私はムスリムです

私は日本人改宗ムスリムです。イスラームについて学んだことをシェアしているブログです。

イーティカーフについて

マジスドにこもることイーティカーフといいます。

 

イーティカーフをすると決めたなら

最初にニイヤを正しましょう


せっかくの尊い時間を持つことができたのだからしっかりと準備をすることが大切です。


何処のマジスドに行くか、何を持っていくのか

自分のイーティカーフのプログラム、イーティカーフしている間、何をするかを決めてからいきます。

無目的でやればいいものではありません。

自分なりに
クルアーンを読むとかハディースを読むとか目的、目標を設定して行うようにしましょう。


そして、自分に対しての動機付けをします。


何故イーティカーフをするのか
その想いも継続していきましょう。


実際に中東であった出来事です。


普段、仕事がとても忙しい男性が
イーティカーフを最後の10日間にしたいと仕事を工面して休みを取りました。


その準備は奥様がしました。


ご主人が持っていく服にアイロンかけて、洗面具や軽食を準備して、クルアーンなどイバータに必要な物も全て持たせるよう10日間のための準備をしました。


ご主人は「10日の中でクルアーンの三ジュズをわたしは覚えたいと思っています。どうか私のためにドゥアーをしてください。」と奥様に言いました。

奥様は「インシャアッラー、あなたが目標達成出来るようドゥアーします。」と答えました。

 

奥様は乳飲み子がいましたから一緒に行くことが出来ませんでした。

 

でも奥様はずっとアッラーにドゥアーをしていました。

「私も少しでも覚えたい。一つでも多くのジュズを私に覚えさせてください。」と。


奥様は家の火事や子供の世話をしながらクルアーンを読み続けていました。

何をするときも片時もクルアーンを離さず読み続けていたそうです。

 

そしてラマダーンが終わり三十ジュズを覚えたそうです。

 

ご主人が帰宅し、「ありがとう、君のお陰で私は目標の三ジュズを覚えることが出来たよ。」と言われたそうです。


この話は私たちの教訓になります


日常は様々な出来事がありますがアッラーはその人のイバータをタクアーをご覧です。

 

目標が出来たならそれをアッラーへドゥアーしていきましょう。

どうぞそれについてタウフィーク容易な道を授けてくださいと。

そして努めていきましょう。

ラマダン中の昼間にあるべき姿


ラマダン中、昼間どのように過ごすか


多くのムスリムはサウムをして過ごしていることでしょう。

 

アッラーは私たちにイバータをすることで沢山の報奨をお授けになられます。

 

そしてラマダン月はその報奨を10倍にもして下さると明確にお答えになられていますが

サウム、断食についての明確な報奨、数字はクルアーンにもハディースにもありません。

 

 

サウムというのは数字で褒賞を表されていないのです。


なぜなら、サウムの褒賞はアッラーご自身が計算されるものだからです。

他のイバータは他人から見てわかることが多いでしょう。

しかしサウムについては本人とアッラーだけのものです。

誰のためでもなくアッラーのためだけに私たちムスリムはサウムをします。

そこに食べ物の有り難さを知るとか健康のためとか理由をつけてることをしばしば見聞きしますが究極はアッラーへの献身、アッラーへの愛

を見て頂く行為なのです。

 

ラマダン中

 

ときに私たちはすごく疲れていてもサウムをし続けていることもあります。


ときにすることもなくのんびりして過ごすこともできます。

 

 

人の数だけ様々、いろんな状況があるのでサウムの報奨はアッラーが最善の報奨をお決めになられます。

 

サウムするものがサウムを解くまで

マグリブに向かう時間はドゥアーする時間です。

 

アルフバイラの伝えたハディースのには預言者様SAWはサウムをとくときのドゥアーで
喉の渇きが上静脈が整い褒賞が確定されたというドゥアーを預言者様は読まれていたとあります。


アッラーは私たちがドゥアーをすることを待って下さっています。


アッラーはサウムを解くときも含め人には二つの幸せなときがあると仰せられています。


サウムを解くとき
それはアッラーがその時間に幸せを下さっているそうです。


もう一つは審判のときです。

 

またサウムの他にもラマダン中に実践する斎戒があります。

それは口の斎戒です。

 

人の悪口やうわさ話をしないこと。

また

誰に対しても公平公正であることですね。

 

ハディース

公正な指導者のドゥアーをするよう推奨されています。


家族指導者は夫、家庭の指導者は妻


ときには自分の子供であっても育てやすいとか手がかかるとか、違いがあります。

 

大人しく可愛い子にはついつい贔屓してしまいがちですが、ラマダン時期特にライラカドルのときには親としてというよりムスリムとして子供たちを平等に扱うようにしましょう。

 

もちろん子供たちだけでなく

友人やムスリム同士も同じです。

ライラカドルに出逢うための準備

大塚マスジド 金曜日礼拝ホトバ 要約 (2017年6月16日)

―― ライラト・ル・カドルに出会う為の準備をしなさい ――

 

 

アッラーでなくして、人々が崇拝するものは存在せず、アッラーには共同者はないことを証言する。あらゆる賞賛は、慈悲の御心でラマダーン月を祝福なされる御方、アッラーのもの。その御方は、ラマダーン月を心からの悔悟と御赦しの為の月として設けられた。そして、ラマダーン月に至高のアッラーは、明快な規範と確かな教えとしてクルアーンを下された。また、ムハムマドは、アッラーのしもべであり、使徒であることを証言する。ムハムマドSAWは、述べられた。「篤い信仰心をもって、報酬があることを信じて信仰行為に打ち込み、ライラト・ル・カドル(カドルの夜、高貴さと偉大さの夜)を迎える者は、それまでに犯した悪事を赦される。」

 

信者たちよ、至高のアッラーは、クルアーン・物語章において述べておられる。

「お前の主は、御望みのものを創られ、また、選ばれる。・・・」(28章 68節)

ラマダーン月は、神聖な時間の一つであり、信仰行為に励み、心からの御赦しを求める月として、アッラーが御選びになった。ラマダーン月は、人々がアッラーに御近づきになる為の最も相応しい時である。その上、ラマダーン月の終わりの十日間は、他の最良の時よりももっと素晴らしいものを秘めている日々である。アッラーは、限りのない愛をもって、ラマダーン月を祝福なされる。

 

信者たちよ、預言者さまSAWは、ラマダーン月の終わりの十日間には、一年の他の時以上に、信仰行為を行うことに努められた。そのラマダーン月の終わりの十日間の中には、信者たちが出会いたいと思う素晴らしい夜がある。預言者SAWの妻アイシャさま(平安を)によれば、預言者さまSAWは、ラマダーン月の終わりの十日間には、信仰行為に打ち込まれ、寝るよりも立っておられようとなされた。また、アイシャさま(平安を)は語ったと伝えられている。「預言者さまSAWは、ラマダーン月の終わりの十日間には、夜中中起きておられ、家族を起し、腰に帯を締められた。」 「腰に帯を締める」とうのは、最善の信仰行為に励もうと準備を十分に整えられたということである。ラマダーン月最後の十日間の夜には、報酬があることを信じて、タラウィーの礼拝、そして、タジュウィードの礼拝を逃さないように心掛けたいものである。

 

信者たちよ、ラマダーン月は、その昼も夜もやがて終わりを迎える。信仰篤いムスリムたちは、ラマダーン月がやがて終わりを迎えるというので声を掛け合う。ラマダーン月の終わりの十日間の中には、ライラト・ル・カドルがあるのである。ライラト・ル・カドルは、祝福された夜であり、至高のアッラーは、聖クルアーンを下す夜として選ばれた。アッラーは、クルアーン・煙霧章において述べておられる。

「誠、われは、祝福された夜に、これ(聖典クルアーン)を下した。・・・」(44章 3節)

即ち、クルアーンはカドルの夜に、最下天にまとめて下されたということである。天使ジブリールは、預言者さまSAWが出会う事件や事柄に従い、部分部分を23年間に亘って啓示として伝えられたのである。そして、最初の啓示がなされたのは、カドルの夜であったと言う。ところで、最下天とは、人間と天使とをつなぐ接点で、そこは、天使にとっては住処であり、我々にとっては天と称している屋根であり飾りである。この聖なる夜は、祝福に満ち溢れ、しもべたちを厚遇する為の時として、アッラーは、とても大切なものとしておられる。

アッラーは、クルアーン・天命章において述べておられる。

「誠、われは、カドルの夜に、それ(クルアーン)を下した。」 「カドルの夜が何であるかを、お前たちに判らせるものは何か。」 「カドルの夜は、千の月よりも優る。」 「(その夜)天使たちと聖霊は、主の御許しによって、あらゆる神命をもたらし下る。」 「 平安である。暁の明けるまで。」(97章 1--5節)

天命章は、カドルの夜が、千の月よりも優る素晴らしい夜であり、天使たちは、住処である最下天(スドゥラット・アル・ムタハ)より降りて来るとことが描写されている。天使たちは、人々が祈願するのを聞いて、アミィーン(叶えられますように)と唱える為に降りて来るのである。預言者さまSAWは、述べておられる。「ライラト・ル・カドルは、ラマダーン月の終わりの十日間の間にある。そのカドルの夜をラマダーン月の終わりの十日間の中に見付けなさい。」 誠に、この清い夜に信仰行為の為に起きていて祈願する者は誰でも、御赦しが得られる。この清い夜に巡り会った者は、本当に幸せ者である。その夜になされた信仰行為や祈願は、千の月に行うものに優るのである。ライラト・ル・カドルは、ラマダーン月の終わりの十日間の中にあるが、どの日であるかを予想することは出来ない。ラマダーン月の終わりの十日間には、どの日にも熱心に信仰行為に励み祈願するがよい。

 

信者たちよ、最善の結果を期待するならば、ラマダーン月の終わりの十日間の夜には、起きていようとしなさい。そして、主を心から畏れる者は、きっと、幸せな結果を得る。預言者さまSAWは、述べておられる。「ラマダーン月の終わりの十日間の夜に、努力して目的を果たした者には、アッラーは、良いものの中の最良のものを与えて下される。アッラーの最良のものとは、それは楽園である。」 このことを知って、ラマダーン月の終わりの十日間には主の慈悲にすがり、ライラト・ル・カドルに巡り会う一人にして頂きなさい。

 

信者たちよ、ライラト・ル・カドルは、平穏平和で、信仰に満ちた夜であり、人々の間に論争や不和が起こらない夜である。アッラーは、クルアーン・天命章において述べておられる。

「平安である。暁の明けるまで。」(97章 5節)

心の中の恨み、妬み、憎しみなどの感情を打ち払い、神聖な夜を受け入れるに十分な準備を整えようではないか。

 

預言者ムハムマド、教友とその一家に祝福と平安がありますように。そして、正当なカリフ、アブー・バクル師、ウマール師、ウスマーン師、アリー師と、正しい道に従う者たちに、祝福と平安がありますように。

 

アッラーよ、ライラト・ル・カドルに巡り会い、あなたさまの御満足が得られる者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまの慈悲によって、忠実なしもべであるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを称讃し、あなたさまに感謝する者であるように御導き下さい。

アッラーよ、あなたさまを愛し、預言者さまSAW を愛する者であるように、御導き下さい。

アッラーよ、預言者ムハムマドSAW に従い、イスラームの教えを守る者にして下さい。

アッラーよ、私たちの信仰心を強くして下さい。私たちの過ちを御赦し下さい。

アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。

アッラーよ、イスラームムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。

アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。

アッラーよ、日々の生活に活力と喜びを、そして安心と安全を御与え下さい。 アーミィーン

 

 

 

楽園に入る人の特徴

•1つ目は夜間は少しだけ眠る
•サフールの時間にイスティハーラをすること

 

推奨されるのはサフルの時間にイスティハーラをすることです。

アスタグフィルラアラジーム

サフル終わりファジルのアザーンまでの間、イスティハーラをしましょう。

 

また、家族でサフルの食事終わりファジルの礼拝のアザーンを待つならば、みんなでお互いにイスティハーラする。
良い母でなくてごめんなさい。

勉強サボってごめんなさい。

仕事ばかりのお父さんでごめんなさい。

家族全員でイスティハーラすると家族みんなでジャンナに行けるよう道が開きます。

お互い許し合いアッラーが今までの間違いを許して下さるように。

誰かがイスティハーラしたとき、「そうだよ。」とか「あなたはこうよね!」とか相手を責めることは絶対してはいけませんよ。笑


•貧しい人たちの権利を満たすこと

この貧しい人たちの権利を満たすとはどういうことか、

自分の手元にある財産は貧しい人たちに渡すものということを常に考えている人


余った分や残り物をあげるとかではなく最初から貧しい人たちに取り分けておくという気持ちを持ち取り分けておくことをする人。


残ったものをさし出そうと考える人はいつまで経っても残らない。


だから最初から残すという意志のある人です。

 

この3つはタクアーする者という定義です。

 

タクアーとは
アッラーの目を恐れるものということ。

•1つ目は夜間は少しだけ眠る
•サハラの時間にイスティハーラをすること
•貧しい人たちの権利を満たすこと

自分の手元にある財産は貧しい人たちに渡すものということを常に考えている人
残り物をあげるとかではなく最初から貧しい人たちに取り分けておくという気持ちを取り分けておくこと。
残ったものはいつまで経っても残らない。
だから最初から残すもの

 

この3つはタクアーするもの
アッラーの目を恐れるものということです。

 

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ザカートについて

ザカートとは
貧しい人困っている人がいたら助けるとか
マジスドに寄付する行為です。


サダカとは特別なものなのです。


亡くなった人が人生に後悔があるとして

もし生まれ変われるならば

もしも、またはもう一度人生やり直せるなら
「もっとちゃんとサダカしたかった。」と言うそうです。


ハッジしたかったとか

もっとサラートしたかったではなくサダカ

生まれ変われるならサダカがしたいというそうです。

 

なぜなら
サダカというのは1つの稲穂となり70の実が生るとクルアーンアッラーは仰せられています。


ラマダーン月はその10倍だから


一円サダカしたら700円となってアッラーから現世と来世にかえってくるのですよ。


2章261節


こちらからのアーヤとはサダカについて書かれているものです。


もし私たちがお金がないときはどのようにして過ごすべきか?
シャイターンからの試練がどのようなものかということや利息についても書かれています。


利息、アラビア語ではリバートと言います。


多くの人はリバートによってお金が増えることを望みます。

しかし銀行からの利息とかは現世だけのもので

いろんな理由で変動する不確かなものですね。


しかし、サダカというのはサダカによって多くのものをアッラーからいただけるものです。

現世だけではなく来世永遠にいただけるものです。


アルバカラは他に借金についても書かれています。


280節から

284節全てのものはアッラーのものである。

 

その後も人とどのように付き合っていくかも書かれています。

70の実が生る
ラマダーンはその10倍だから
一円サダカしたら700円となってアッラーから現世と来世にかえってくる
2章261節
こちらからのアーヤとはサダカについて書かれている。
もし私たちがお金がらないときはどのようにして過ごすべきか?
シャイターンからの試練がどのようなものかということ
利息についても書かれている
利息、リバート
多くの人はリバートによってお金が増えることを望みます
サダカというのはサダカによって多くのものをアッラーからいただける
アルバカラは他に借金についても書かれている
280節から

284節全てのものはアッラーのものである。

その後も人とどのように付き合っていくかも書かれています。

ラマダン、この時期に是非読んで見てください。インシャアッラー

いまだからこそ

クルアーンを読むこと

一文字に十の善行がある。
ラマダーンは最低限十倍となりますから百の善行をしたことになります。
クルアーンの第1章第1節
ビスミーラヒラフマーニラヒーム
これだけで19章
これだけで190の善行を行ったこととなる。

普段よりも倍になるのだから読んだほうが良い。
普段は研究している学習もこの時期は研究を休み、クルアーンの朗読に勤しむそうです。

 

今の時期は何をさておいてもクルアーンを読みましょう。

タラゥイ

 


ライラトルカドルみいつの夜に関しては
いつがライラトルカドルかわからない、

だから毎日イバータをして過ごすようにと推奨されています。

 

この時期は他の時より信仰行為を高めることが必要です。

 

イバータは夜に行うもの

だからファジルの時間まで起きていること。

イーシャからファジルまでキヤームの礼拝を行う。
キヤームライト

17章79-81節
深夜に礼拝をする徳が書かれています。

タハージュドの礼拝について書かれていて
義務ではないのでやらなくても罪にはなりません。
では、やらなくてもいいのか?というとやったほうが良いものであります。

17章の80-81節はタハージュドのときにしたほうがいいドゥアーです。

正しい入り方で入らせ正しい出方で出る
この意味は
私たちか死ぬときに正しい死に方をして正しく復活できますようという説があります。

私たちの人生には常に審議があるよう沢山の虚偽がありますから正しい道に行かれるようこのドゥアーをするといいでしょう。

アッラーがそうしなさいと言いました。
だからそれをすることは何かしら意味があるのでしょう。

73章20節

このアーヤでキャムライドの礼拝について書いてあります。
キヤームライトは以前は義務の礼拝でした。

1日五回の礼拝が義務となってからはキヤームライトはスンナとなりました。

キヤームライトときは普段より長いスーラを読むように推奨されています。

預言者様(pbuh)のときは23ラクアではなく11ラクアでした。
でも時間にしたらとてもとても長かったのです。
全ての所作をゆっくりとされていました。
11ラクアするとき
8ラクアは立ってる時間が長いなぁとクラクラしそうなほど、長いスーラを読んでいました。
そして最後3ラクアでした。

ラマダン期間中に行われているタラウィーとはゆっくりと言う意味です。


20ラクアになると短いスーラを読んで座る期間が長くなったり途中でお水を飲めたりしますから20やるところが多いようです。

預言者様(pbuh)やサハーバたちは1ラクアで五ジュズを読みました。

一回の礼拝に何時間も立っている状態でした。

サハーバのハディースで預言者様(pbuh)とサラートしていてアルバカラが読み終わったから次にルクアするだろうと思って身構えた。
でも次の章も読み始めた、それでも終わらず次の章までも読んでからのルクアされた。

それ以降そのサハーバは預言者様(pbuh)と一緒に礼拝しなかったそうです。