私はムスリムです

私は日本人改宗ムスリムです。イスラームについて学んだことをシェアしているブログです。

アッラーを思うこと

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年9月1日)

―― アッラーを思うこと ――

 

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ、アッラーを畏れなさい。アッラーの教えと御命令が一番大事なものである。それ故、アッラーが禁じられることから身を遠ざけなさい。アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「お前たちは、聖なる儀式(巡礼)を果たしたならばアッラーを念じなさい。自分たちの先祖を念じる様に。いや、それよりも深く心を込めて念じなさい。人々の中には、『主よ、現世で私たちに幸せを賜りますように。』と言う者たちがあるが、彼らは、来世における分け前を得られないであろう。」「また、人々の中には、『現世で私たちに幸せを下さって、更に、来世でも幸せを下さいますように。業火の懲罰から、私たちを守って下さい。』と言う者がある。」「これらの者たちには、その行ったことに対して分け前があるだろう。誠、アッラーは、精算に素早くあられる。」(2章 200—202節)

いずれの民族も誇りとする何かを持ち合わせている。その誇りとするものとは、自分たちの狭い考えや奇跡などと称する出来事に由来するものに過ぎない。そこには、確かな神意とか、正しい教えといったものは存在せず、地上や天上からの啓示といったものに従うものでも無い。一方で、アッラーは、イスラームの信者たちの為に恩恵を全うし、イスラームを宗教として完全なものとし、信者の守護者であられ、そして、イスラームをあらゆる宗教を越えた保障のあるものとして位置づけられた。アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「われを念じなさい。そうすれば、われもお前方について考慮するであろう。われに感謝し、恩を忘れてはならない。」(2章 152節)

 

起きて、寝て、座り、立ち、朝出掛け、夕方戻るあらゆる時に、アッラーに思いを寄せるムスリムたちは、心臓が鼓動し、目が動き、手足が動くといった事について、それらの全てがアッラーの御望みと支配によるものであると知り、感動を覚える。夜が来て、昼間を迎え、夜明けの瞬間や薄明かりがあり、そして、創造物の動きや星々の軌道に従った動きといった現象があるが、アッラーに思いを寄せるムスリムたちは、そうした現象の中に、イスラームが内に秘めている奥深さを感じ取る。なぜなら、そうした全てが、アッラーの御力と御配慮によるものであると分かっているからである。アッラーは、クルアーン・イムラーン家章において述べておられる。

「立ち、または座り、または、横たわってアッラーを唱念し、天と地の創造について考える者は言う。『主よ、あなたさまは、いたずらにこれを御創りになられたのではないのです。あなたさまの栄光を讃えます。火の懲罰から私たちを御救い下さい。』」(3章 191節)

 

アッラーを愛し、アッラーに愛され、アッラーの故に愛をおぼえる者を除けば、誰も人生における本当の喜びも、本当の幸福も感じ取れないのである。アッラーを愛し、アッラーに愛され、アッラーの故に愛をおぼえる者は、アッラーを思うが故に心穏やかである。彼らは創造物に起こる良いことに幸せを感じ、そして、他の人の痛みを感じ取り、人々が人間としての最終の希望を叶えられるようにと、援助の手を差し延べる。そして彼らは、アッラーを思い、「アッラーよ、あなたさまが与えて下されないなら、私にも、あなたさまが創造された他の何ものにも恵は存在しません。あなたさまは唯一であり、協同者は居られず、あなたさまは、称賛と感謝に値する唯一の御方であられます。」と述べる。彼ら敬虔な者たちは、一時のものに過ぎない現世で起こる物事の中に潜んでいるまやかしや、楽しいものに見えてしまう俗事から自分を遠ざける。彼ら敬虔な者たちは、アッラーの御悦びが得られる道を進み、アッラーにお会いできることを強く望み、あらゆる時と状況にあってアッラーの御名を忘れず思い続ける。アッラーは、クルアーン・家畜章において、預言者ムハムマドSAWが語る言葉を述べておられる。

「言ってやるがいい。『私の礼拝と奉仕、私の生と死は、万有の主アッラーの為であります。』」「『アッラーには同位者はありません。この様に命じられた私は、ムスリムの先駆けであります。』」(6章 162--163節)

 

信者たちよ、主が天使を前にして、人々を誇らしく思われるということがあるという。「教友たちがマスジドで座り円陣を作っていた。そこに御使いさまSAWが来られた。『座って何をしているのか。』とお尋ねになった。それに対し、『私たちはアッラーに祈願し、アッラーを讃えるために座っているのです。なぜならアッラーは、私たちをイスラームの道に導き、私たちに加護を与えて下さったからです。』と答えました。この時、御使さまSAWは、『アッラーにかけて、なんとあなたたちはそれだけのために座っているのですか。』と言われたので、彼らが、『アッラーに誓って!私たちが座っているのはその目的のためだけです。』と答えると、『私は、あなたたちに異議があって、誓いを求めているわけではありません。ただ、天使ジブリールが私の処に来て、アッラーは、天使たちにあなたたちの素晴らしさについて語っておられると、私に知らせて下さったからです。』と言われた。」 至高のアッラーを思うこと、アッラーへの懇願、アッラーへの良い行い、信仰行為が、アッラーにとっての誇りなのである。良い信者たちは、アッラーを思い、純真無垢な心を持ち、アッラー服従し、その一方で、短気にならず、卑屈でもなく高慢でもなく、謙遜であって、そして労働の場では誇りを持って足を泥にまみれにし、手は骨折りに耐え、労苦に立ち向かう。そうした、敬虔なムスリムたちは、次のように言うのである。それは、御使さまSAWが何時も唱えられた言葉である。「アッラーよ、私が無気力、怠惰、臆病、けちん坊、認知症などの状態にならぬよう、また、生と死に関わる試練から、墓での災いを受けぬようお守り下さい。」


ムスリムの望ましい一日は、まだ暗い早朝に、平穏な足取りでマスジドへ向かうことから始まる。敬虔なムスリムは、強い信仰心の故に、主への畏れをもって、主が眼前におられるとの思いにより、日に5回、礼拝に立つ。アッラーは、クルアーン・ター・ハー章及び蜘蛛章において述べておられる。

「…だから、われに仕え、われを心に抱いて礼拝の務めを守れ。」(20章 14節)

「あなたに啓示された啓典を読誦し、礼拝の務めを守れ。誠、礼拝は、醜い行いと悪事から遠ざける。そして最も大事なことは、アッラーを唱念することである。…」(29章 45節)

敬虔なムスリムは、家からマスジドへ向かう時に言うであろう。それは、御使さまSAWが唱えられていたドゥアーである。「おおアッラー、私の心に光を、私の視覚に光を、私の聴覚に光を、私の右に光を、私の左に光を、私の上に光を、私の前に光を、私の後に光を御置き下さい。そして、私の為に光を強くして下さい。」 そして、マスジドに近付いた時には誰でも御使さまSAWが述べられた、次のドゥアーを唱えるがよかろう。「おおアッラー、私の為に、あなたさまの御慈悲の扉を御開き下さい。」 そして、マスジドから出る時は、「おおアッラー、私は、あなたさまの御仁慈を請い願います。」

 

信者たちよ、イスラームの長い一日の中には、飲食に関わる、家を出る時と戻る時の、寝る時と目覚める時との、困難な時の、健康と病気に関わる祈願がある。そして、生活、困難、借金と支払い、生きる糧、家族関係、子供たちの育成に関わる種々の祈願がある。アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「…現世で幸せを、また、来世でも幸せを下さいますように。業火の懲罰から守って下さい。」(2章 201節)

また、アッラーに悪魔の囁きから御守り頂きなさい。アッラーは、クルアーン雷電章において述べておられる。

「これらの信仰した者たちは、アッラーを唱念し、心のやすらぎを得る。アッラーを唱念することにより、心のやすらぎが得られないはずがないのである。」「信仰して、善行に励む者にとっては、至福が彼らのものであり、善美な所が帰り所である。」(13章 28--29節)

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、何時でも、あなたさまに思いを寄せる信仰心篤い者であるように御力添え下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

 

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ズルヒッシャ月最初10日間の徳

アッサラームアライクム ワラフマトゥッラーヒ ワバラカートフ
                      
預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。
≪巡礼月の最初の10日間に行われる崇拝行為は、他のいかなるものにも勝ります。≫ アル・ブハーリーの伝承
    
≪これらの10日よりも、アッラーのもとでより偉大な日々はなく、そこでの行いがアッラーにより好ましい日々もありません。ですから、それらの日々には、タハリールとタクビールとタハミード※をたくさんしなさい。≫アフマド他 
 
※タハリール:「ラーイラーハイッラッラー」(日本語訳:アッラー以外に神はなし)と唱えること
タクビール:「アッラーフアクバル」(日本語訳:アッラーは偉大なり)と唱えること
タハミード:「アルハムドゥリッラー」(日本語訳:アッラーにすべての称賛あれ)と唱えること
_________________________
ズ・ル=ヒッジャ月(巡礼月)最初の10日間:8月23日~9月1日
アラファの日(巡礼月9日目):8月31日(木)
イード・ル=アドハー(犠牲祭・巡礼月10日目):9月1日(金)
巡礼月11日目~13日目アイヤームッタシュリーク(断食禁止):9月2,3,4日
_________________________

アラファの日(巡礼月9日目)のスンナの断食について、預言者ムハンマド様(彼に平安と祝福がありますように)は言われました。
≪前の一年と、残りの一年(前後2年間)の罪を許されます。≫ ムスリム伝承

 

 

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アラファ日の断食

アッサラームアライク ワラハマトゥッラーヒ ワバラカートゥフ

イスラーム学びチームからのメールより転載

 

 

 

今年は8/23(水)からズル・ヒッジャ月に入りました、アルハムドゥリッラー。
ズル・ヒッジャ月とはハッジ(巡礼)を行なう月のことで、ズル・ヒッジャ月の初日
から10日までは、非常に大事な日々と言われています。

(ハディース)『これらの10日よりも、アッラーの元でより偉大な日々はなく、そこ
での行ないがアッラーにより好ましい日々はありません。ですから、それらの日々
には、タハリール(ラー イラーハ イッラッラー)、タクビール(アッラーフ
アクバル)、タハミード(アルハムドゥリッラー)をたくさんしなさい。』

(ハディース)『これらの日々―つまり(ズル・ヒッジャの)10日間―よりも、そこで
の善行がアッラーにとって好ましい日々はありません。』 彼らは言いました。
アッラーの御遣い様、アッラーの道におけるジハードも(より好ましくない)ですか
?」 彼(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)はおっしゃいました。『アッラーの道
におけるジハードもです、ただ自分の命と財産を携えて出陣し、そのどちらも持って
帰ってこなかった者以外は。』

ズル・ヒッジャ9日目(今年は8/31(木))はアラファの日と言われ、ハッジに行かない
者は断食するのが推奨されています。この日は最も良い昼間とされ、『アラファの日
の断食は、前年と残りの年の赦しとなります。』(ハディース)

また、この日のドゥアー(ラー イラーハ イッラッラーフ ワハダフ ラー シャリーカ
ラフ、ラフルムルク ワ ラフルハムドゥ ワ フワ アラー クッリ シャイイン カディール
:誰も並べて配されるもののない、唯一のアッラー以外に神はない。かれにのみ大権
は属し、かれにのみ称賛はある。かれは全てのことがお出来になる。)をたくさん
しましょう。

ズル・ヒッジャ月の初日から8日までも、『日々の行ないで、この日々の行ないほど
素晴らしいものはありません』(ハディース)ので、今からでも善行(心からの悔悟、
義務、スンナ、断食、サダカ、ズィクルほか)をたくさんしましょう。

9日目の夜(マグリブ後)は、イードゥルアドハー(犠牲祭)の前夜ですが、できる崇拝
行為をたくさんして過ごすのが良いです。

なお、9日目のファジュルから13日目のアスルまで、(義務)の礼拝の後に、タクビール
アッラーフ アクバル、アッラーフ アクバル、(アッラーフ アクバル)、ラー イラーハ
イッラッラー、(ワ)アッラーフ アクバル、アッラーフ アクバル、ワ リッラーヒルハムドゥ)
を言うのがスンナです。

イードゥルアドハ―の日は、グスルをして、礼拝に行く前には、何も口にせず出かける
のがスンナです。

良きイードを迎えられるますように。


ワッサラームアライクム ワラハマトゥッラーヒ ワバラカートゥフ

―― ズルヒッジャ月の最初の十日間を大切に

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年8月25日)

―― ズルヒッジャ月の最初の十日間を大切に ――

 

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ。アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「・・・旅の準備をしなさい。だが、最も優れた準備とは、篤い信仰の心である。お前たち、思慮ある者よ、われを畏れなさい。」(2章 197節)

ハッジの条件が整った者は、旅の準備をしなさいとアッラーは言っておられる。そして、ハッジに旅立つ者も、旅立たない者も、思慮ある者は、篤い信仰心をもって、いつでも準備をしていなさいということである。

 

信者たちよ。我々信仰する者たちは、神聖な日を迎えた。それは、ズルヒッジャ月の最初の十日間であり、昼に限らず夜に限らずその十日間は神聖である。至高のアッラーは、その十日間がいかに大事であるかを示す為に、その十日間によって誓いを立てておられる。アッラーは、クルアーン・暁章において述べておられる。

「暁において、」「10夜において、」「偶数と奇数において、」「去り行く夜において(誓う)。」「本当にこの中には、分別ある者への誓いがあるではないか。」(89章 1--5節)

この十日間は、聖月の中にあり、また、神聖な日であるアラファートの日がその十日間の中に含まれている。それ故、アッラーは、その十日間によって誓いを立てられたのてある。その十日間に行うのが良いと推奨される最良の信仰行為とは、礼拝、断食斎戒、ハッジ、貧しい者への施し、犠牲を捧げること、アッラーを讃える言葉を唱えることである。アッラーは、クルアーン・巡礼章において述べておられる。

「それは自らの(現世と来世の)御利益に参加し、また定められた日の間、・・・」(22章 28節)

この十日間には、良い信仰行為に対して、アッラーは、報酬を倍加して下される。預言者ムハムマドSAWは、「ズルヒッジャ月の最初の十日間に行う善行よりも優る善行というものはない。」と述べておられる。ハッジは、まさに、この十日間の中のアラファートの日を挟んで行うものであるが、ハッジを行う信者たちをアッラーの館(カアバ)で信仰行為を続けたいと願わせるほどのものがある。ところで、全ての信者たちがハッジを行うことが出来る訳ではなく、アッラーは、ハッジに行かない信者たちの為に、その十日間を信仰行為を大いに行うべき時期として位置付けられた。ハッジに行かない信者たちは、その十日間に善行を積むがよいということである。

 

信者たちよ。ズルヒッジャ月の最初の十日間は、アッラーの御赦しを得、ハッジに行くのと同等の報酬を得る絶好の機会である。ハッジを行う最終目標は、ハッジを行い戻ることであらゆる悪事を赦されているということである。預言者さまSAWは、述べておられる。「アッラーの御悦びを願って巡礼(ハッジ)を行い、その間に大きな過ちを犯してなければ、それまでに犯した悪事を赦される。」 そうした素晴らしい報酬を得る機会は、ハッジを行わない信者にもある。その機会は、その十日間の中にあるのである。時間通りに心を込めて礼拝に励む信者は、アッラーの御意志によって、ハッジを行ったと同じだけの報酬を得る。アッラーにとって最も悦ばしい行いとは、御側に寄り添おうとすることであり、アッラーは、信者たちにそう命じておられるではないか。また、その十日間の間、信仰行為に励み努めることである。預言者さまSAWは、述べておられる。「(ズルヒッジャ月の最初の十日間の間に、)家で礼拝の為の浄めを行い、定めの礼拝を集団で行う為に出かける信者については、その報酬は、イフラームの状態になりハッジに出掛ける信者のものと同等である。」 ファジュルの礼拝を前に、2ラカアの礼拝を行う事は、あらゆるものに優る。預言者さまSAWは、述べておられる。「黎明の前の2ラカアの任意の礼拝は、何ものにも優る。」 黎明の前の2ラカアの任意の礼拝を終えてから、集団の礼拝の為にマスジドへ出掛けるのは、とても良い行為である。また、イマームが述べる祈願に合わせて、アーミーン(御受入れ下さい)と唱えるのは、良い作法である。

 

信者たちよ。更には、各礼拝の後に、33回アッラーを称揚し、33回アッラーを称讃し、33回アッラーが偉大であられることを唱え、それらの合計99回に加えて、「アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。あらゆる主権は、アッラーのもの。あらゆる称讃は、アッラーのもの。アッラーは、全能の神であられる。」を唱えることで、合計100回、真実を唱えなさい。そうすれば、海に浮かぶ泡程に沢山の悪事であっても赦されるだろう。また、多くの報酬を期待できる信仰行為には、有意義な知識を得ようとして、マスジドでの学習に参加するというものがある。預言者さまSAWは、述べておられる。「マスジドへ、教えたり、学んだりする為に出かける信者は、ハッジを成し遂げた巡礼者が得ると同等の報酬を得るだろう。」 誠に、そうした良い行いについては、ズルヒッジャ月の最初の十日間にアッラーの御悦びを願い行うならば、報酬が倍加される。

 

信者たちよ。ズルヒッジャ月の最初の十日間にアッラーに御近づきになるその他の行いと言えば、アッラーの思し召し、即ち、与えて下されることに感謝することである。至高のアッラーへの感謝の表明は、悪事を消し去るもう一つの行いである。預言者さまSAWは、「何かを口にして、『自分には何も無いのに、この食べ物を与えて下されるアッラーを賛美します。』と唱える者、衣類を纏いながら、『自分には何も無いのに、この着物を与えて下されるアッラーを賛美します。』と唱える者は、過去と未来の過ちを赦される。」と述べておられる。

 

信者たちよ。最も大事なこととは、至高のアッラーの教えを受け入れ、御命令に従うことである。そして、預言者さまSAWは、ズルヒッジャ月の最初の十日間には夜も昼も、アッラーの御満足を得る為の良い行いに励みなさいと教えておられる。アッラーは、ズルヒッジャ月の最初の十日間に誓って、その十日間が素晴らしい日々であると言っておられる。それ故、我々信者は、そのことを重く受け止めて、出来る限りの善行を積まねばならない。例えば、アッラーを思い、クルアーンの読誦に努め、更に、三つの称讃と祈願の言葉、即ち、タハリール、タクビール、タフミドを唱えることである。預言者さまSAWは、「ズルヒッジャ月の最初の十日間以上に大事な日は、アッラーにとってはないものであり、また、その日に行われる善行以上にアッラーにとって好ましいものもない。それ故、タハリール(ラーイラーハイッラッラー・アッラーの他に神は存在しない。)、タクビール (アッラーフアクバル・アッラーは偉大なり)、タフミド(アルハンドゥリッラー・アッラーを讃える)を沢山唱え祈願しなさい。」と述べておられる。また、預言者さまSAWに御加護があるように祈願し、喜捨に努め、近親の絆を大切にし、人々を助けることに努めなさい。ズルヒッジャ月の最初の十日間には、人との良い係わりが特に求められているのである。アッラーは、クルアーン地震章において述べておられる。

「一微塵の重さでも、悪を行った者は、それを見る。」(99章 7節)

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、ズルヒッジャ月の最初の10日を有意義に過ごす者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

クルアーンが持っている治癒力

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年7月28日)

―― クルアーンが持っている治癒力 ――

 

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

畏れるべき存在であるアッラーを畏れなさい。アッラーは、クルアーン・戦利品章において述べておられる。

「信仰する者よ、もし、お前たちがアッラーを畏れるならば、アッラーは、お前たちに違いを与え、お前たちの悪業を消滅し御赦し下される。誠、アッラーは、偉大な恩恵の主であられる。」(8章 29節)

 

信者たちよ、聖クルアーンは導きの書であり、そのものが人類全員に対する慈悲である。聖クルアーンには、悩みに対する慰めがあり、真理の教えがあり、人々を教化するものがある。

至高のアッラーは、クルアーン・夜の旅章において述べておられる。

「われが(段階を追って)クルアーンをもって下したものは、信者にとっての癒しであり慈悲である。だが、不義の徒にとっては、ただの損失の種である。」(17章 82節)

預言者さまSAWは、クルアーンのある章節には、信仰心をより強くし、自分自身を守る偉大な力が備わっていると信じておられた。例えば、黎明章と人間章には、深い意味と、影響力、多くの真実と偉力とが備わっている。それに関して、預言者さまSAWは、「昨夜、これまでにない思いもよらないような章節の啓示があった。それは「言え『黎明の主に御加護を求め願う』」(黎明章113章 1節)と、「言え、『人間の主に御加護を求め願う』」(人々章114章 1節)である。」と言われた。この二つの章は、人から脅されている者を守り、心配を鎮める力がある。ウクバ・ビン・アーミル師(平安を)は伝えている。「私が預言者さまSAWにお供し、ラクダを御していた時に、預言者さまSAWは、言われた。『ウクバよ、二つの最も大事な章を読んで聞かせたことはなかったかな。それは「言え『黎明の主に御加護を求め願う』」(黎明章113章 1節)と、「言え、『人間の主に御加護を求め願う』」(クルアーン第114章)である。』 そのように嬉しそうに語られるのを拝見したことがないほどに、預言者さまSAWは、嬉しそうでした。礼拝の時刻になりラクダから降りられ、預言者さまSAWは、早朝の礼拝の先導をなされ、その二つの章を詠まれた。礼拝を終えると、私の方を向かれ、『ウクバよ、何かを感じたかな。』と私に尋ねられました。」 朝に夕に、この二つの章を読むならば、困っている人の悩みは晴らされ、加護が得られることだろう。また、アーイシャさま(平安を)は伝えている。「毎晩、預言者さまSAWは、床に入る前に両手を揃えられ、息を吹きかけ、そこに向かって、『その御方はアッラー、唯一であられます。』『黎明の主に御加護を求めます。』『人間の主に御加護を求めます。』と唱えられ、その後、最初に頭、次に顔、更に体の前面を、何かを払いのけるように両手でさすられました。それを三回繰り返されました。」

 

信者たちよ、この両方の章を読誦することは、アッラーに悪魔からの解放を願い、御加護と救援を求める為の祈願となる。何かの不快や普通ではない気分になったら、また、忍び寄る悪い囁きが気になったら、自分の身を護り安全を図る為に、アッラーに御加護を求めなさいと、アッラーは命じておられる。至高のアッラーは、クルアーン・高壁章において述べておられる。

「また、悪魔からの中傷があなたを悩ました時には、アッラーの御加護を求めなさい。誠、アッラーは、全聴にして全知であられる。」(7章 200節)

何かを行う時には何時でも、それが、普段の行いであっても、信仰行為であっても、クルアーンを読誦する時であっても御加護を求めなさいということである。悪魔は、ムスリムたちが主への信仰行為を怠るように囁くのが生涯の使命であるから油断の無いようにしなさい。アッラーは、クルアーン・蜜蜂章において述べておられる。

「お前がクルアーンを読唱する時は、忌まわしい悪魔からの御加護をアッラーに祈りなさい。」(16章 98節)

預言者さまSAWは、「呪わしい悪魔から、悪魔の息遣いから、悪魔の嫌がらせから、悪魔の悪事への勧めから護って頂けるように、私は、アッラーに御加護を求めます。」といつも祈願しておられた。

 

信者たちよ、アッラーは、クルアーン・黎明章において述べておられる。

「『結び目に息を吹きかける(妖術使いの)女たちの悪から、』」(113章 4節)

黒魔術やそうした類の妖術の一例として、結び目に息を吹きかける術を掲げているのである。それは、間違った行為である。飲み終わったコーヒーカップを伏せたり、星占いなどにより未来を予言したり、運勢の判断をしたりするなどを含む。預言者さまSAWは、「まじないの為の結び目を作り、それに息を吹きかける者は、妖術を行った者である。妖術を行った者は、悪事を行った者である。魔除けなどの何かを有難がる者は、それに自分自身を委ねる者である。」と警告され、誰かの妬みなどの悪感情に対して、アッラーの御加護を求めなさいと信者に呼び掛けておられる。アッラーは、クルアーン・黎明章において述べておられる。

「『また、嫉妬する者の嫉妬(と言う災厄)の悪から。』」(113章 5節)

妬みの感情を持つ者は、他の人に幸運が向かわないようにと望んでいる。そうした好ましくない感情に支配されるようになった者は、他人の為の落とし穴を探し、他人が失敗と困難に遭遇するのを望むものである。妬みの感情は非難に値するものであり、クルアーンを読誦し、アッラーを思い、預言者さまSAWの教えに従って自分自身を他人の妬みから守らなければならない。悪魔のささやきに自分を委ねてはならないし、浄める力があると宣伝する占い師は大嘘つきであり、そんな占い師の許を訪ねるようなことがあってはならない。我々の誰でもが良くなることを求めるならば、預言者さまSAWが教えられたように、クルアーンの然るべき章節を読誦し、礼拝や祈願をすることである。それが、自分や家族の為の良い意味でのまじないとなる。つまるところ、我々各人は、誰よりも自分自身に注意を払い、自分を一番悩ますものが何であるかを最もよく知ることである。良い意味でのまじないというものは、預言者さまSAWの習慣的な行いの一つであり、アーイシャさま(平安を)は、次のように伝えている。「預言者さまSAWが病気になられると、クルアーンの最後の3章を読誦され、そして、ご自分に息を吹きかけておられました。そして、病が重くなった時には、私がそれを読誦し、御使いの手に私の手を添えて、祝福が多くあることを祈願してこすって差し上げました。」 また、預言者さまSAWは、孫のハサンとフサインの為に、「あらゆる悪から、あらゆる有害なものから、悪影響を与える悪い眼差しから、アッラーの完全無欠の御言葉によって、二人が加護されますように。」と述べ、アッラーに御加護を願われたということである。更に、預言者さまSAWは、アッラーの御加護がいつでも得られるように、クルアーン・玉座節(2章 255節)他を読誦するようにと推奨なされた。また、預言者さまSAWは、述べておられる。「誰かが、夜に雌牛章の最後の二節を唱えるとすれば、その二節は、その者を満たすこととなるだろう。」 誠に、アッラーの御言葉は、心の病に対する確かな治療薬である。至高のアッラーは、クルアーン・ユーヌス章において述べておられる。

「人々よ、お前たちの主から確かに教えが下された。これは、胸の中にある(心配事や、他の心の病いなどの)ものを癒し、また、信者に対する導きであり慈悲である。」(10章 57節)

その教え、即ち、クルアーンの或る章節は、困難で体力を減退させる元である病気に悩む人々に治癒の力を提供する。そのことを信じ続けることであり、クルアーンが、心をはずませ、心に明かりを灯し、悲しみを除去し、心配を取り除く為に作用するようにとアッラーに祈願することである。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブーバクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、クルアーンを学び読誦し、病気や困難から護られる者であるように御加護下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し感謝し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

 

 

部屋章が教えるもの

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年7月21日)

―― 部屋章が教えるもの ――

 

 

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ。何かに従おうとするならば、至高のアッラーに従うようにしなさい。

アッラーは、クルアーン・部屋章において述べておられる。

「信仰する者よ、お前たちは、アッラーとその使徒を差し置いて勝手な振舞いをしてはならない。アッラーを畏れなさい。誠、アッラーは全聴にして全知であられる。」(49章 1節)

 

信者たちよ。聖クルアーンは、アッラーからしもべへの賜り物である。聖クルアーンは、心からの導きを求める者の為の教えであり、心から信じる者を加護する。また、聖クルアーンは、知識を教え伝えてくれるものであり、正しい道そのものであり、アッラーと信者たちとの間を結びつける丈夫な綱である。聖クルアーンに密着する者は、確かで値打ちのある報酬を手にする。聖クルアーンの教えに従う者は、公正さを保持することに於いて、失敗することはない。そして、聖クルアーンの教えを人に勧める者は、真直ぐと導かれるであろう。

 

部屋章は、クルアーンの一つの章である。そこには、立派な社会集団の価値と慣習を強める、あらゆる気高いものが含まれている。そうした集団の中の思慮深い人々にとっては、個人や集団内の係わり方を統括する道徳的な教えがそこにはある。そうした道徳的なものは、流布する情報の正確さを慎重に見極めるように注意しなさいと呼びかける。なぜならば、嘘が流布する結果、集団の絆が崩れ出し、挙句の果てには、人々の結びつきを崩壊してしまうからである。至高のアッラーは、クルアーン・部屋章において述べておられる。

「信仰する者よ。邪悪な者がお前たちに情報を提供したならば、慎重に確かめなさい。それは、お前たちが気付かない内に人々に危害が及び、それによって行ったことを後悔することにならない為である。」(49章 6節)

この章節は、情報が本当なのか嘘なのかを、確かめるようにと呼びかけているのである。それをするのを怠れば、簡単に集団に分裂を引き起こし、憎しみを助長することになるからである。そしてそれは、時には事実無根の中傷や、裏付けのない、いい加減な情報が原因で起こるものである。何かを言う前に、自分が言おうとすることの真偽を確かめるべきである。聖クルアーンは、情報の根源から情報を得るように教えている。クルアーン・食卓章において、アッラーは、預言者イーサー(平安を)に問う形で、そのことについて述べておられる。

「また、アッラーがこのように仰せられた時を思え。『マルヤムの子イーサーよ、あなたは、アッラーの外に、自分自身と自分の母親とを2柱の神とせよと人々に告げたか。』 彼(マルヤムの子イーサー)は,申し上げた。『あなたさまに讃えあれ。私に権能のないことを、言うべきでありません。もし、私がそれを言ったならば、必ずあなたさまは御存知です。あなたさまは、私の心の中を御存知です。だが、私は、あなたさまの御心は存知ません。誠、あなたさまは、凡てのことの真意を御存知であられます。』」(5章 116節)

預言者ムハムマドSAWは、噂話の蔓延と良くない話が、人々の間に不和を引き起すだろうと述べて警告しておられる。預言者ムハムマドSAWは、述べられた。「アッラーの御目にとって最良の人物とは、アッラーの御満悦を得ることの大切さを知っている者であり、一方、最悪の人物とは、噂話を好む者であり、愛する人々を分裂させ、他人の苦痛と困難の原因を作ることを望む者である。」

 

信者たちよ。部屋章では、良い行いと信仰を否定するような振る舞いを禁じている。例えば、いじめの行為、人を馬鹿にしたあだ名で呼ぶことなどである。それらは、憎しみを生みだし、敵意を助長する原因となる。

アッラーは、クルアーン・部屋章において述べておられる。

「信仰する者よ、或る者たちに、他の者たちを嘲笑させてはならない。それら(嘲笑された方)が、彼らよりも優れているかも知れない。女たちにも、他の女たちを(嘲笑させてはならない)。その女たちが、彼女たちよりも、優れているかも知れない。互いに中傷してはならない。そして、あだ名で、罵り合ってはならない。信仰に入った後は、悪を暗示するような呼名は良くない。それでも止めない者は、不義の徒である。」(59章 11節)

預言者さまSAWは、述べておられる。「ムスリムは、ムスリムの兄弟である。どの一人でも、他を威圧してはならない。見捨ててはならない。嘘を吐いてはならない。軽視してはならない。(胸を三回指さして)信仰は、まさにここにある。ムスリムの兄弟を軽視し続ける者は、まぎれもなく邪悪な者である。」

 

信者たちよ。その同じ部屋章において、アッラーは、集団を愛と親切とで結びつけるようにと要求しておられる。人々の生活、財産、誠実さが護られるような四囲の状況は、愛と親切によるものだからである。強者が弱者を威圧してはいけない。また、富める者は貧しい者を助けるべきであり、近所の者は互いに訪問し合い、健康な者は病人を見舞い、誰もが嘘を吐くことがあってはならない。人々は、愛による結びつきによって共存し、宗教と集団意識によって互いが一つになるべきである。それが全能のアッラーが御好みの社会の特質である。

アッラーは、クルアーン・部屋章において述べておられる。

「人々よ、われは一人の男と一人の女からお前たちを創り、種族と部族に分けた。これは、お前たちを、互いに知り合うようにさせる為である。アッラーの御許で、中でも最も貴い者は、最も主を畏れる者である。誠、アッラーは、全知にして、あらゆることに通じておられる。」(49章 13節)

 

信者たちよ。誰しも、完全に心からアッラーに従いなさい。イスラームでは、陰口を禁じている。なぜなら、陰口は、個人にも社会にも、取り返しのつかない危機的な損傷を与える原因となり兼ねないからである。

アッラーは、クルアーン・部屋章において述べておられる。

「信仰する者よ、邪推の多くを追い祓え。誠、邪推は、時には罪である。無用の詮索をしたり、また、互いに陰口を言ってはならない。死んだ兄弟の肉を食べるのを誰が好むものか。お前たちは、それを忌み嫌うではないか。アッラーを畏れなさい。誠、アッラーは、度々赦される御方、慈悲深い御方であられる。」(49章 12節)

アブー・フライラ師(平安を)は、伝えている。「アッラーの御使いSAWが教友たちに、『あなた方は陰口とは何か知っていますか。』と尋ねられた。すると、教友の一人が、『アッラーと、その使徒が最も御存知です。』と言った。そこで、御使いSAWは、『あなたの兄弟が嫌っていることを敢えてあなたが言うことです。』と言った。すると、『それなら、もし、その兄弟に私が言う通りのもの(即ち、欠点)が実際にあった場合にはどうですか。』と尋ねた。そこで、御使いSAWは、言われた。『その兄弟にあなたが言う通リのもの(即ち、欠点)があったとしても、あなたが彼の陰口を言ったことには変りはありません。そしてもし、その事実が無かった場合には、彼を中傷したことになります。 』」 また、アッラーの御使いSAWは、「いずれのムスリムの生命、財産、名誉が、他のムスリムによって犯されることが、許されてはならない。」と言われた。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブーバクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、部屋章を通しての教えを十分理解し、行いに反映できるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し信頼し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

行徳にハラールレストランオープン

行徳に新しくハラールレストランがオープンしました。

こちらのお店は行徳モスクの代表が経営しているそうです。

お店の名前はKebab house

Kebab House

また一つ外食に行けるお店が増えました。

アルハムッドリラー

 

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行徳は日本で一番外国人の住民が多い地域なのだとか。

 

行徳のある市川市、市長さんがムスリムウエルカムと書いた記事を読んだことがあります。

 

 

ヒジャーブをかぶって歩いているシスターも沢山います。

 

ハラールレストラン、増えてきて嬉しいです。

 

私は以前は銀座に割烹料理の店を持っていました。

 

食品扱うビジネスは難しいです。

 

食品の鮮度と味、衛生、そして雰囲気と料金

 

どれかがバランス悪ければお店は成り立ちません。

 

これから始まるお店も今まで頑張ってきたお店もインシャアッラー、続いていきますように。

 

 

日本人ムスリムの多い地域ならハラールの親子丼と牛丼屋さん出来たら流行るのではないかな?と思っています。

 

外国人は牛丼とか食べないかな?

 

もう自分がお店に立って何かすることはないと思いますが、次に誰かレストランしたいけどアイデアある?と聞かれたら牛丼と親子丼ですね。インシャアッラー