょう。その大いなる(審判の)日のために備えることが、私たちの存在の目的であるということを心に留めておくようにしましょう。礼拝をおろそかにすることのないようにしましょう。礼拝とは、主のみ恵み(めぐみ)に対する感謝の表れだからです。アッラーは、絶えず私たちをご覧になっておられ、私たちのあらゆる行い(おこない)を知り、私たちが口にするあらゆる言葉を聞いておられるのだということを、常に意識して過ごしましょう。