私はムスリムです

私は日本人改宗ムスリムです。イスラームについて学んだことをシェアしているブログです。

―― ズルヒッジャ月の最初の十日間を大切に

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年8月25日)

―― ズルヒッジャ月の最初の十日間を大切に ――

 

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ。アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「・・・旅の準備をしなさい。だが、最も優れた準備とは、篤い信仰の心である。お前たち、思慮ある者よ、われを畏れなさい。」(2章 197節)

ハッジの条件が整った者は、旅の準備をしなさいとアッラーは言っておられる。そして、ハッジに旅立つ者も、旅立たない者も、思慮ある者は、篤い信仰心をもって、いつでも準備をしていなさいということである。

 

信者たちよ。我々信仰する者たちは、神聖な日を迎えた。それは、ズルヒッジャ月の最初の十日間であり、昼に限らず夜に限らずその十日間は神聖である。至高のアッラーは、その十日間がいかに大事であるかを示す為に、その十日間によって誓いを立てておられる。アッラーは、クルアーン・暁章において述べておられる。

「暁において、」「10夜において、」「偶数と奇数において、」「去り行く夜において(誓う)。」「本当にこの中には、分別ある者への誓いがあるではないか。」(89章 1--5節)

この十日間は、聖月の中にあり、また、神聖な日であるアラファートの日がその十日間の中に含まれている。それ故、アッラーは、その十日間によって誓いを立てられたのてある。その十日間に行うのが良いと推奨される最良の信仰行為とは、礼拝、断食斎戒、ハッジ、貧しい者への施し、犠牲を捧げること、アッラーを讃える言葉を唱えることである。アッラーは、クルアーン・巡礼章において述べておられる。

「それは自らの(現世と来世の)御利益に参加し、また定められた日の間、・・・」(22章 28節)

この十日間には、良い信仰行為に対して、アッラーは、報酬を倍加して下される。預言者ムハムマドSAWは、「ズルヒッジャ月の最初の十日間に行う善行よりも優る善行というものはない。」と述べておられる。ハッジは、まさに、この十日間の中のアラファートの日を挟んで行うものであるが、ハッジを行う信者たちをアッラーの館(カアバ)で信仰行為を続けたいと願わせるほどのものがある。ところで、全ての信者たちがハッジを行うことが出来る訳ではなく、アッラーは、ハッジに行かない信者たちの為に、その十日間を信仰行為を大いに行うべき時期として位置付けられた。ハッジに行かない信者たちは、その十日間に善行を積むがよいということである。

 

信者たちよ。ズルヒッジャ月の最初の十日間は、アッラーの御赦しを得、ハッジに行くのと同等の報酬を得る絶好の機会である。ハッジを行う最終目標は、ハッジを行い戻ることであらゆる悪事を赦されているということである。預言者さまSAWは、述べておられる。「アッラーの御悦びを願って巡礼(ハッジ)を行い、その間に大きな過ちを犯してなければ、それまでに犯した悪事を赦される。」 そうした素晴らしい報酬を得る機会は、ハッジを行わない信者にもある。その機会は、その十日間の中にあるのである。時間通りに心を込めて礼拝に励む信者は、アッラーの御意志によって、ハッジを行ったと同じだけの報酬を得る。アッラーにとって最も悦ばしい行いとは、御側に寄り添おうとすることであり、アッラーは、信者たちにそう命じておられるではないか。また、その十日間の間、信仰行為に励み努めることである。預言者さまSAWは、述べておられる。「(ズルヒッジャ月の最初の十日間の間に、)家で礼拝の為の浄めを行い、定めの礼拝を集団で行う為に出かける信者については、その報酬は、イフラームの状態になりハッジに出掛ける信者のものと同等である。」 ファジュルの礼拝を前に、2ラカアの礼拝を行う事は、あらゆるものに優る。預言者さまSAWは、述べておられる。「黎明の前の2ラカアの任意の礼拝は、何ものにも優る。」 黎明の前の2ラカアの任意の礼拝を終えてから、集団の礼拝の為にマスジドへ出掛けるのは、とても良い行為である。また、イマームが述べる祈願に合わせて、アーミーン(御受入れ下さい)と唱えるのは、良い作法である。

 

信者たちよ。更には、各礼拝の後に、33回アッラーを称揚し、33回アッラーを称讃し、33回アッラーが偉大であられることを唱え、それらの合計99回に加えて、「アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。あらゆる主権は、アッラーのもの。あらゆる称讃は、アッラーのもの。アッラーは、全能の神であられる。」を唱えることで、合計100回、真実を唱えなさい。そうすれば、海に浮かぶ泡程に沢山の悪事であっても赦されるだろう。また、多くの報酬を期待できる信仰行為には、有意義な知識を得ようとして、マスジドでの学習に参加するというものがある。預言者さまSAWは、述べておられる。「マスジドへ、教えたり、学んだりする為に出かける信者は、ハッジを成し遂げた巡礼者が得ると同等の報酬を得るだろう。」 誠に、そうした良い行いについては、ズルヒッジャ月の最初の十日間にアッラーの御悦びを願い行うならば、報酬が倍加される。

 

信者たちよ。ズルヒッジャ月の最初の十日間にアッラーに御近づきになるその他の行いと言えば、アッラーの思し召し、即ち、与えて下されることに感謝することである。至高のアッラーへの感謝の表明は、悪事を消し去るもう一つの行いである。預言者さまSAWは、「何かを口にして、『自分には何も無いのに、この食べ物を与えて下されるアッラーを賛美します。』と唱える者、衣類を纏いながら、『自分には何も無いのに、この着物を与えて下されるアッラーを賛美します。』と唱える者は、過去と未来の過ちを赦される。」と述べておられる。

 

信者たちよ。最も大事なこととは、至高のアッラーの教えを受け入れ、御命令に従うことである。そして、預言者さまSAWは、ズルヒッジャ月の最初の十日間には夜も昼も、アッラーの御満足を得る為の良い行いに励みなさいと教えておられる。アッラーは、ズルヒッジャ月の最初の十日間に誓って、その十日間が素晴らしい日々であると言っておられる。それ故、我々信者は、そのことを重く受け止めて、出来る限りの善行を積まねばならない。例えば、アッラーを思い、クルアーンの読誦に努め、更に、三つの称讃と祈願の言葉、即ち、タハリール、タクビール、タフミドを唱えることである。預言者さまSAWは、「ズルヒッジャ月の最初の十日間以上に大事な日は、アッラーにとってはないものであり、また、その日に行われる善行以上にアッラーにとって好ましいものもない。それ故、タハリール(ラーイラーハイッラッラー・アッラーの他に神は存在しない。)、タクビール (アッラーフアクバル・アッラーは偉大なり)、タフミド(アルハンドゥリッラー・アッラーを讃える)を沢山唱え祈願しなさい。」と述べておられる。また、預言者さまSAWに御加護があるように祈願し、喜捨に努め、近親の絆を大切にし、人々を助けることに努めなさい。ズルヒッジャ月の最初の十日間には、人との良い係わりが特に求められているのである。アッラーは、クルアーン地震章において述べておられる。

「一微塵の重さでも、悪を行った者は、それを見る。」(99章 7節)

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、ズルヒッジャ月の最初の10日を有意義に過ごす者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

クルアーンが持っている治癒力

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年7月28日)

―― クルアーンが持っている治癒力 ――

 

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

畏れるべき存在であるアッラーを畏れなさい。アッラーは、クルアーン・戦利品章において述べておられる。

「信仰する者よ、もし、お前たちがアッラーを畏れるならば、アッラーは、お前たちに違いを与え、お前たちの悪業を消滅し御赦し下される。誠、アッラーは、偉大な恩恵の主であられる。」(8章 29節)

 

信者たちよ、聖クルアーンは導きの書であり、そのものが人類全員に対する慈悲である。聖クルアーンには、悩みに対する慰めがあり、真理の教えがあり、人々を教化するものがある。

至高のアッラーは、クルアーン・夜の旅章において述べておられる。

「われが(段階を追って)クルアーンをもって下したものは、信者にとっての癒しであり慈悲である。だが、不義の徒にとっては、ただの損失の種である。」(17章 82節)

預言者さまSAWは、クルアーンのある章節には、信仰心をより強くし、自分自身を守る偉大な力が備わっていると信じておられた。例えば、黎明章と人間章には、深い意味と、影響力、多くの真実と偉力とが備わっている。それに関して、預言者さまSAWは、「昨夜、これまでにない思いもよらないような章節の啓示があった。それは「言え『黎明の主に御加護を求め願う』」(黎明章113章 1節)と、「言え、『人間の主に御加護を求め願う』」(人々章114章 1節)である。」と言われた。この二つの章は、人から脅されている者を守り、心配を鎮める力がある。ウクバ・ビン・アーミル師(平安を)は伝えている。「私が預言者さまSAWにお供し、ラクダを御していた時に、預言者さまSAWは、言われた。『ウクバよ、二つの最も大事な章を読んで聞かせたことはなかったかな。それは「言え『黎明の主に御加護を求め願う』」(黎明章113章 1節)と、「言え、『人間の主に御加護を求め願う』」(クルアーン第114章)である。』 そのように嬉しそうに語られるのを拝見したことがないほどに、預言者さまSAWは、嬉しそうでした。礼拝の時刻になりラクダから降りられ、預言者さまSAWは、早朝の礼拝の先導をなされ、その二つの章を詠まれた。礼拝を終えると、私の方を向かれ、『ウクバよ、何かを感じたかな。』と私に尋ねられました。」 朝に夕に、この二つの章を読むならば、困っている人の悩みは晴らされ、加護が得られることだろう。また、アーイシャさま(平安を)は伝えている。「毎晩、預言者さまSAWは、床に入る前に両手を揃えられ、息を吹きかけ、そこに向かって、『その御方はアッラー、唯一であられます。』『黎明の主に御加護を求めます。』『人間の主に御加護を求めます。』と唱えられ、その後、最初に頭、次に顔、更に体の前面を、何かを払いのけるように両手でさすられました。それを三回繰り返されました。」

 

信者たちよ、この両方の章を読誦することは、アッラーに悪魔からの解放を願い、御加護と救援を求める為の祈願となる。何かの不快や普通ではない気分になったら、また、忍び寄る悪い囁きが気になったら、自分の身を護り安全を図る為に、アッラーに御加護を求めなさいと、アッラーは命じておられる。至高のアッラーは、クルアーン・高壁章において述べておられる。

「また、悪魔からの中傷があなたを悩ました時には、アッラーの御加護を求めなさい。誠、アッラーは、全聴にして全知であられる。」(7章 200節)

何かを行う時には何時でも、それが、普段の行いであっても、信仰行為であっても、クルアーンを読誦する時であっても御加護を求めなさいということである。悪魔は、ムスリムたちが主への信仰行為を怠るように囁くのが生涯の使命であるから油断の無いようにしなさい。アッラーは、クルアーン・蜜蜂章において述べておられる。

「お前がクルアーンを読唱する時は、忌まわしい悪魔からの御加護をアッラーに祈りなさい。」(16章 98節)

預言者さまSAWは、「呪わしい悪魔から、悪魔の息遣いから、悪魔の嫌がらせから、悪魔の悪事への勧めから護って頂けるように、私は、アッラーに御加護を求めます。」といつも祈願しておられた。

 

信者たちよ、アッラーは、クルアーン・黎明章において述べておられる。

「『結び目に息を吹きかける(妖術使いの)女たちの悪から、』」(113章 4節)

黒魔術やそうした類の妖術の一例として、結び目に息を吹きかける術を掲げているのである。それは、間違った行為である。飲み終わったコーヒーカップを伏せたり、星占いなどにより未来を予言したり、運勢の判断をしたりするなどを含む。預言者さまSAWは、「まじないの為の結び目を作り、それに息を吹きかける者は、妖術を行った者である。妖術を行った者は、悪事を行った者である。魔除けなどの何かを有難がる者は、それに自分自身を委ねる者である。」と警告され、誰かの妬みなどの悪感情に対して、アッラーの御加護を求めなさいと信者に呼び掛けておられる。アッラーは、クルアーン・黎明章において述べておられる。

「『また、嫉妬する者の嫉妬(と言う災厄)の悪から。』」(113章 5節)

妬みの感情を持つ者は、他の人に幸運が向かわないようにと望んでいる。そうした好ましくない感情に支配されるようになった者は、他人の為の落とし穴を探し、他人が失敗と困難に遭遇するのを望むものである。妬みの感情は非難に値するものであり、クルアーンを読誦し、アッラーを思い、預言者さまSAWの教えに従って自分自身を他人の妬みから守らなければならない。悪魔のささやきに自分を委ねてはならないし、浄める力があると宣伝する占い師は大嘘つきであり、そんな占い師の許を訪ねるようなことがあってはならない。我々の誰でもが良くなることを求めるならば、預言者さまSAWが教えられたように、クルアーンの然るべき章節を読誦し、礼拝や祈願をすることである。それが、自分や家族の為の良い意味でのまじないとなる。つまるところ、我々各人は、誰よりも自分自身に注意を払い、自分を一番悩ますものが何であるかを最もよく知ることである。良い意味でのまじないというものは、預言者さまSAWの習慣的な行いの一つであり、アーイシャさま(平安を)は、次のように伝えている。「預言者さまSAWが病気になられると、クルアーンの最後の3章を読誦され、そして、ご自分に息を吹きかけておられました。そして、病が重くなった時には、私がそれを読誦し、御使いの手に私の手を添えて、祝福が多くあることを祈願してこすって差し上げました。」 また、預言者さまSAWは、孫のハサンとフサインの為に、「あらゆる悪から、あらゆる有害なものから、悪影響を与える悪い眼差しから、アッラーの完全無欠の御言葉によって、二人が加護されますように。」と述べ、アッラーに御加護を願われたということである。更に、預言者さまSAWは、アッラーの御加護がいつでも得られるように、クルアーン・玉座節(2章 255節)他を読誦するようにと推奨なされた。また、預言者さまSAWは、述べておられる。「誰かが、夜に雌牛章の最後の二節を唱えるとすれば、その二節は、その者を満たすこととなるだろう。」 誠に、アッラーの御言葉は、心の病に対する確かな治療薬である。至高のアッラーは、クルアーン・ユーヌス章において述べておられる。

「人々よ、お前たちの主から確かに教えが下された。これは、胸の中にある(心配事や、他の心の病いなどの)ものを癒し、また、信者に対する導きであり慈悲である。」(10章 57節)

その教え、即ち、クルアーンの或る章節は、困難で体力を減退させる元である病気に悩む人々に治癒の力を提供する。そのことを信じ続けることであり、クルアーンが、心をはずませ、心に明かりを灯し、悲しみを除去し、心配を取り除く為に作用するようにとアッラーに祈願することである。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブーバクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、クルアーンを学び読誦し、病気や困難から護られる者であるように御加護下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し感謝し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

 

 

部屋章が教えるもの

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年7月21日)

―― 部屋章が教えるもの ――

 

 

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ。何かに従おうとするならば、至高のアッラーに従うようにしなさい。

アッラーは、クルアーン・部屋章において述べておられる。

「信仰する者よ、お前たちは、アッラーとその使徒を差し置いて勝手な振舞いをしてはならない。アッラーを畏れなさい。誠、アッラーは全聴にして全知であられる。」(49章 1節)

 

信者たちよ。聖クルアーンは、アッラーからしもべへの賜り物である。聖クルアーンは、心からの導きを求める者の為の教えであり、心から信じる者を加護する。また、聖クルアーンは、知識を教え伝えてくれるものであり、正しい道そのものであり、アッラーと信者たちとの間を結びつける丈夫な綱である。聖クルアーンに密着する者は、確かで値打ちのある報酬を手にする。聖クルアーンの教えに従う者は、公正さを保持することに於いて、失敗することはない。そして、聖クルアーンの教えを人に勧める者は、真直ぐと導かれるであろう。

 

部屋章は、クルアーンの一つの章である。そこには、立派な社会集団の価値と慣習を強める、あらゆる気高いものが含まれている。そうした集団の中の思慮深い人々にとっては、個人や集団内の係わり方を統括する道徳的な教えがそこにはある。そうした道徳的なものは、流布する情報の正確さを慎重に見極めるように注意しなさいと呼びかける。なぜならば、嘘が流布する結果、集団の絆が崩れ出し、挙句の果てには、人々の結びつきを崩壊してしまうからである。至高のアッラーは、クルアーン・部屋章において述べておられる。

「信仰する者よ。邪悪な者がお前たちに情報を提供したならば、慎重に確かめなさい。それは、お前たちが気付かない内に人々に危害が及び、それによって行ったことを後悔することにならない為である。」(49章 6節)

この章節は、情報が本当なのか嘘なのかを、確かめるようにと呼びかけているのである。それをするのを怠れば、簡単に集団に分裂を引き起こし、憎しみを助長することになるからである。そしてそれは、時には事実無根の中傷や、裏付けのない、いい加減な情報が原因で起こるものである。何かを言う前に、自分が言おうとすることの真偽を確かめるべきである。聖クルアーンは、情報の根源から情報を得るように教えている。クルアーン・食卓章において、アッラーは、預言者イーサー(平安を)に問う形で、そのことについて述べておられる。

「また、アッラーがこのように仰せられた時を思え。『マルヤムの子イーサーよ、あなたは、アッラーの外に、自分自身と自分の母親とを2柱の神とせよと人々に告げたか。』 彼(マルヤムの子イーサー)は,申し上げた。『あなたさまに讃えあれ。私に権能のないことを、言うべきでありません。もし、私がそれを言ったならば、必ずあなたさまは御存知です。あなたさまは、私の心の中を御存知です。だが、私は、あなたさまの御心は存知ません。誠、あなたさまは、凡てのことの真意を御存知であられます。』」(5章 116節)

預言者ムハムマドSAWは、噂話の蔓延と良くない話が、人々の間に不和を引き起すだろうと述べて警告しておられる。預言者ムハムマドSAWは、述べられた。「アッラーの御目にとって最良の人物とは、アッラーの御満悦を得ることの大切さを知っている者であり、一方、最悪の人物とは、噂話を好む者であり、愛する人々を分裂させ、他人の苦痛と困難の原因を作ることを望む者である。」

 

信者たちよ。部屋章では、良い行いと信仰を否定するような振る舞いを禁じている。例えば、いじめの行為、人を馬鹿にしたあだ名で呼ぶことなどである。それらは、憎しみを生みだし、敵意を助長する原因となる。

アッラーは、クルアーン・部屋章において述べておられる。

「信仰する者よ、或る者たちに、他の者たちを嘲笑させてはならない。それら(嘲笑された方)が、彼らよりも優れているかも知れない。女たちにも、他の女たちを(嘲笑させてはならない)。その女たちが、彼女たちよりも、優れているかも知れない。互いに中傷してはならない。そして、あだ名で、罵り合ってはならない。信仰に入った後は、悪を暗示するような呼名は良くない。それでも止めない者は、不義の徒である。」(59章 11節)

預言者さまSAWは、述べておられる。「ムスリムは、ムスリムの兄弟である。どの一人でも、他を威圧してはならない。見捨ててはならない。嘘を吐いてはならない。軽視してはならない。(胸を三回指さして)信仰は、まさにここにある。ムスリムの兄弟を軽視し続ける者は、まぎれもなく邪悪な者である。」

 

信者たちよ。その同じ部屋章において、アッラーは、集団を愛と親切とで結びつけるようにと要求しておられる。人々の生活、財産、誠実さが護られるような四囲の状況は、愛と親切によるものだからである。強者が弱者を威圧してはいけない。また、富める者は貧しい者を助けるべきであり、近所の者は互いに訪問し合い、健康な者は病人を見舞い、誰もが嘘を吐くことがあってはならない。人々は、愛による結びつきによって共存し、宗教と集団意識によって互いが一つになるべきである。それが全能のアッラーが御好みの社会の特質である。

アッラーは、クルアーン・部屋章において述べておられる。

「人々よ、われは一人の男と一人の女からお前たちを創り、種族と部族に分けた。これは、お前たちを、互いに知り合うようにさせる為である。アッラーの御許で、中でも最も貴い者は、最も主を畏れる者である。誠、アッラーは、全知にして、あらゆることに通じておられる。」(49章 13節)

 

信者たちよ。誰しも、完全に心からアッラーに従いなさい。イスラームでは、陰口を禁じている。なぜなら、陰口は、個人にも社会にも、取り返しのつかない危機的な損傷を与える原因となり兼ねないからである。

アッラーは、クルアーン・部屋章において述べておられる。

「信仰する者よ、邪推の多くを追い祓え。誠、邪推は、時には罪である。無用の詮索をしたり、また、互いに陰口を言ってはならない。死んだ兄弟の肉を食べるのを誰が好むものか。お前たちは、それを忌み嫌うではないか。アッラーを畏れなさい。誠、アッラーは、度々赦される御方、慈悲深い御方であられる。」(49章 12節)

アブー・フライラ師(平安を)は、伝えている。「アッラーの御使いSAWが教友たちに、『あなた方は陰口とは何か知っていますか。』と尋ねられた。すると、教友の一人が、『アッラーと、その使徒が最も御存知です。』と言った。そこで、御使いSAWは、『あなたの兄弟が嫌っていることを敢えてあなたが言うことです。』と言った。すると、『それなら、もし、その兄弟に私が言う通りのもの(即ち、欠点)が実際にあった場合にはどうですか。』と尋ねた。そこで、御使いSAWは、言われた。『その兄弟にあなたが言う通リのもの(即ち、欠点)があったとしても、あなたが彼の陰口を言ったことには変りはありません。そしてもし、その事実が無かった場合には、彼を中傷したことになります。 』」 また、アッラーの御使いSAWは、「いずれのムスリムの生命、財産、名誉が、他のムスリムによって犯されることが、許されてはならない。」と言われた。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブーバクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、部屋章を通しての教えを十分理解し、行いに反映できるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し信頼し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

行徳にハラールレストランオープン

行徳に新しくハラールレストランがオープンしました。

こちらのお店は行徳モスクの代表が経営しているそうです。

お店の名前はKebab house

Kebab House

また一つ外食に行けるお店が増えました。

アルハムッドリラー

 

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行徳は日本で一番外国人の住民が多い地域なのだとか。

 

行徳のある市川市、市長さんがムスリムウエルカムと書いた記事を読んだことがあります。

 

 

ヒジャーブをかぶって歩いているシスターも沢山います。

 

ハラールレストラン、増えてきて嬉しいです。

 

私は以前は銀座に割烹料理の店を持っていました。

 

食品扱うビジネスは難しいです。

 

食品の鮮度と味、衛生、そして雰囲気と料金

 

どれかがバランス悪ければお店は成り立ちません。

 

これから始まるお店も今まで頑張ってきたお店もインシャアッラー、続いていきますように。

 

 

日本人ムスリムの多い地域ならハラールの親子丼と牛丼屋さん出来たら流行るのではないかな?と思っています。

 

外国人は牛丼とか食べないかな?

 

もう自分がお店に立って何かすることはないと思いますが、次に誰かレストランしたいけどアイデアある?と聞かれたら牛丼と親子丼ですね。インシャアッラー

 

アキーダとシャリーアの関係

 

「アキーダ(信仰)とシャリーア(行ない)の関係」

 

アキーダは原因・種で、シャリーアは結果・果実である。
つまり、アキーダに基づかない行ないは、イスラームにおいて価値がない。

「言ってやるがいい。誰が行ないにおいて最大の失敗者であるか、告げようか。つまり自分では善いことをしていると彼らは考えているが、現世の生活のむおいての努力が、すべて間違った道に行ってしまったような者たちである。これらの者は、主の印、また主との会見を信じない者たちで、彼らの行ないは無駄になり、われは審判の日に彼らにどんな目方も与えないであろう。」(洞窟章18-103~105節)
また、
「およそ信仰を拒否するものは、その善行も虚しく、来世においては、失敗者の類である。」(食卓章5-5節)

信仰が、人間のイスラームと不信仰を分ける基準なら、
行ないは、人間の幸と不幸を分ける基準である。
「量りはその日、真正である。(善行の)目方が重い者は成功する者である。
また目方の軽い者は、わが印を軽んじたため自分を損なう者である。」(高壁章7-8~9節)


ワッサラームアライクム ワラハマトゥッラーヒ ワバラカートゥフ

 

 

イスラーム学びチームより転載

洞窟章が教えること

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年7月7日)

―― 洞窟章が教えること ――

 

 

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ、マッカ啓示のクルアーンの洞窟章は、洞窟に潜んだ若者たちに因んで、その章の名前が付けられた。アッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。

「洞窟の仲間たちとその碑文のことを、お前は、考えないのか。わが印の中でも驚嘆すべきものであったと。」(18章 9節)

洞窟章の素晴らしさについて、預言者ムハムマドSAWは、「金曜日に、洞窟章を唱える者には誰にでも、続く金曜日までの間、光が差し続けるだろう。」と述べられた。また、アッラーの御使いSAWは、「洞窟章の最初からの十節を暗記した者は誘惑(の手)から護られる。」と言われた。 なお、「洞窟章の最後の節」と言われたとも、「洞窟章の最初の節」と言われたとも伝わっている。いずれにせよ、洞窟章の大切さは、そこに語られている出来事を通して道徳的な教訓に満ちているということにある。そこには、日々の生活や現実についての教えがある。

 

信者たちよ、洞窟章は、最も高潔であられるアッラーを讃えることで始まっている。賞賛は、アッラーにとって最も似つかわしい事柄である。日々何かを行うに当たっては、それを始める前に必ず全能のアッラーを思い、賞賛することがいかに大切であるか、それを人々に教える内容のものである。あらゆる賞賛に相応しいアッラーが、良いことと幸福の創始者であられることを、何事につけても思い浮かべることが求められているということである。アッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。

アッラーを讃える。アッラーは、しもべに啓典を下された。それには、少しの(矛盾点などの)不備はないのである。」(18章 1節)

全能のアッラーは、洞窟章の幾つかの節を通して、正しい導きを願う若者たちのことを我々に教えて下される。その青年らの敬虔さの見返りに、最も恩恵豊かなアッラーは、何年間もの間彼らを洞窟の中で眠らせることで、外敵から護られた。至高のアッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。

「さて、彼らが洞窟に滞留したのは、3百年に加えて9年であった。」(18章 25節)

その期間の間滞りなく、至高のアッラーは、その青年たちをいかなる迫害からも保護なされ、長い眠りの後、その眠りから覚めさせたのである。眠りから覚めた若者たちは、どれ程の間眠っていたのか互いに尋ね合った。その中の一人が言ったことを、アッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。

「・・・私たちが(眠りに落ちていたのは)、一日か、一日にも満たない程度です。・・・」(18章 19節)

このことは、至高のアッラーが、生きるというこの上ない恵みを授けられることに対し、誰もがアッラーを讃えるべきであるという教訓なのである。我々は、目覚める毎にアッラーを敬服することは、この上ない幸せなことである。預言者ムハムマドSAWは、「我々に生命を与えられ、それを取り上げ復活させられるアッラーにこそ、全ての賞賛があります。」と言われた。誠に、睡眠は、短い死であるということである。

 

洞窟章が強調する教訓のもう一つが、財産に恵まれた者の物語である。その者の財力は、彼を傲慢にし、至高のアッラーへの信仰をむしろ弱いものとした。友人は彼に、束の間の現世と現世の眩さに惑わされないようにと忠告しはしたが、彼は、その忠告には全く注意を払わなかった。それに耳を貸さないだけでなく、終末の日にについて疑問まで差し挟み、アッラーは、来世には現世よりももっと沢山の良いものを下されると楽観し、友人と距離を置こうとしたのである。それに関して、アッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。

「また、(審判の)時が来るとも思いません。また、仮に、私の主に戻されても、きっと、これよりももっと良いところを見い出すでしょう。」(18章 36節)

 

信者たちよ、洞窟章は、良い師に師事し、熱心に知識を求め、良い振る舞を学ぼうとするアッラーの御使いムーサ(平安を)についても語っている。アッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。

「ムーサーは彼に、『あなたに師事させて下さい。あなたが授かられた正しい知識を、私にお教え下さい。』と言った。」(18章 66節)

この物語は、注意深さの重要さと、あわてて行動すべきではないということを教えている。我々は物事を予言する立場にはないのであるから、未来に対し急いだり予言したりすることのないように教えているのである。物事の全貌を知った後では、悪と見えていた事柄が善であったり、期待すべきものと思っていた事柄がそうではなかったということである。このことについて、アッラーは、クルアーン・婦人章において述べておられる。

「・・・お前たちは、何かを嫌うかも知れないが、アッラーは、そこに良いものをもたらされるであろう。」(4章 19節)

さて、アッラーの御使いムーサ(平安を)に対して、信仰篤い師匠が、未来のことを明らかにして語るのである。それについてアッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。

「・・・私が勝手に行ったことではなかったのだ。・・・」(18章 82節)

良い事柄というものは、至高のアッラーが我々の為に選ばれ、我々に授けられるということである。即ち、この信仰篤いムーサ(平安を)の師匠といえども、自分の考えで行動しているのではなく、アッラーが決められた事柄に追随しているに過ぎないということである。即ち、アッラーが御用意なされる運命だけを信じ、何事も受け入れなさいということである。

 

信者たちよ、洞窟章の後半においては、人々の良い行いと、良いことへの努力に対する報酬として、アッラーは、天国での高い位階と、永遠に続くこの上ない喜びとを約束なされ、そのことを我々に思い起させるものである。アッラーの道の為に心から行動することで、アッラーからの最良の報酬である天国を授けられるということである。また、洞窟章は、良い友を持つことの大切さを説いている。友とは、良くも悪くも我々に影響を及ぼす存在なのであるが、アッラーは、クルアーン・洞窟章において述べておられる。

「朝に夕に、主の慈悲に満ちた御顔を求めて祈る者と共に、自分を正しく守りなさい。また、現世の生活の栄華を望んで、彼ら(友)から自分の目をそらせてはならない。また、われが、その心にわれを念じることをないがしろにさせた者、また、私欲に従って、自分の事に、法を越えた者に、つき従ってはならない。」(18章 28節)

良い人々との交流は、宗教上、ないし世俗の生活の上で、良くあろうとする為の最高の助けとなる。誠に、良い友は、人々に勇気と平安を与え、敬虔さを高める為の助けとなるのである。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、洞窟章を通しての教えを十分理解し、行いに反映できるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

アッラーを信じるということ

あらゆる賞賛は、賞賛を受けるに相応しい御方であられるアッラーのもの。アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。

 

信者たちよ、アッラーに思いを寄せなさい。アッラーは、クルアーン・婦人章において述べておられる。

「・・・われは、お前たち以前に啓典を与えられた者に、また、お前たち(ムスリム)に、『アッラーを畏れよ。』と命じた。・・・」(4章 131節)

 

何ものも、アッラーの御意志に従い動く。アッラーは、クルアーン・高壁章において述べておられる。

「・・・ああ、アッラーこそ、創造し統御される御方ではないか。万有の主アッラーに祝福あれ。」(7章 54節)

アッラーは、創造に際しあらゆる事象を整えられた。天地の全てに亘って、そこには、何の欠陥もないのである。アッラーは、あらゆる必要の源であり、クルアーン・アル・ヒジュル章において述べておられる。

「どのようなものでも、われに、その備えのないものはない。・・・」(15章 21節)

誠に、アッラーの豊かさは、無尽蔵であり、枯渇することなどあり得ない。預言者さまSAWは、述べておられる。「われアッラーのしもべたちよ、お前たちの最初の者、最後の者、人間やジン、それらがこぞって一箇所に立ち何かをせがみ、各人に望みのものを与えたとしても、われの持ち物が何一つ減る訳ではない。仮に減るにしても、大海原に一本の針を入れるようなものである。」 信者は、あらゆる願い事をアッラーだけに求めなさい。アッラーを心から信じて頼りにしなさい。あらゆるものがアッラーの許に戻ってゆくことを承知しなさい。

アッラーは、クルアーン・フード章において述べておられる。

「天と地の幽玄界は、アッラーのものであり、また、凡ての物事(の決定)は、アッラーに帰属する。だから、その御方に仕え、その御方を信頼しなさい。・・・」(11章 123節)

至高のアッラーは、信頼を寄せる者、頼りにする者を御助けになられる。

アッラーは、クルアーン・集団章及び開端章において述べておられる。

アッラーは、しもべにとって万全(な守護者)ではないか。・・・」(39章 36節)

「私たちは、あなたさまにこそ崇め仕え、あなたさまにこそ御助けを請い願う。」(1章 5節)

アッラーを信頼する者は、あらゆる事柄にあってその御方に従おうとする。預言者ムーサー(平安を)がファラオを前にして述べた言葉がある。その言葉をアッラーは、クルアーン・ガーフィル章において述べておられる。

「・・・私は、自身のことはアッラーに委ねています。アッラーは、しもべたちを見守られます。」(40章 44節)

 

信者たちよ、アッラーを思い、そして、アッラーを崇拝すること、そのことは、全てのムスリムが求められていることである。預言者さまSAWは、述べておられる。「アッラーは、おっしゃられました。われは、わがしもべがそうであると信じているとおりの存在である。われを善良であると思うなら、そのとおりであり、われを悪辣と思うなら、そのとおりである。」 即ち、アッラーを善良であると思い、自分が良い時にも、悪い時にもアッラーを信じいなさいということである。アッラーを信頼することは、預言者や御使いの品性の一つであり、善良な人間についても、同様の品性が見いだされる。預言者イブラーヒーム(平安を)は、アッラーが命じられたことに従う人々にとっての立派なお手本である。アッラーは、クルアーン・雌牛章において述べておられる。

「主は、彼に向かって、『服従、帰依しなさい。』と仰せられた。彼は、『私は、万有の主に服従、帰依します。』と言った。」(2章 131節)

預言者イブラーヒム(平安を)は、アッラーによって、館カーバの建立を命じられた。それで、妻ハガルと赤子イスマイールとを連れて、不毛の谷間である砂漠の地へと出発した。その場所は、マッカであり、当時は、人も居なければ水も無い所であった。そこに着くと預言者イブラーヒーム(平安を)は、妻ハガルと赤子イスマイールの居場所を決めて、少しのナツメヤシが入った革袋と、何がしかの水の入った小さな革袋とを置いて、帰路につこうとしたのである。イスマイールの母は追いすがりながら、「イブラーヒームよ、誰もいない、何も無い、何の希望も無いこの谷間に二人を残し、どこへ行こうとするのですか。」と繰り返し何度も尋ねたが、イブラヒーム(平安を)は、振り返りもしなかった。「アッラーが、こうするように命じられたのですか。」と問うと、「そうだ。」と答えがあり、すると、イスマイールの母ハガルは、「それならば、アッラーが私たちを見捨てることはありません。」と言ったのであった。アッラーの御命令を快く受け入れるというイスマイールの母ハガルの強い信仰心は、山が大地に深く根を下ろすように、アッラーに対する深い信頼の証である。イスマイールの母ハガルは、ザムザムの聖水が赤子イスマイールの足元から湧き出て飲み水になろうとは、また、天使が降りてきて、「何もないと恐れることはありません。」と語りかけようとは、その時点では知らないのである。

 

信仰篤い者のもう一人の例は、品行が良く貞節な女性マルヤムである。結婚もしていないのに妊娠してしまい、、苦悩はするが耐えたのである。そこでは、神による不思議が起こったのである。とんでもないことを仕出かしたと、世間から非難され悩まされたが、アッラーは啓示を下され、マルヤムは、アッラーを信頼することによって苦悩から解放された。そのことについて、アッラーは、クルアーンマルヤム章において述べておられる。

「食べ且つ飲んで、お前の目を冷しなさい。そしてもし、誰かを見たならば、『私は慈悲深き主に、斎戒の約束をしました。それで今日は、誰とも話は致しません。』と言ってやるがいい。」「それから、彼女は、彼(息子)を抱いて自分の(親族の)人々の許に帰ってきた。彼らは、言った。『マルヤムよ。お前さんは、何と大変なことをしてくれたのか。』」「ハールーンの姉妹よ、お前の父は悪い人ではなかった。母親も不貞の女ではなかったのだが。」「そこで彼女は、彼(赤ん坊である息子)を指さした。・・・」(19章 26--29節)

アッラーを信頼したからこそ、マルヤムは、生まれたばかりの赤ん坊を皆の許に連れて戻り、その子を指さしたのである。主が、赤ん坊に話をさせ、彼女の無実を晴らしてくれようとはその時点では、知る由もなかったのであるが。アッラーは、クルアーンマルヤム章において、更に続けて述べておられる。

「・・・彼らは言った。『どうして私たちは、揺籠の中の赤ん坊と話すことが出来ようか。』」「(その時)彼(赤ん坊)は言った。『私は、誠にアッラーのしもベです。その御方は私に啓典を与え、私を預言者になされました。」「また、その御方は、私が何処にいようとも祝福を与えて下さいます。また、命のある限り礼拝を捧げ、喜捨をするよう、私に命じられました。」「また、(私を)自分の母に対する孝行者にさせられ、高慢で不幸な者になされません。」「また、私の出生の日、死去の日、復活の日に、私の上に平安がありますように。』」(19章 29--33節)

 

信者たちよ、アッラーを信頼すると共に、アッラーの御言葉聖典クルアーンで語られている事柄と行いについても、預言者ムハムマドSAWの導きについても、信頼を置かなければならない。もしも、困難に出遭ったならば、アッラーが救済して下されると信じなさい。そして、何かの間違いを犯したなら、アッラーは御赦し下さると信じて、御赦しを請いなさい。そのことについて、アッラーは、クルアーン・相談章において述べておられる。

アッラーこそは、しもべたちの悔悟を受け入れ、様々な罪を御許し下される。お前たちの行いを御存知であられる。」(42章 25節)

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、あなたさまを称讃し信頼し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

 

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年6月30日)

―― アッラーを信頼するということ ――

より転載